宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「人間有情」

2006年12月05日 | Weblog

チベット仏教の瞑想などでは、自らの肉身への
執着の根を絶つ瞑想などがありますが、肉身に
対する執着を絶つ事、また死を観想する事などに
対し、仏系といくつかの教えの流れを総合した
気功では次の様に説明されています。

「自分が今世にある事が容易な事ではなく、
また自分の存在が極めて微小なものである事が
認識出来る。
そのため死想観を行うのならば、友愛、慈悲の心を
持ち、人や天を損なう行為を止め、人生を意義ある
ものにしようとする様になり、他人を喜ばせるだけで
なく、自分も楽しく過ごす事が出来る様になる。」

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