宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

梵鐘の響きⅡ

2006年12月03日 | Weblog
「写経中は無心となり、苦悩より
離れる事が出来る」という理由から写経を始める女性も
少なくない様ですが、こうした報告もあります。
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「私達夫婦は結婚して七年になりますが、夫が浮気を
はじめとして、"飲む、打つ、買う"のそれはひどい
非行をはじめました。
家庭はめちゃめちゃになり、家に一円のお金がない様に
なっても、夫は非行を全く止めようとはしませんでした。
そのうちそれをいさめる私に暴力をさえはたらく様になり、
浮気相手の女性を家にまで連れてきた事がありました。

私は二人の子供を道連れに、ガス自殺を図りました。
でも私も子供も死ぬ事ができませんでした。
私は自殺未遂を四回も繰り返しましたが、それでも
夫の非行は改まりませんでした。

私は子供達を実家にあずけて、家出同然で京都に行き、
尼寺で"写経をする事によって人間の苦しみが救われ
ますよ、悪い人間が立ち直る事もありますよ"との話しが
胸の中にとても強く響き、写経をしてみようという気持ちに
なりました。
せめて一分一秒でも苦悩から逃れたかったし、苦悩を
忘れる事が出来たら、と思いました。

安い半紙を購入して写経を始めてみると、確かに嫌な事
全てを忘れる事が出来、心の安らぎを得る事が出来ました。
私は尼さんが言っていた様に、自分についてまわる不運、
不幸を除こうという様な考えは持ちませんでした。
ただ一生懸命写経する事によって、わずかの間でも
苦悩を忘れたい、忘れる事が出来ればそれで充分だという
気持ちで書きました。

夫の非行が改まる様子は少しもありませんでした。
相手の女性から頻繁に電話がかかる様になり、また
サラリーローンの返済の催促の電話が毎日の様にかかって
くる様になり、私は電話ノイローゼになっていました。

ただひたすら書きました。
私はついに千巻を書き上げ、尼寺に奉納しました。

確か千二百枚を超えた頃だったと思います。
夫の様子が変わり始めたのです。
それまでは酒の臭いをさせながら午前二、三時に
ならなければ帰宅しなかった夫が、ある日夕方
六時過ぎに酒の臭いもさせずに帰宅しました。
私は喜ぶのも忘れ、どこか身体の具合でも悪いのでは
ないかと心配になりました。
夫は笑いながらどこも悪いとことはない、ただ家に
帰って食事がしたかったと言います。
久しぶりに親子四人で食卓を囲むと、無性に泣けて
きました。

でもいつまた非行が始まるかと内心恐れていました。
しかし一ヶ月過ぎても非行は始まりませんでした。
非行はピッタリと止まってしまったのです。
どうしてそうなったのか、色々と考えました。
でも思い当たる事と言えば、一心不乱にやってきた
写経しかないのです。

私が一生懸命に写経する姿を見た夫は、机に向かい
合って一緒に始めてくれました。
ある時夫が何時から、何のために写経を始めたのかを
尋ねました。
私が正直に答えると、『そうだったのか……』とだけ
答えました。

夫婦の写経が丁度百巻になった時、夫がその尼寺に
行く事を言い出しました。
子供も一緒に家族四人で新幹線に乗りました。
『ようございましたね。写経の功徳を御受けになって。』
尼さんがそう言ってくれました。
その尼さんの優しい眼、そして心から喜んでくれる言葉が
私の胸を深く突き動かしました。
夫もその言葉にうつむき、目頭をおさえていた様です。

夫は以前にもまして優しい夫、良い父親となりました。
そして毎日一日一巻を目標に、夫婦そろって写経をして
います。」
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写経の動機やきっかけに関わらず、とにかく続けて
いく事で、時に運命の上に明るい展開が開けていくという
事がある様です。

写経は寺院では厳格な作法に則って写経が行われますが、
個人が自宅で行う場合などはさほど厳格でなくても
よい様で、また筆ペンやサインペンで、写経用紙ではなく
半紙やノートに行われている方もいらっしゃいます。
鉛筆は避けた方が良い様ですが、葉書に写経して知人に
送られた方など、色々な方法がある様です。

写経では通常最後に願文を記しますが、「我に艱難辛苦を
与え給え。」と書かれる方がいらっしゃいます様です。
それを称賛される方もいらっしゃるかもしれませんが、
個人的にはそれよりも日本国や世界の安泰や人々の幸福を
願うなど、そうした事を祈る方が良い様に感じます。
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