今年の8月3日、米海軍横須賀基地で行われた一般開放行事で、アメリカ兵が見学に訪れた子どもに銃を持たせたり、射撃の構えをさせたりしていたことが明らかになりました。
実際の射撃はさせなかったということですが、地元の市民団体は、「アメリカ軍の基地の中での行事とはいえ、教育的に重大な問題がある」として、8月27日、在日アメリカ海軍の司令官などに抗議文を提出しました。また、市民団体は、この行事に出席してスピーチをした横須賀市の吉田雄人市長にも見解を問う質問状を提出しています。
憲法9条の平和の精神がないがしろにされる風潮が、こうした行為を許した背景にはあるのだと思います。銃の先にあるのは、なにものにも代えがたい貴重な一人ひとりの命であることに思い至る社会が必要です。それは子どもたちへの教育の場にこそなによりも必要な大切な精神です。
(追記)8月29日のしんぶん赤旗の記事を下記に転載します。ご参考にしてください。
米軍 子に銃持たす
横須賀基地開放で 5団体が抗議
米海軍横須賀基地(神奈川県横須賀市)の「一般開放」(8月3日)で、米兵が訪れた市民に「銃器」を持たせていたことに対し、県内の平和・民主団体は27日、同基地に出向き抗議文を提出しました。
抗議文を提出したのは県平和委員会、安保廃棄県統一促進会議、県原水協、新日本婦人の会県本部、原子力空母の母港化を阻止する三浦半島連絡会の5団体。同市で米兵に妻を殺され、国賠訴訟をたたかった山崎正則さんも同席しました。
同基地の一般開放では、見学の子どもたちや市民に、海兵隊員が小銃や狙撃銃などを持たせていました。
市民に銃器を持たせる行為は、銃刀法に違反するものだとし、米側の見解を明らかにするよう求めています。
抗議文は「Kill! Kill! Kill!」(殺せ!殺せ!殺せ!)と叫んだり、相手の首を絞めるなど米軍兵士らによる「武闘訓練」も公開されていたと告発。「米軍兵士らの一連の行為は、米兵犯罪の被害者はもとより、その根絶を求め続けている市民、関係者の願いを著しく踏みにじるもの」と批判しています。
5団体は同日、一般開放の式典に出席した吉田雄人市長や、市教育委員会教育長に対し、公開質問状を提出しました。
射撃競技の銃の先にあるのは、なにものにも代えがたい貴重な一人ひとりの命があるのなら、日本は射撃競技の廃止を訴えるべきでしょうか?五輪をボイコットをすべきでしょうか?
子供だからいけないのでしょうか、はだしのゲン残虐表現も判断できるとされているのに、銃の危険性は判断できないとお考えでしょうか?
先の方への返信を差し置いて、こちらにご回答する非礼をお許しください。
詳しく論述している余裕は申しわけありませんがありませんので、簡潔に記させていただきます。
まず、オリンピックの射撃は、ルールに則った競技場で行われ、また、だれでもがその銃器に触れることができるものではないと思います。
その一方、軍事基地は戦争を遂行するための場所であり、そこでの銃器の扱いは、戦争目的を達成させるためのものです。けっして皿を割るためのものではありません。
また、基地内では「殺せ! 殺せ! 殺せ!」と叫びながらの訓練も披露されたと聞いています。
子どもたちが構えた機関銃は、実際にイラクで多くの市民を殺戮したものかもしれません。そうでなくても、そういうことに使われるものだということを私たち大人は認識していかなければなりません。
オリンピックの射撃の先には、イラクの市民は一人もいないのです。
また基地へは子供だけでは入場できなかったと思いますが?
引率したの大人が容認している事を他人の貴方がダメというのですか?
また銃の周りには米兵が配置されており「誰も」が「安全」に銃に触れられるようにしてあります。
実弾も装備されていないものを兵士の監視の下で触ることに何の問題があるでしょう?
これは米軍基地内でのお祭りです。
そこでの銃の扱いは、けっして戦争目的を達成させるためのものではありません、お祭りのルールにでも反してもいません。
「射撃の先」にイラクの市民がいるのなら兵士の後には「愛すべき家族」、「守るべき命」があるのを忘れないでくださいね。
銃を持ったとしても平和は語れる筈です。
6年2組の参観授業は、社会科(歴史)でした。授業中に特別ゲストが登場し、手に持っていたのは【火縄銃】。
八戸市博物館の学芸員の先生が、実物の火縄銃を見せ、説明してくださいました。