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ローマ・カトリック教会の長い歴史の中には、キリストや
聖マリアが霊的に直接その人の目の前に現われて、預言や奇跡や
何かの言葉を与えられたという聖人が沢山おり、画像の子供向け絵本に
描かれた聖カタリナ(キャサリン)も、その中の一人で、19世紀と云う比較的
近代に生きた人です。
彼女のようにキリストや聖マリアから直接何かを与えられた人と
云うのは、大抵世俗的な見地から見て、貧しい家庭に生まれたり、
早くに親を亡くしたり、迫害されたり、長期間病気に苦しめられたり、
短命だったりなど、薄倖の生涯の人が多く、そして自分がそのように
天国を垣間見たり、キリストや聖マリアから親しく言葉を受け取ったり
している事を隠そうとしても、結局何かの形で周囲に知られてしまい、
そこで更に好奇の対象となって迷惑を受けたり、虐げられたり、自分が
伝えようとする事も誤解されたりなど、色々な形で苦しむ人も
多いです。
しかし、この聖カタリナ(キャサリン)は、一生自分が聖マリアから
預言やメッセージを与えられた事を隠し通す事が出来、70歳まで
生き、亡くなる少し前より具合を悪くしても、それまでは修道院に
おける、身寄りのない老人たちの世話の他に、台所仕事や
農場の家畜の世話などの厳しい労働を続ける事が出来た人でした。
カトリックのそうした天国に接する恩寵を受けた聖人の生き方を見ると、
自分からそうした事を自慢・宣伝して回ったり、そこから金銭的・名誉的な
利益を周囲から引き出そうとしたり、自分を神聖視して周囲に尊大に
接するような人は一人もなく、結局宗教の種類や時代は変わっても、
本当に聖なる人の姿勢と云うのは、変わらないものではないかと思い
ました。
以下、この絵本による紹介です。
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彼女は19世紀の初めに農場の大家族に生まれましたが、弟が荷車から
落ちた事故で身体が不自由になり、それから一家は貧しく、生活が
苦しくなりました。
その心労と苦労から、彼女が9歳の時にお母さんが亡くなってしまいました。
それからお姉さんが修道院に入る事になって、12歳の彼女は、代わりに
農場の仕事や、体が不自由になった弟の面倒を見ることになりました。
そして手が空いた時には、お祈りをする事が大好きでした。
ある夜、彼女は忘れられない夢を見ました。
夢の中で教会で祈っていたら、年をとった神父さんが出てきてミサを捧げ、
自分をじっと見て、
「あなたはいつか、私を見つけます。
神さまは、あなたに託す一つの御計画を持っていらっしゃる。」
と言われたのです。
それから修道院に入りたい願いが強くなりましたが、お姉さんが一人既に
シスターになっていた事もあり、お父さんは認めてくれません。
それから数ヶ月して、もう一度頼んでみましたが、やはり許してくれません。
「気分を変えるために、パリのお兄さんレストランに手伝いに行きなさい」と
言われ、女給として働きましたが、お兄さんは妹の気持ちを知って、お父さんを
説得しましたが、お父さんは聞き入れてくれません。
お兄さんたちは色々と話し合って、一人のお兄さんの妻のやっている寄宿学校に
彼女を預ける事にしました。
そこで、今まで習う事が出来なかった読み書きを習う事が出来ました。
彼女はその土地で、お姉さんの修道院の会でもある「愛徳姉妹会」がある事を
知って訪れてみると、玄関に掲げられた一人の神父の絵が目につきました。
「この人は誰ですか。」
「愛徳姉妹会の生みの父、聖ヴィンセンシオ・ア・パウロさまですよ。」
「私が夢で見たのは、この方だわ!」
お兄さんが妹の幸せそうな様子を見て、もう一度お父さんを説得しました。
お父さんはとうとう、神さまの召し出しと納得して、許しました。
彼女はパリの愛徳姉妹会に入り、そこでも聖ヴィンセンシオから、これから
フランスに起こる国難と、人々の心の中に愛を灯さなければならない事が
直感的に与えられたりした他は、他の見習いの者たちと、変わらない生活を
送っていました。
ある日、いつもの共同部屋で眠っていると、天使に起こされ、深夜のチャペルに
導かれて入って祈っていると、マリアさまが現われ、これからのフランスの
国難などについて親しく話されました。
また別の日にも現われ、マリアさまのお恵みを人々に与えるため、
マリアさまの姿を刻んだメダルを作り、人々に与えられるように教えられました。
それから見習い期間を終えてシスターになりましたが、毎日の労働の中で、
どうしたら自分が聖マリアから与えられた使命を、自分が人々の注目を
浴びないで果たす事が出来るのか、マリアさまからの御告げだけを伝え
られるかを考え、一人の神父さんに打ち明けましたが、最初はただ聞き流される
だけでした、
それでも、何度か聞くうちに神父さんも信じるようになり、そのメダルを作って
配る事を許可しました。
彼女は自分の名前を決して公表しない事を願い、自分の気持ちを表に出さずに
お年寄りたちに配っていく姿を見て、神父さまは、その謙遜な態度にすっかり
関心しました。
その頃パリではコレラが流行り、何千人もの人が亡くなっていきましたが、
人々はただお祈りすることしか出来ませんでした。
愛徳姉妹会のシスターたちは、そのメダルを配布し、これを身に着けて
お祈りするように人々に教えました。
すると、突然病気が治ったり、突然神さまを信じるようになった人が
沢山出てきました。
そこで
「不思議のメダイ(奇蹟のメダル)」と専ら呼ばれるようになり、
3年後には150万枚ものメダルが製造され、ヨーロッパ中に広まっていきました。
メダルは有名になって広まっていっても、彼女は名前を隠したまま、
身寄りのない老人たちの為の寄宿舎で老人達の世話をし、そして農場の家畜の
世話や台所仕事などの重い労働をこなしました。
フランスの経済は一層厳しくなり、学校にも通えず工場で働かなければならない
子供、暴力を受ける子供たちが増え始め、愛徳姉妹会は、そのような子供たちの
教育も行い始めました。
そうした中で、人々はそのメダルがどこから来たのかを知りたがり、
愛徳姉妹会の中では、彼女がマリアさまを見た、と噂するシスターも
いましたが、そのようにおしゃべりするシスターを叱る事もありました。
1870年、フランス皇帝軍がプロシアに負け、パリ・コミューンの蜂起が広がり、
パリ中で皇帝軍とコミューンの戦いが繰り広げられ、シスター達は、双方の
怪我人の手当てを行いました。
彼女は自分が衰弱し、死の日がそう遠くない事を感じ、最後にマリアさまから
託された願いである、地球を両手に抱えたマリアさまの像を作る許可を
得ました。
「私はマリアさまの道具にすぎません。
何も知らない私をお選びになったのは、他の人ではマリアさまを疑うかも
しれないというお考えだったのかもしれません。」
彼女はその年の暮れに亡くなり、はじめてメダルの製造を託されたのが
彼女であった事が公表されました。
彼女は戦後に、聖人の列に加えられました。
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「【民主党】小沢代表のグルメレース【献金】」
http://www.youtube.com/watch?v=tzUCS2j3q_Y
既に代表は辞任していますが、不正献金に対する追求は未だ終わって
いないようです。