宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「人の顔 それぞれの相」

2006年12月18日 | Weblog

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水野南北氏は十八才の頃に酒代を得るためにある
悪事を働いて、捕えられて入牢した時、牢内にて
入牢する者達と、娑婆で普通に労働する世人との
相貌に際立った相違がある事を見出し、それ以来
観相学に興味を抱いた。

出牢の日に観相家に己の顔手の観相を乞うたところ、
「貴男は一年ほどの間に剣難で死ぬ相が現れている。」と
言われ、更にこの難を逃れる唯一の方法は出家であると
言われた。

驚いて、その足で禅寺へ行って得度を願うが、住職は
断る口実として、「雲水の修行は苦しいものであり、
これからの一年間に麦と白豆のみの食事を続けたならば
入門を許し弟子にする。」と言った。

命惜しさからそれ以後好きな酒も絶ち、麦と白豆だけの食事を
続け、沖仲仕をして暮らしていたが、その一年後に禅寺に
行く前に以前に観相を乞うた観相家のもとを訪ねると、
驚く事に「以前の険難の相は不思議になくなっている。
何か大きな功徳をしたであろう。
人の生命を助けたとか、困っている人を救ったとか、
または神社仏閣の修繕の助力などをしなかったか。」と
尋ねられた。
「別に人の命を救った事はないが、ある御坊の教えに従って
食事を麦と白豆だけにしている」と言うと、観相家は
「食事を節する事は大きな陰徳積みである。
それが相までを変えたのだ。」と言った。

出家する必要がなくなった氏は、それよりも観相家を
志すべきである事を決心し、研究のために諸国遍歴の
旅に出た。
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水野南北氏は江戸時代の中期に活躍された人相、手相の
研究家で、運命学者でありますが、「食は命であり、
食の慎しみ方によって運命がわかれる」とされて、
人間の食を基本として人を観ておられたそうです。

現在ネット上でもその教えに関する沢山の紹介が
見られますが、どれも考えさせられますものであり、
また個人の食が社会や地球にも関わってくるという事が
感じられます。

・「大いに成功・発展の相があっても、怠け者でずるく、
酒肉をたのしんで精進しない者に成功・発展はない。」
・「人格は飲食の慎みによって決まる。」
・「倹約は吉であるが、ケチは凶。」
・「無病の相であっても、若い頃から美味を好み、
毎日の様に美食する者は、老いては消化器系を病み、
食べたくても食べられない病気となる。」
・「肉体労働者は一見自分のために働いている様で
あるが、実はそうではなく、世のため人のために菩薩の
働きをはたらいているのである。
ゆえに自分以上の分以上に大食しなければ、その働きを
為す事が出来ない。
だからその働きの強弱に従って食の大小を定めるべき
である。」
・「常に身の程以上の美食をしている者は、例え人相が
吉であっても運勢は凶である。」
・「人間には天より与えられた一定の食事量がある。
これをみだりに貪り食うものは、天の規律を破るもの
である。」

こうした事を見ますと、現在のやや極端な美食を追及
しますグルメ志向と、社会における問題の増加はどこか
までかつながりがある様に感じます。
現在は「食べる」と言えば、栄養価や味覚や価格に対する
見方が大部分ですが、食するという行為全体や精神性を
見直すべきであるかもしれません。
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