宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

「黒猫が横切ったら……」

2008年04月25日 | Weblog
(画像はクリックされましたら拡大します。)

「黒猫が目の前を横切ったら不吉」
「茶碗に米粒を残したら目が潰れる」
「夜間に口笛を吹くとヘビがやって来る」
「夜間に爪を切ると親の死に目に会えない」

などは多くの言い伝えの中でも特に有名ですが、こうした言い伝えは
「生活の知恵」や「道徳を教える」という意味合いを持つものと、
中には西洋合理主義では単純に割り切れないような、長い歴史を
経た中での人々の経験上から見出されたものの二つがあるようです。

わたくしも知らなかった日本各地の言い伝えですが、

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「山で弁当を食べて箸を捨てて、それがウサギに舐められると
貧乏になる」
「蟹をいじめると字が下手になる」
「セミを殺すと夏負けする」
「午前8時頃の地震は日照りの前触れである」
「新しい服を着てトイレに行くのは凶」
「朝ウサギの話をすると貧乏になる」
「明四つ(午前十時)前にアブを殺すと、アブが沢山寄ってくる」
「食事の時に足や体をゆすると貧乏になる」
「夜間にお金を数えると貧乏になる」
「夜間に新しい靴や洋服をおろしてはいけない」
「足で枕を踏むと、足が曲がる」
「出がけに爪を切ると事故にあう」
「お盆にセミを取ると祟りがある」

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また世界の言い伝えでは、

「はさみを開いたままにして置いておくと、家族の誰かが
不幸になる」(トルコ)
「早食いの人はお金が貯まらない」(ヨーロッパ)
「白いボタンを黒糸でつけたり、黒いボタンを白糸でつけるのは
良くない」(アメリカ)

といったものなどがあるようです。

一方、こうした様々な言い伝えの紹介の所で何方かが、

「河原の白い石を蹴ると、三日後に悪い事が起こる。
通り魔に遭った人が5人もいる!みんな気をつけてね。」

と言っておられたのですが、これなどは単なる「行儀」を教えるという
類のものとは異なっておりますように感じました。
どんな小さな、また道端に落ちているようなありふれたものでも、
「石」は決して粗末に扱うべきではないとわたくしは子供の頃に
読みました。

コメント

「子孫に美田を残さず」

2008年04月25日 | Weblog
某所からのコピペです。

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俺んちもガキの頃、貧乏だった。
おもちゃなんて買ってもらった記憶すらない。
小遣いだってもらったことがない。

でも、食うものはなぜか沢山あった。
それは近所の人が(じいさん、ばあさん)が自分で作ったナスやら
トマトやらスイカやら、それはもう桁外れの量をくれるんだ。
理由はその頃は知らなかった・・・

うちは農地解放前までは陸軍に飛行場を提供したくらいの大地主で、
うちのじいさんは小作人の面倒見がよく近所では結構慕われてたらしい。
当時にしては、珍しく自家用車もあったらしい。

ある日、小作人の子供がひどく熱を出した。
それを聞いたじいさんは子供を車に乗せ進駐軍の医療施設へ運び、
日本の金など受け取らなかったアメリカ人に、大事にしていた明治の
20円金貨を渡し治療を受けさせたと、ばあさんが言ってた。
その後、農地解放で土地を手放す事になったのだが、それでも何町歩もの
田畑はあった。
2代目のオヤジが保証人の判さえ押せなければ・・・・


オヤジは子供の頃から贅沢に育ち働く事を知らず田畑を切り売りして
生活していたが昭和40年くらいに当時で2億円の保証人になって
全てを失くした。
その頃、住んでた家はばあさんの実家が家だけはと買い戻してくれて
なんとか生活できた

そう言えば、こんな話がある。
子供の頃、近所の家の敷地に入ってクワガタを獲っていて花壇を踏み
荒らしたんだ。
そこの若嫁さんが俺を捕まえてうちに怒鳴り込んできた。
ばあさんと二人で謝りに行ったらそこの曾婆さんが出てきて逆に
ひれ伏すように謝るんだ。

そこの子供は勉強が良く出来たんだが金がなく学校へ行けないのを聞き、
うちのじいさんが誰にも言わず金を出して学校へ行かせてたんだって。
後に、金を返しに来たんだが絶対受け取らなかったんだって・・・

そんなじいさんの御陰で俺は今でも、近所のジジババには○○様と
呼ばれている。

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「一生を終えて後に残るのは、我々が集めたものではなく、
我々が与えたものである。」(ジェラールシャ)
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