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お願いいたします。
「◆“あやせ市議会だより”にやっと全議員の名前が載る方向で全会派の合意ができました」の記事の続きです。
「議会運営委員会協議会」で、自民系保守「志政あやせ」と「公明党」が、議会だよりの「議案審査一覧表」に議員の名前を個々に載せるのなら、本会議での議員の討論時間の制限を同時に実施してもらいたい、と言い出して、先に進めなくなっていたことをお伝えいたしました。
“議会だよりに議員全員の名前を載せる”ことと、“議員の討論時間の制限”をいっしょに行わなければ不公平だというのです。
なにが不公平なのか、何度聞いてもわからなかったのですが、ようやく理解したことを整理すると「会派に属さない議員や少人数の会派の議員は、議案に対する討論を頻繁に行うことができて、インターネット中継などで有権者に何度もアピールできるけれど、大人数の会派は分担して討論をするので討論を行える回数が少なくて不公平だ」ということのようでした。
ようやくそのことが理解できましたので、「市の職員から賛成討論の原稿を受け取っているのに・・・」と心の中で思いつつ、私は次のような意見を述べました。(与党会派が市の職員が作成した原稿を受け取っていることは、過去の議会議事録に活字として残っていますし、複数の現職の市議の証言もあります)
①会派を代表して討論をすることは多いが、一人しか討論ができないわけではない。(現在10期目の松本春男議員によれば、過去には会派にとらわれず26人中16人くらいの議員が一つの議案に対して討論を行ったこともあるそうです:注 現在の議員数は20人です)
②討論時間に制限を設けても、討論として登壇する回数が変わるわけではないので、インターネット中継などでの露出の回数は変わらない。討論時間の制限は、発言機会の公平性になんら変更を与えないので、無意味。
③インターネット中継などへの露出回数を増やすことが目的であるなら、2~3名の会派に分けることによって目的の討論回数を増やすことができるのではないか。
特に②が決定的ではないでしょうか。
そもそも綾瀬市議会は、他の議会のように深夜まで審議が延長されるということもなく、国会の質疑で自民党の議員が般若心経を長時間唱えるというようなこともなく、各々に市民の付託を受けた議員の常識のなかで必要な論点の意見表明を行っています。この議員の討論に制限を加えるということは、市民の声が議会に届かなくなることにつながります。
数か月続いたこの問題をめぐる議論は、議会運営委員会委員長の「10年話合っても合意できそうもない」という言葉で、終了となりました。
私としては、“議会制民主主義を守ることができた”という思いです。
もし、これが強行されるようであれば、30000枚のビラを地域に全戸配布して、有権者のみなさんに問う予定でいましたが、そうならずに済んで、一安心。しかし、今後また議論が蒸し返されそうになったらすぐにお知らせいたしますので、ご支援をよろしくお願いいたします!
私もつい最近「相模湾潜水艦行動訓練区域」というものの存在を知ったのですが、1952年の安保条約・行政協定(行政協定は1960年に地位協定に)で米軍の訓練区域として提供され続けています。
海上保安庁の資料によれば、
区域:伊東市川奈崎の地点と城ケ島灯台とを結ぶ 線以北。
訓練の種類:潜水艦は、射撃訓練を除く全ての訓練を行う。ただし、模擬魚雷射撃訓練は、除外されない。模擬魚雷発射に当たっては、あらかじめ、視覚探索を行う。 模擬魚雷射撃訓練区域は、川奈崎の地点と城ケ島灯台とを結ぶ線の北側及び照ケ埼と城ケ島灯台を結ぶ線(点線)の西側とする。
と、なっています。
その現状について、神奈川県平和員会のニュースでは次のように伝えています(要約)。
神奈川県は外務省へ、同区域での訓練内容について1984年に照会したところ、外務省の回答は「横須賀に寄港する米原潜が、その寄港に際し、相模湾潜水艦行動区域を通過することはあるが、横須賀寄港と関連のないような演習等の行動は行っていない」と米軍から説明を 受けている。
しかし、最近日米合同委員会で次のような合意事項が公表されている。 「在日米海軍が訓練にともない海底に機器を設置するため、相模湾潜水艦行動区域の使用条件の変更について日米合同委員会の承認を得た」として「潜水艦訓練のために、海底に7個の機器を設置する」として7カ所の地点を指定した。(地図上の7カ所の黒点)(2017年8月24日、日米合同委員会合意) 以上要約
海底に設置した機器はいったい何なのか? 何のためのものなのか? 不明だということです。
そもそも「横須賀寄港と関連のないような演習等の行動は行っていない」と言うのであれば即時返還すべきではないでしょうか。
日米地位協定は、もともと戦後日本を占領していたときの米軍の特権をできるだけそのまま残すことを目的に結ばれたものですので、この相模湾もいまだに占領時代の超特権が続いているわけです。
軍事力で国を守るのではなく、一つ一つの紛争を話し合いで解決する国際的なシステムを作る外交の力で国を守ることをめざす真の平和を求める政権に代えていきたいと、この相模湾の実態からもあらためて思います。
1月24日、厚木基地や自衛隊の問題で市内の平和団体などと市の幹部との懇談が2件ありました。そのどちらにも私も同席させていただきました。
最初の懇談は、綾瀬市平和委員会、憲法九条あやせの会、新日本婦人の会綾瀬支部の3団体が、連名で「自衛隊員募集事務の協力において住民基本台帳の紙媒体、電子媒体での名簿提供は行わないよう求めることについて(申入書)」を綾瀬市の幹部に手渡し、懇談となりました。
この問題では、自民党公認の市議(新政会)が12月の一般質問で自衛隊にデータなどで名簿の提供を行うことを求めるなどの動きもあり、また実際に電子データなどで若者の名簿を提供する自治体もあることから、今回の申し入れとなったようです。
その申入書は別に載せるようにしますが、市は住民基本台帳制度に基づいて閲覧のみで対応するということを確認いたしました。
次に、神奈川県平和委員会の理事長と綾瀬市平和委員会の会長が恒例の新春の表敬訪問として市と懇談を行い、厚木基地の騒音が艦載機の岩国移駐後も自衛隊のP3-CやP-1などの哨戒機やヘリコプターの騒音も、他市から来た人が驚くレベルであることなど、率直な話し合いが行われました。
また、厚木基地がオスプレイの修理拠点にされてしまうのではないかという懸念も話題となりました。
1月26日の「文化財防火デー」を前に、昨日(1月24日)小園子之社で消火訓練が行われ、私も参加させていただきました。
「文化財防火デー」は、1949年1月26日早朝、現存する世界最古の木造建造物である法隆寺の金堂で火災が発生し、堂内の壁画の大半が焼損したことや、2月には愛媛県の松山城の筒井門等3棟が、6月には北海道の松前城の天守等2棟が焼失するなど半年の間に3件の国宝が火災に遭ったことで、火災などの災害から文化財を保護する必要性について議論が高まり、1955年に「文化財防火デー」と定められたとのことです。
文化財の火災と言えば、昨年の首里城の火災が記憶に新しく、こうしたことを繰り返していけないと思いながら訓練を見守りました。
小園子之社の本殿は1861年の再建で、市の有形民俗文化財に指定されています。また、拝殿の中には、1826年に奉納された絵馬をはじめ、市の文化財に指定された絵馬や額が多数保存されています。
江戸時代から200年近くにもなるこれらの文化財を後世に伝えていくことも、私たちの大切な仕事ですね。
火災を起こさないよう、万全の注意を払っていきましょう!
昨年10月に「◆あれ? 綾瀬市の市議が2人足りないよ!~「あやせ市議会だより」に全議員が載っていない不思議」というブログで、綾瀬市議会の実態をお知らせいたしましたが、この件の反響は大きいものがありました。
その反響のすべてが「なんでそんなおかしなことになっているの?」という疑問と、早く改善してほしいという要望でした。
その後も毎月1回は、「議会運営委員会協議会」を開いて、この課題を議論してきましたが、自民系保守「志政あやせ」と「公明党」が、議会だよりの「議案審査一覧表」に議員の名前を個々に載せるのなら、本会議での議員の討論時間の制限を同時に実施してもらいたい、と言い出して、先に進めなくなっていました。
ん???
なぜ、議会だよりに議員全員の名前を載せるのと、議員の討論時間の制限がいっしょに決められなければならないの??
それに、時間制限て、どういう内容?
いくら説明を聞いてもその因果関係が不明でしたので、12月末の議運協議会で、私が「このままでは先にまったく進まないので、議案審査一覧表の議員名の記載についてと討論時間の制限について各会派の考えを一覧表にしてまとめてから1月に議論しよう」と提案しました。
年が明けて、その一覧表を見て、私はびっくり!!
討論時間について、「志政あやせ」は「会派に3分(無会派も含む)+所属議員数×1分」、「公明党」は「1人〇分×会派人数」とあったからです。
この問題は、長くなりますので、次のブログ記事に書くことにします。
さて、1月の議運協議会では、各会派が提出した意見を話し合った結果、「審議結果一覧表」に全議員の名前を入れる方向で全会派の合意がようやく取れました。
今後は、2月に「議会の申し合わせ事項」の関係個所の修正を行うことまでが決められました。これによって、5月に発行される「市議会だより」から紙面が改善されることになるのではないかと期待しています。
綾瀬市では1月13日に写真のように成人式が綾瀬市文化会館大ホールで開催されました。
新成人のみなさん、あめでとうございます!!
今年の新成人は819名で、式に参加された方は557名(参加率68%)でした。ちなみに、昨年は新成人841名。596名(70.7%)ということでした。
新成人が受け取るお土産?の袋を見せていただいたところ、「働くときの基礎知識」というパンフも入っていました。(このパンフは市のホームページにもアップされています)
実はこのパンフは、私が一般質問で若者にしっかりとした労働基本法などの知識をもってもらってブラックバイトなどの被害にあわないようにと作成を求めて実現したものですが、成人式や中学校の授業などで活用されています。
欲を言わせていただくと、タイトルも「ブラックバイトの被害にあわないために!!」などのインパクトのあるものにならないかなあ、とか、もっと読みたくなるような編集・構成にしてほしいなあ、と思うのですが、みなさんはご覧になられていかがでしょうか?
今年も消防出初式が綾瀬市文化センター駐車場で開催され、来賓として参列しました。
ときどき太陽が顔を出してくれると温かみを感じることができる絶好の天候でした。風もなく、これまでで一番寒くない式典だったように思います。
昨年も災害の多い年でした。今年は災害のない年でありますように!
ちなみに、昨年の市内での災害発生件数は下記のとおりでした。
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
今年も、人類の進歩の方向を見据え、社会福祉の推進、平和を守る活動、災害に備えるまちづくりを3大活動として取り組んでまいります。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、私は昨年還暦を迎え、還暦の目標として「初の海外旅行」をめざしましたが、昨年の12月にギリギリかなえることができました。
もっと明るいところに行けば、という周りの声も多かったのですが、私は、大学時代から日本の近代史をちょっとかじってきたものとして、戦前、日本軍が犯した大きな過ちの地をこの目で確認したいという思いがありましたので、迷わず南京をめざし献花をしてきました。
南京虐殺というと、“南京大虐殺はなかった”という歴史の真実をないことにしてしまう右派の論壇の活動が激しいのですが、当時南京攻略に加わった多くの兵士の戦場で書かれた日誌などの一次資料を見れば、少なくとも数万人の捕虜や一般市民が乳幼児を含めて日本軍に殺されたことは明らかです。
以下の写真は、侵華日軍南京大遭難同胞紀念館(しんかにちぐんなんきんだいとさつぐうなんどうほうきねんかん)での写真です。この追悼施設は、日本では南京大虐殺紀念館と言われています。冒頭の写真は、記念館の入口にある犠牲者のモニュメントです。
また、実際に虐殺が行われた揚子江の沿岸にも近づくことができましたので、その写真も載せておきます。
2月には、南京訪問の報告会も行われる予定ですので、整理が進んだら、このブログでも少しずつ報告をしていきたいと思います。
▲多くの犠牲者の写真が・・・・
▲日本軍が南京を攻略したときの進路
▲イメージ絵ですがこころが痛みます
▲南京の市民を守るために南京安全区国際委員会が
結成され、「南京安全区」がつくられました。
委員長にジーメンス南京支社の支配人である
ジョン・H・D・ラーベが就きました。
そのラーベ像。映画にもなっています。
▲実際に1万人以上が殺された幕府山と揚子江のあいだ
▲上の写真の地点から揚子江を写しました。
▲右に見えるのが幕府山。正面が揚子江。
近くの南京長江大橋の展望台から写しました。