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古代ギリシャでは贅沢な生活が一般であり、
食事は肉食中心、デザートには甘いケーキが
何種類も出るという、美食を限りなく追及して
いた。
そうして時間をかけて大量の食事を取るために、
人々は横臥して食事をした。
そのために当時は料理人の地位が高く、裕福な
家では何人もの料理人を抱えていた。
しかしソクラテスはそんな食事はばかげている
という。
健康な人の住む理想的な国家からはほど遠い、
それはむしろ食べ過ぎて胸やけを起こしている
国だというのだ。
健康な国ではものは多く必要ないが、胸やけ国では
猟師、漁師、あらゆる道具を作る人が必要になる。
ソクラテスが理想の食事として「パンやオリーブや
チーズ、野菜の煮物やイチジク」などを挙げると、
グラウゴンという人物は皮肉っぽく答える。
「そのようなものは、ソクラテス、あなたが豚の国を
建設なさる場合に食べさせる飼料と、一体何処が違う
のですか?」
当時のギリシャの食事は「大宴会」であり、食事は
三つのコースに別れ、肉魚を中心としてワインを飲むのは
第一のコース、第二のコースはお菓子やデザート、そして
もう一つのコースがあり、その合間にゲームなどを
して過ごすのである。
グラウゴンはその全てが国家にとって必要なものであると
言う。
そしてソクラテスはそれを満たすならば国家がどの様になって
いくかを問い続ける。
「こんな暮らし方をすると、医者の数もずっと多く必要に
なるのではないか。」
「そうですとも。」
「領土にしても、前の国家では住民を養うのに充分であったが、
とても充分ではなくなって、小さすぎるであろう。」
「仰る通りです。」
「そうすると、食料を収穫するのに土地を確保しようとする
なら、隣国の土地を一部切り取って自分達のものにせねば
ならぬ。
勿論隣国も同様にするであろう。実際に必要以上に、無限に
財貨を獲得する事に夢中になるとすればね。」
「ええ、どうしてもその様な事になります、ソクラテス。」
「そうなると次に来るのは戦争という事になるだろうね。」
「その通りです。」
この後も戦争になるという事はどういう事か、それによって
人々の生活がどう変わるかという会話が続いていくのだが、
ともあれ贅沢の行き着く先がソクラテスによって示されて
いるのである。
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キリスト不在のクリスマスが増大していますが、クリスマス
パーティーなどに参加して時折、人々の祝いの中での喜びが
減少した様に感じられます。
昔は祝祭日には必ずその意味に対する認識が強かったという
事もあるのでしょうが、現在は平日と祝祭日の境界が曖昧に
なりつつあるという面もあるのかもしれません。
昔は年に数度の祝祭日であったからこそ可能であった食事や
贈り物などが、現在では望む時にはいつでも可能となり、
生活面や経済面では確かに豊かになりましたが、反対に
感激というものが失われつつある様に思われます。
ですからクリスマスパーティーなどに出席して、人々が
平気で食事を残したり、贈り物を頂いて一時関心を寄せても
すぐに放り出したりする姿が毎年の様に見受けられます。
贅沢が当たり前になってしまったという事なのでしょうが、
古代ギリシャや古代ローマと重なって見えてしまいます所が
あります。
古代ギリシャでは贅沢な生活が一般であり、
食事は肉食中心、デザートには甘いケーキが
何種類も出るという、美食を限りなく追及して
いた。
そうして時間をかけて大量の食事を取るために、
人々は横臥して食事をした。
そのために当時は料理人の地位が高く、裕福な
家では何人もの料理人を抱えていた。
しかしソクラテスはそんな食事はばかげている
という。
健康な人の住む理想的な国家からはほど遠い、
それはむしろ食べ過ぎて胸やけを起こしている
国だというのだ。
健康な国ではものは多く必要ないが、胸やけ国では
猟師、漁師、あらゆる道具を作る人が必要になる。
ソクラテスが理想の食事として「パンやオリーブや
チーズ、野菜の煮物やイチジク」などを挙げると、
グラウゴンという人物は皮肉っぽく答える。
「そのようなものは、ソクラテス、あなたが豚の国を
建設なさる場合に食べさせる飼料と、一体何処が違う
のですか?」
当時のギリシャの食事は「大宴会」であり、食事は
三つのコースに別れ、肉魚を中心としてワインを飲むのは
第一のコース、第二のコースはお菓子やデザート、そして
もう一つのコースがあり、その合間にゲームなどを
して過ごすのである。
グラウゴンはその全てが国家にとって必要なものであると
言う。
そしてソクラテスはそれを満たすならば国家がどの様になって
いくかを問い続ける。
「こんな暮らし方をすると、医者の数もずっと多く必要に
なるのではないか。」
「そうですとも。」
「領土にしても、前の国家では住民を養うのに充分であったが、
とても充分ではなくなって、小さすぎるであろう。」
「仰る通りです。」
「そうすると、食料を収穫するのに土地を確保しようとする
なら、隣国の土地を一部切り取って自分達のものにせねば
ならぬ。
勿論隣国も同様にするであろう。実際に必要以上に、無限に
財貨を獲得する事に夢中になるとすればね。」
「ええ、どうしてもその様な事になります、ソクラテス。」
「そうなると次に来るのは戦争という事になるだろうね。」
「その通りです。」
この後も戦争になるという事はどういう事か、それによって
人々の生活がどう変わるかという会話が続いていくのだが、
ともあれ贅沢の行き着く先がソクラテスによって示されて
いるのである。
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キリスト不在のクリスマスが増大していますが、クリスマス
パーティーなどに参加して時折、人々の祝いの中での喜びが
減少した様に感じられます。
昔は祝祭日には必ずその意味に対する認識が強かったという
事もあるのでしょうが、現在は平日と祝祭日の境界が曖昧に
なりつつあるという面もあるのかもしれません。
昔は年に数度の祝祭日であったからこそ可能であった食事や
贈り物などが、現在では望む時にはいつでも可能となり、
生活面や経済面では確かに豊かになりましたが、反対に
感激というものが失われつつある様に思われます。
ですからクリスマスパーティーなどに出席して、人々が
平気で食事を残したり、贈り物を頂いて一時関心を寄せても
すぐに放り出したりする姿が毎年の様に見受けられます。
贅沢が当たり前になってしまったという事なのでしょうが、
古代ギリシャや古代ローマと重なって見えてしまいます所が
あります。