綾瀬市議・上田博之のあやせタウンWebニュース【ブログ版】

神奈川県綾瀬市政の動きを縦軸にしつつ、
横軸は四方八方に広がります。
綾瀬市会議員 上田博之(日本共産党)です。

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◆心が温まり、みどりが大切にされ、平和を発信する綾瀬市に変えたい

2006年10月26日 | ごあいさつ

 横浜で生まれ育った私が、綾瀬市に移り住んではや18年がたちました。そして、妻が綾瀬市の市議会議員になってまもなく16年です。この間、私は綾瀬市を第二のふるさととして思い、愛してきたように思います。「愛してきた」なんて、かなりこっぱずかしいことばを使ってしまいましたが、地域の方やいろいろなサークルなどで知り合った方にほんとうに助けていただき励ましていただきました。そしてなにより身近にある林や畑や水田に癒されてきたように思うからです。

 でも、そのゆったりとした綾瀬市が最近大きく変わり始めているようです。
  
 強い立場の人への支援ばかりを強めたとしか言いようのない自民党・公明党の連立政権の政策によって、大きく格差が広がっていることは、いまや誰の目にもあきらかです。経済的弱者、身体的弱者、精神的弱者、年齢的弱者(子ども・高齢者)、性別による弱者(女性)などの弱い立場の人が、どんどんどんどん追い詰められています。それは私たちの綾瀬市のなかでも確実に広がっているのではないでしょうか。

 こうした苦しめられている人々の声なき声をもっともっと市政に届け、反映させていかなければと強く思います。

 そこで私は考えました。
  国の悪政に苦しめられている綾瀬市や綾瀬市民を守るキーワードは、「ハート=Heart」と「グリーン=Green(緑・自然保護)」と「平和=Peace」に代表されるのではないかと。
  上の緑色のマークは、このキーワードの自作キャラクターです。「緑色GreenのハートHeartが、両手でピースPeaceをしている」図案です。

●Heart   弱い立場の人を思いやることのできる市政と地域社会が必要です。

●Green   環境との共生をめざさなければなりません。農地や林や空き地を見たら「開発できるぞ」という発想から、「この緑や空間を守っていこう」という発想に変えていくことが必要です。

●Peace   軍事基地も爆音もない静かな空をとりもどしたい。そのためには、「軍事力には軍事力で」という悪循環のパワーの発想でなく、「平和の思想・哲学」を培っていくことが必要です。思想信条を超えて、憲法9条の「戦争の放棄」を守る一点での共同を呼びかけていきます。  

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◆勇気と感動をいただいた「アツキヨチャリティーコンサート」

2006年10月22日 | 災害ボランティア

 このブログでお知らせもしていた「アツキヨ」のチャリティーコンサートが中央公民館で行われました。
  抜群の歌唱力をもつアツシと、耳の聴こえないハンディキャップをもちながらも「歌姫」をめざすキヨの二人組ユニット"アツキヨ"の、夢をあきらめない前向きな生き方とすばらしい歌と美しいサインボーカルにしだいに会場が一体となっていくコンサートでした。
  とくに、たとえ耳が聞こえなくてもあきらめないで努力しつづけ会話ができるようになり歌まで歌えるというキヨの生き方は、勇気と感動を私たちに与えてくれました。

  日本テレビの24時間テレビに出演して武道館で歌った「翼をください」や小椋佳氏がアツキヨのために作詞作曲した最新曲「君の夢を聞けば」、昨年NHKみんなのひろばで放送された「僕らをのせたバスは」、最後にアンコールにこたえて歌った「kiseki」などが、キヨのサインボーカルやソロをまじえて歌われました。

 アツキヨのコンサートに先立ち、市内在住のシンガーソングライター、イマムラあつし氏の弾き語りや、春日台中学校和太鼓部の力強い演奏も大きな拍手を浴びました。

 このチャリティーコンサートは、「綾瀬市きらめき補助金事業」の一つとして、綾瀬青年会議所とあやせ災害ボランティアネットワークの共同事業としてとりくまれました。市内の小・中学生や親子づれをはじめ多くの参加者から寄せられた募金は、長野県集中豪雨災害地への義援金と綾瀬市社会福祉協議会の福祉活動への寄付として全額寄贈されることになっています。
  多くの方から寄せられました善意にこの場をお借りして、感謝申しあげます。
  ありがとうございました。私も、これからも「一人はみんなのために、みんなは一人のために」を忘れずにいきたいと思います。


▲♪ふりかけぇ~、ふりふりィ♪と、即席アツキヨダンサーズのみなさん


▲コンサート終了後、チャリティーのお願いです。


▲「アツキヨ」のお二人と記念写真まで。ありごとうございました。

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◆「市民活動センターあやせ交流カフェ」にて防災の話

2006年10月21日 | 災害ボランティア

  「市民活動センターあやせ」の「第1回カフェサロン」が中央公民館で行われました。
  今回のテーマは「防災」ということで、「あやせ災害ボランティアネットワーク」がゲストスピーカーとして招かれました。
 
  11年前の阪神淡路大震災時の写真や再現ビデオをはじめ、新潟県中越大震災や今年の長野県集中豪雨災害地への救援ボランティアとしての活動をスライドで見ていただきながら、災害時のこころがけ、災害ボランティアとボランティアセンターの役割などについてお話させていただきました。
  後半では、災害対応カードゲーム「クロスロードゲーム」で、予想される場面を想定し、「そのとき自分ならどうする」を考えあいました。自由に自分の意見や考えを言い合え、他の方の意見の中に新たな気づきも多いこのゲームは、思った以上に好評でした。

  「あやせ災害ボランティアネットワーク」では、ご依頼があれば、どこにでも出張してお話をさせていただいたり、クロスロードゲームの実演講習などをいたします。
  お知り合いの「災害ボランティア」のメンバーにお声をおかけくださるか、私あてにメール等でご連絡ください。

※「市民活動センターあやせ」のHPはこちらです。

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◆背高泡立ち草は花粉症の犯人ではなかった

2006年10月18日 | つぶやき

 実家の母親から「隣の敷地に背の高い黄色い花がいっぱい咲いて、そのせいか花粉症がひどくつらい」と電話がかかってきました。その花は、“背高泡立ち草”のようです。
  ちょっと調べたら、「花粉症の原因である」とあって、やっぱりそうか。ところが、豚草と背高泡立ち草の違いを調べていったら、今度は「一時、花粉病の原因とされましたが、虫媒花(昆虫によって受粉する花)ですので、風などによって花粉をばらまかないので、これは濡れ衣です。養蜂業者にとって晩秋の貴重な蜜源です。豚草(ぶたくさ)という、菊科の形も由来(同じ頃北アメリカから渡来)もそっくりの花が風媒花(風によって受粉する花、杉花粉が有名)で、これが犯人のようです。」とか「何年もの間、花粉症のおもな原因と思われてきたが、花粉をつかった実験によって、害のないことがわかった。」との記述に遭遇。

 まわりの人に聞いてまわると、みんな背高泡立ち草こそ花粉症の犯人と思い込んでいます。かわいそうに偏見の目でみられていたんですね。

 せっかく調べたので、背高泡立ち草と豚草の類似点を表にしてみました。
  みなさん、これを機会に背高泡立ち草への偏見をなくしていきましょう。

背高泡立ち草
(セイタカアワダチソウ)
豚草(ブタクサ)
原産地 北アメリカ 北アメリカ
学名 Goldenrod Ragweed
渡来時期 1897年頃
第2次世界大戦以降繁殖
1877年頃
第2次世界大戦以降繁殖
キク科の多年草 キク科の一年草
草丈 150~250cm 50~150cm
花葉の特徴

茎の先に黄色の頭花を多くつけて、全体で大型の円錐花序となる。
頭花の中心は数個の管状花、周りに10個前後の舌状花がならぶ。

小さい緑がかった花が直立した枝の先端に穂状につき、濃緑色の葉が浅裂または全裂している。

花粉 虫媒花(花粉症とは無関係) 風媒花(花粉症の原因)

*なお、豚草の近縁種に高さ3mにもなるオオブタクサがあります。オオブタクサは、葉の形、大きさがクワに似ているのでクワモドキの別名も。両種とも、花粉症の原因。花粉は夏の終わりごろから秋にかけて、多量に風ではこばれ、アレルギーをもつ人々に深刻な不快感をあたえています。オオブタクサの日本侵入の最初の記録は1953年で、ブタクサよりずっと遅いのですが、繁殖力がたいへん強いため、現在はブタクサより多くなっているようです。


▲これが「オオブタクサ」のようです。拡大すると↓のような感じです。

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◆アツキヨ 2006 チャリティーコンサートにお越しください

2006年10月16日 | つぶやき


  綾瀬青年会議所とあやせ災害ボランティアネットワークのコラボレーション企画として取り組んでいる「アツキヨ チャリティーコンサート」がいよいよ22日に近づいてきました。
  この企画は、「綾瀬市きらめき補助金事業」 の助成を受けています。

  ぜひお近くの方は、お越しください。

  アツキヨのHPはこちらです。

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◆厚木基地でNLP訓練~昼間もうるさい(T-T)

2006年10月12日 | 平和○・憲法○・米軍基地×

 「うるさい、うるさい、うるさい」。ここ数日、異常にうるさいぞ。
 そうなんです、厚木基地でまたまた米軍がNLP訓練をはじめたのです。(通告では、10月12日~13日ですが、その前後が夜だけではなく昼間も異常にうるさいのです)
 日本共産党では、10月5日、厚木基地にNLP訓練をやめるようにと要請を行いました。中学校などで中間試験が行われているのです。市民生活への悪影響は計り知れません。
 
 「平和とくらしを守る大和市民連絡会」をはじめ、平和委員会や私たち日本共産党は、NLPを二十数年にわたり監視し続けてきました。その監視活動が12日にも行われましたので参加しました。
 E2C早期警戒機などのプロペラ機を中心とした訓練でしたが、離発着時の騒音や低空時の騒音は耐えがたいものです。そして、大島沖で訓練して帰還したジェット機(FA18スーパーホーネット)の爆音は、胸が押しつぶされるほどのものです。これまではこの帰還したジェット機が、着陸する前に何度かタッチ・アンド・ゴー訓練をしていたのですが、今日は素直に着陸していました。
 実際にアフガンやイラクで大勢の人の命を奪ってきた戦闘機の爆音は、聞きたくありません。

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◆北朝鮮の核実験強行に抗議します

2006年10月10日 | 平和○・憲法○・米軍基地×

 北朝鮮が核実験を強行しました。許されないことです。核兵器は人類に価値あるものはなにも生み出さない。生み出すのは、破壊と暴力優先の世界秩序と地獄絵図の世界です。
 「核兵器によるパワーバランスによる平和」という悪魔の神話から人類は抜け出さないと、人類の未来にあるのは破滅だけではないでしょうか。
 あらたな核兵器の開発は認めない、すでに核兵器を持ってしまった国はすみやかにいっせいに廃棄する。こうした世界世論が年々高まっていますが、こうした声をいっそう大きく強くしていかないと、と思います。唯一の被曝国民として、核兵器の悲惨さをよく学び、日本中に、そして世界中のすみずみにまで「NO MORE HIROSHIMA NAGASAKI」の声を広げていくことの大切さをあらためてかみしめています。

 日本共産党では、9日志位和夫委員長が「北朝鮮の核実験強行に抗議する」と題した抗議声明を発表しました。


一、北朝鮮政府は、9日、核実験を強行した。これは、国連安保理決議、安保理議長声明などが、世界とアジアの平和と安定への脅威として、一致して反対した国際社会の意思を無視したものである。また、六カ国協議や日朝平壌宣言などの国際取り決めを蹂躙する暴挙である。わが党は、これにきびしく抗議する。

一、わが党は、北朝鮮政府にたいし、核兵器および核兵器開発計画を放棄すること、即時・無条件で六カ国協議に復帰することを強くもとめる。

 国際社会がこの事態にさいして、一致協力して対応し、問題の平和的・外交的解決という立場を堅持してのぞむことが大切であると考える。

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◆30メートル級の竜巻に驚いた自治会の体育祭

2006年10月08日 | つぶやき

 これ以上の秋晴れはないぞぉ、という青い空と白い雲の美しいコントラストのなか地元の「小園自治会体育祭」が行われました。
 私も選手として、区対抗の「綱引き」「大縄跳び」「ムカデ競争」と自由参加の「二人三脚」「大玉ころがしリレー」などに出場しました。
 「綱引き」は計8回戦いましたので、かなりの筋肉痛を覚悟しないとならないようです。「大玉ころがしリレー」は、2位で引き継いだ順位を1位にあげることができました。空気の抜けた玉なので転がりにくいと思っていたのですが、一度勢いがつくとけっこう転がるのでした。





 さて、この体育祭のなかで生まれてはじめて、という大きな竜巻を目の当たりにしました。残念ながら写真は撮れなかったのですが、私たちの左手のシートがバサバサと大きな音をたてたかと思ったら、そのへんの紙コップが渦をまいてトラックのなかを縦断しながら天高く舞い上がって行きました。この舞い上がった紙コップなどは、推計30メートル以上、校舎の3~4倍の高さで舞い上がったまま、いつまでも漂っていました。けっこう長いこと見上げていたのですが、いつまでもいつまでも漂っていて、結局いつ落ちてきたのか、どこに落ちたのかわかりませんでした。
 あとで聞いた話では、小さな子がこの竜巻に巻き込まれて数十センチ浮いたのを横にいた母親がおさえた、とのことでした。その話は本当だろうと思えるほど威力のある竜巻でした。驚きました。

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◆仲秋の名月、実は満月ではなかった!?

2006年10月07日 | つぶやき

 2006年、今年のお月見は、10月6日(旧暦8月15日)でしたが、台風まがいの暴風雨でお月さまを見ることはできませんでした。

 そして1日たった7日は、煌々とした月がとてもうつくしく夜空に輝いています。あまりのうつくしさに、三脚を出してパチリと撮影してみました。夜空を撮影するためのフィルターなどは何もありませんが、いろいろシャッタースピードや露出を変えてみてのチャレンジです。

 撮影をおえて、仲秋の名月について調べてみてビックリ。
 仲秋の名月の日の月が満月であることは少ないというのです。下記の表をみるとわかるのですが、2006年の今年の満月は、実は7日だったのです。つまりこの写真の月が満月なのです。
 この原因はいくつかあるのですが、簡単に理解するには、新月から満月になるまでの平均日数が、約 14.76日だということがポイントのようです。これは、旧暦の15日の月齢平均より0.76日分だけ長いということ(新月=0のとき、旧暦1日なので15.76になるのです)
で、このため、実際の満月は旧暦15日より遅れる傾向になるということです。

西暦年 旧暦8/15 曜日 満月
2000 9/12 9/14 +2
2001 10/1 10/2 +1
2002 9/21 9/21 0
2003 9/11 9/11 0
2004 9/28 9/28 0
2005 9/18 9/18 0
2006 10/6 10/7 +1
2007 9/25 9/27 +2
2008 9/14 9/15 +1
2009 10/3 10/4 +1
▲2002~2005年はたまたま一致したようです。
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◆台風顔負けの暴風雨で使えなくなった傘の山

2006年10月07日 | つぶやき
  6日夜の風はすごかった。夜11時ころ駅に置いたバイクでの帰宅は「危険だから迎えを頼もう」と思わせるほど強烈に吹きまくっていました。

  そして一夜明けて海老名駅近くを通ったら、道端に折れたり破けたりした傘がいたるところに散乱していてビックリしました。

  数えてみたら、ざっと100本はこえていました。もっと全体を見て回ったら、ものすごい数だったと思います。

  暴風雨のすごさを思い知らされたわけですが、こんなにも多くの方が傘を吹き飛ばされてしまったのでしょうか?・・・・・・・
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◆ニノ塔、三ノ塔、塔ノ岳を歩いてきました

2006年10月03日 | 山を歩こう

 半年ぶりに山を歩いてきました。
  8時ころヤビツ峠の先の富士見荘前から登りはじめ、二ノ塔、三ノ塔まで登り、そこからグッと高度を下げてからまた登り。約4時間歩いて塔ノ岳に到着。



 お湯を沸かしてカップラーメンを作り、尊仏山荘で買った缶ビールで乾杯。うぅ、プハー お・い・し・い(*^_^*)
 しかもここで綾瀬の知人とばったり。いやいやおどろきました。「あれぇ~ほんとに〇〇さん?」と失礼にも二度も聞いてしまいました。こんな奇遇あるんですね。奇遇といえば以前こんなことがありました。鍋割山で出会った青年と約2週間後に登った仏果山の頂でまた出会ってしまったのです。そんなこともあるんですね。
 下山は大倉尾根をひたすらおりるおりる。「この尾根を下山にしてよかったぁ」。登りだとひたすら登りできついぞお。以前登ったことがあるけど、よく登ったなあと、計7時間の歩行の疲れか弱気になりつつ無事下山できました。



▲遠くに見えるのが右からニノ塔、三ノ塔

■写真紀行は、こちらをご覧ください。

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◆秋の「目久尻川クリーンアップ大作戦」に参加

2006年10月01日 | ほたるの保存と綾瀬の環境

  5月に引き続いて「目久尻川クリーンアップ大作戦」に参加しました。
 今回も小雨がぱらつくなかでの清掃活動です。「だれが雨男だろう」なんてお互いに相手の顔を見ながら作業にかかりました。

「今回は大物はないよ」と言われていたのに、水面から少しだけ顔を出していた金属の棒をひっぱったら、その下からいろんなごみがでるはでるは、ごみが底なしでした。出てきたおもなものは、自転車、土嚢のやぶけた袋、たくさんのビニール、女性の水着などなど。こうしたごみが金属の棒にからまって引けど引けどなかなか動かない状態でした。他のところからも川舟の錨と思われる金属も出てきて、予想外の大量の収穫?になりました。





 護岸の柵にからみついた草も刈り取りきれいになりました。



「いつになったらきれいな川になるんだろう」「粘り強くやっていかないとなあ」「まあ、オレの生きているうちは無理だな」
 そんな会話もかわされていました。よごすのは簡単。でもそれをもとに戻すには、はかりしれない時間と労力が必要なんだなあ。


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