社会的発明によって、人の役に立つ──高齢者と学生という世代を越えた力が街にとっては重要なのだと。
そして、「市長や市会議員になると、どういうものか、たいていが愚か者になっちまうんだよねえ」という言葉は自戒を込めて。
「身の回りをよく見て、人助けができないかなと考える。そしてその人助けを組合かして形あるものにする。こういうのをあたしらは社会的発明と呼んでいるんだよ」
「社会的発明、ですか」
「これまでそのへんに眠っていた宝物を発見することで、お年寄りはよろこび、学生さんたちは本代を稼ぐことができる、こんな偉大な発見はないじゃないか」
「お年寄りが代金を払わない……そんなことがおきませんか」
「ボローニャのお年寄りは威厳を重んじている。だからどんなに苦しくても代金は払いますぞ」
「……愚問でした」
「それどころかお年寄りたちは、自分たちの取り分でお祭り(フェスタ)をやりたいと言っている。年に二回ぐらい、青年たちを招待して、ワインを飲みながら話をしたりボローニャ料理を食べたりしたいんだそうだ。そのときは、ここ地区住民評議会のホールを提供するつもりだよ」
「なるほど。行政に頼っていては、そんなきめのこまかいことはできませんね」
「市長や市会議員になると、どういうものか、たいていが愚か者になっちまうんだよねえ。お役人にしても国会議員にしても同じことだ。みんな遠くや横っちょを見すぎて愚かになる。その上、情けないことに、任期が終わるまで、あるいは定年になるまで、その愚か者たちが税金を使いつづけるんだ。そんなことが許されていいのかね。そこであたしら地区住民評議会が毎週、会議を開いて、彼らに近くを見ろと忠告しているわけだよ」
どんなに愚かな政策を打ち出そうとも、その政治家たちの任期中は、市民は指をくわえたまま見ていなければならない。これが間接民主主義の欠点です。その欠点をボローニャの人たちは地区住民評議会という直接民主主義で補おうとしているようでした。また、地区のことは市のお役人に考えさせないと決めていることもわかりました。お役人はあくまでプロの調整役に徹してもらい、地区のことは自分たちで考え、考えることで自分たちを守る。これもボローニャ人の流儀のようです。(118〜119ページ)
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