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お願いいたします。
綾瀬市は「綾瀬市家庭ごみ減量推進会議」を4月15日号の「広報あやせ」で公募し、その第1回の会議が、7月24日(月)午前に市役所内会議室で行われました。
私も公募委員として笠間市長より「委嘱状」を交付していただき、参加しました。
会議に参加して驚いたのは、家庭ごみの問題なので主婦の方の参加が多いと思っていたのに男性がほとんどだったこと。女性は20名中わずか4名だけ。また自治会から派遣されてきたと言っている方が多いのも特徴でした。
会議の冒頭「家庭ごみ減量推進会議設置要綱」が提案されましたが、その内容に大きな問題を感じました。それは、第2条に「家庭ごみの……有料化についての提言をとりまとめるため、家庭ごみ減量推進会議を設置する」と明記され、第3条でも推進会議の取り扱う内容の一つとして「家庭ごみの有料化に関すること」と掲げられていたことです。
この推進会議の公募のときの主旨は、「この会議は、これからのごみ対策として家庭ごみの減量をどのように進めていくべきかを市民の皆さんで検討、提言していただくために設置するものです。」となっていたのに、これでは議論の出口を市が先に決めてしまうようなやり方です。
私が「ごみの減量化や資源化について話し合うのが目的の会議であって、有料化は方法論の一つなので、要綱に同列に記すのはおかしい」と発言したところ、「議論の幅をせばめることになるので要綱からはずしてほしい」という同様の意見が複数の委員からも出されました。「有料化をすすめたい」という委員の方も複数いらっしゃって侃々諤々(かんかんがくがく)の議論になりましたが、最終的に「有料化について議論していただけるなら、要綱から削除してもかまわない」との市側の発言で一件落着。
このできごとでわかってきたことは、綾瀬市としては「白紙」と言いながら「家庭ごみ有料化」を進めたいと考えていて、この推進会議で「有料化が必要」との提言が出るのを待って、有料化を実施しようとしているのではないか、ということです。
私は「家庭ごみ有料化」は、基本的に必要ないし、かえって減量化にマイナスの効果をもたらすと思っています。その理由は、以前のここのブログでも簡単にふれていますが、これから折にふれ書いていこうと思います。
みなさんのご意見やご要望をお寄せください。長いご意見等はぜひメール(ueda01@goo.jp)にてお寄せください。
今年は9月3日(日)に「綾瀬市総合防災訓練」が行われますが、今年のは一味も二味も変わった訓練になりそうです。
どこが違うのかといいますと、
①市内6カ所で同時に行います。
②綾瀬市は市内15カ所の避難所がそれぞれ今年の3月までに作った「避難所運営マニュアル」をもっていますが、今回の訓練はそのマニュアルを検証する訓練になります。
どうです? これまでの「実践に役立つのかな?」みたいな訓練とはまったく違った形でしょう? でも、だから今がたいへんです。今日も私が参加する「早園小学校避難所運営委員会」が開かれて会議をしてきましたが、とにかく初めての試みなのでそれぞれがもつイメージをできるだけ近づけて、そして具体的に何をするか、誰がやるか、どうやるかなどいくら時間があっても足りないくらいです。
それでも避難所運営委員がそれぞれの訓練の中身を分担して案を次回までに作ってくるところまできました。訓練のための訓練でない、実践で役に立つ訓練にしたいと、自治会長はじめ運営委員会に参加しているメンバーは燃えている、感じです。
ぜひ当日は避難者としてご参加いただき、その場で編成される8つの活動班などに加わってみてください。
ちなみに今年行われる会場は、早園小学校、綾西小学校、天台小学校、北の台小学校、綾瀬小学校、綾南小学校です。
上の写真は、2004年10月の中越大震災のとき、小千谷市に災害救援ボランティアとして行ったときに、避難所となっていた小千谷市総合体育館の様子です。プライバシーがないような状態のなかで、できるだけストレスのない生活ができるようにいろいろな工夫が必要なことを実感してきました。
早乙女勝元著の絵本「パパ ママ バイバイ」(▲写真)を原作とした長編アニメ映画が完成し、神奈川県内トップで海老名文化会館で上映されました。
厚木基地の米軍ジェット機が横浜市の民家に墜落し多くの犠牲者をだした実話が元になっています。私が大学1年生のときのことですから、当時の衝撃は今もおぼえています。
この事件が発生したのは、1977年(昭和52年)9月27日午後1時17分ころ。米海軍厚木基地を離陸した米海兵隊所属RF-4Bファントムジェット機が相模湾沖を航行中の空母「ミッドウェー」に向かう途中、エンジン火災を起こし、横浜市緑区(現在は青葉区)荏田町の宅地造成地に墜落したのです。
事件発生後10分後に到着した自衛隊の救難ヘリコプターは、大やけどを負って救助を求めている被災者を助けるのではなく、墜落前にパラシュートで脱出した無傷の2人の米軍パイロットを乗せただけで厚木基地に帰ってしまいました。
炎上する家の中から逃げ出してきた大やけどを負って助けを求める人たちを救助し、救急車を要請したのは近くにいた民間人だったということです。
映画を観た方が、帰りしなに、「くやしい。自衛隊のヘリコプターが助けなかったのがくやしい・・・」と目を赤くしながらつぶやいていたのが印象的でした。
青葉台病院に収容された林裕一郎君(当時3歳)と、弟の康弘君(当時1歳)は、この日の深夜、「パパ ママ バイバイ」「ポッポッポ はとポッポ」と小さな声を最後に息を引き取ってしまうのです。
詳しい経過はこちらをごらんください。
▲映画会会場に展示されていました。
厚木基地ではこの事故後も長らく航空ショーなどで、ジェット機のアクロバット飛行などの曲芸を行っていました。外国のニュースでアクロバット飛行のジェット機が観客のなかに墜落して大惨事になったニュースが一度ならず報道されていますが、見ていて本当に怖いものでした。
私は、綾瀬や大和の共産党議員団や平和委員会のみなさんたちと共同して、航空ショーの中止、特にアクロバット飛行の中止を米軍に要請したり、航空ショーを楽しみに見にこられている方たちにも、地元の苦しみや恐怖を伝え、地元住民の感情への共感をお願いしてきました。現在では、多くの市民の声が届いて、アクロバット飛行はなくなりました。
小さくても、繰り返し繰り返し生活者としての声、平和の声をあげ続けていくことの大切さを感じます。この映画が一人でも多くの方に観られて、不条理な社会のあり方を変える力になることを願っています。
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日テレプラザゼロスタ広場で公開されている岡本太郎氏作の大壁画「明日の神話」を見に行きました。しかし、残念ながら雨のため壁画はカーテンの向こうのまま。とても残念で、雨がやみますようにと待ちましたがついに開きませんでした。そのかわり、会場内で紹介されているビデオや展示、特別グッズコーナーなどで作品の息吹にふれてきました。
この壁画は、「太陽の塔」と同時期(1968~1969)に作成され、メキシコのホテルのロビーに展示されるはずでしたが数奇な運命をたどりました。ながらく行方不明だったのですが、2005年にメキシコから日本に戻り、補修をされ今回の公開になったのです。作品のモチーフは、原爆が炸裂した瞬間です。まがまがしい黒い雲や原色の炎や光につつまれ、その中で人間が骸骨になって踊っています。真っ黒い海の上には、第五福竜丸かと思える漁船らしき船が漁をしています。
岡本太郎氏が描きたかったのは、なんなのでしょう? 核兵器というすべての生きとし生けるものを根こそぎ消滅させる最終兵器を手に入れた人類の明日を問うているように思えます。人類に明日はあるのか? 明日をつくる英知を人類は広げることができるのか? 岡本太郎氏は明るい明日がくることを信じていたように思います。
もうすぐ広島・長崎に原爆が投下されてから61回目の夏です。明日をつくる英知を広げるために、また、みなさんと汗をかいていきたいと思います。
▲会場で上映されていたビデオをパチリ!!