かながわ考古学財団調査報告33」より
つい先日のブログで、綾瀬市に旧石器時代の遺跡がある、ということを記しましたが、今回は、綾瀬の弥生文化は、どうやら愛知県三河地方からの集団移住によって伝えられたのではないか、というお話です。
これは、11日午前、「神崎遺跡を考える会」の2月例会に参加させていただいて、講師の西川修一先生(県立旭陵高校教諭)から教えていただいたことです。もっとも、先生は、考古学の中には史料を現代に都合のよいように解釈しているものもあるので、眉に唾をつけて聞いていたほうがいいこともあります、とのことでしたが、2世紀ごろ三河地方の弥生人たちが相模川をのぼって綾瀬の地に定住したことは間違いなさそうです。
なぜそう言えるのかというと、それが神崎遺跡から出土した土器にその根拠があるのです。その土器は、愛知県豊橋市の遺跡から出土した土器とまったく同じ様式だったのです。このことを西川先生は「綾瀬市神崎遺跡の衝撃」というタイトルでお話しくださいました。
同時に、いま日本全国にある貴重な遺跡が高速道路などの開発で次々に破壊されていることを嘆かれ、この神崎遺跡も第二東名高速道路が計画通り建設されれば消えてしまうことを示唆されていました。文化財を保護する立場に立つ方が一人でも多くなることを先生と同じように願わずにはいられません。あなたは?