宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

華姫と六郎太

2008年04月12日 | Weblog
九州の民話です。

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戦国時代のことです。
企救郡西谷の永野良義の城は、落城寸前でした。
必死で許婚の桜丸の名前を呼ぶ目の不自由な女性がいました。
良義の娘、華姫です。姫は熱病のため、目が見えませんでした。
姫が呼んでも、桜丸の声はありません。

家来の六郎太は、姫を城の外へ連れ出そうとしました。
しかし、姫は「桜丸さまと一緒でないといやです」と言って動きません。
六郎太は、「私が桜丸さまを探してきます。」言うと、自分の喉を切り、
声を変えて桜丸のまねをして、連れて逃げました。

二人は、香月音滝山の白縫の滝で生活を始めました。
目の病気に御利益がある「白縫の観音」があり、六郎太は姫の目に
光が戻るように願をかけていました。

そんなある日、ついに追手に発見されてしまいまた。
六郎太は姫のため、一人で戦いましたが、かなわず殺されてしまいました。
姫も逃げる途中谷底へ落ちました。

姫はどうにか命だけは助かりました。
その時姫は、不思議にも目が見えるようになっていました。
姫は、必死で桜丸を探しました。
しかし、姫の目にしたのは桜丸ではなく、死んでいた六郎太の姿
だったのです。

その後、姫は尼になって生涯、六郎太の冥福を祈りました。
六郎太が畑を耕したこの地を「畑」と呼び、「白縫の観音」を
「畑の観音」と呼ぶようになりました。

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華姫は目が不自由であったとの事で、どのようにして遺体を見て
それが桜丸ではなくて六郎太であるとわかったのか、と一瞬考え
ましたが、「目に光が戻るように願をかけていた」という事なので、
二人の顔を見知っていたという事と解釈しました。

素晴らしい御話と思います。



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「白砂の 袖折り返し恋なれば」

2008年04月12日 | Weblog
(画像はクリックされましたら拡大します。)

80年代の出版された少女用のおまじない本を眺めると、
少女達の関心が最も高いのはやはり恋愛のおまじない
なのですが、その中でも、意中の人や憧れのアイドルの
夢を見られるおまじないというのが意外と多い事に気づきます。

日本では昔から、眠る前に「白砂(しろたえ)の 袖折り返し恋なれば 
いもの姿を夢にし見ゆる」と唱えて、意中の人の事を思いながら
就寝すれば夢の中にその相手が登場すると伝えられていますが、
こうした心情は古今東西変わらぬ普遍的なものかもしれないと
感じました。

また昔のおまじない本では更に見たい夢別のおまじないというものが
紹介されていて、

「ベットの上の天井に好きなアイドルのポスターを
貼り、目が疲れるまでまばたきせずにそれを見つめ、お嫁さんに
なれますようにと一言と唱えて眠れば、そうした夢が見られる」

とか、

「眠る前に左手の小指に赤い毛糸でリボン結びをしてから
深い深呼吸を一度して就寝すると、ステキな夢が見られる」

などというものがあり、効果の方はわたくしは知りませんが、
内容を眺めていて、考案者の必死さが感じられてしまいました。

非常に変わった所では「空を飛ぶ夢を見るおまじない」というものも
ありました。

それは、

「白い紙にROLOR OBUFO LUALU OFUBO ROLOR」
と5文字×5文字に四角く書いて枕の下に入れて眠る」

という、縦から読んでも横から読んでも同じである「魔方陣」を
書くという事ですが、こちらの方も効果のほどはわかりません。

しかし「空を飛ぶ夢」というのは幾つかの神秘学において重視される
ものであり、そうした夢を見るためのおまじないという発想に関しては
少々興味深く感じました。


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「ブルース・リー 不死身のドラゴン」
http://jp.youtube.com/watch?v=UZVRyWebkKw

ブルース・リーはわたくしが生まれる前に死去しており、わたくし
自身はリアルタイムで見る事が出来ませんでしたが、アメリカ人の
ごく一部の人々によって彼は今なお神聖視されていて、そうした
人達によって、彼は未だ隠れて生きており、人々の前に姿を現す
時期を待っていると信じられているようです。
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