【総裁道山に帰る】

ξ ・_>・)
神仙道道統第四代総裁 南岳清水宗徳先生は、十二月三日
午前四時未明、道山に帰られた。
二日の水位先生の祭りを終わりし、翌三日の晩、午前四時、
西天に利鎌の月かかり、残星の余光、未だ消えざるの時、
神上りされた。
十一月二十六日朝、先生は意識を失われてより、高知市の
病院にて、再度覚むる事なく、昏々として眠り続けられた。
奥様を始め、諸人の必死の呼び掛けにも応じ給ふ事無し。
唯、昏々として眠る。
唯、昏々として眠る。
今にも目覚めて物言ふが如くにて、寝息は静かで有った。
何ら苦しみ無し。
眠る事八日、遂に覚める事なく、暁の空に昇って行かれた。

ξ ・_>・)
お互いが元気な頃、私に神仙道の後嗣になるように数度
お話しが有った。
然し、神仙の道は、人にも世にも知られず隠れ潜み修行の身、
その上神を祭って土佐路の奥深く臥龍の如く蟄居せんと思う
者に取って、本部の七面倒臭い俗用多忙さを見聞きしている
だけに、途方もない話である。
その上に当方は学も無い、道力も無い、指導者としての
カリスマも無い。
「汝自身を知れ」で「迚も迚も御冗談を」
そして、若い後継者養成の急務なる事を度々進言した。
時は流れ、昭和六十三年十二月の悲報を迎えた。
親戚の方も、古参の道士の方も、「神仙道の件、後はよろしく
頼みます」と。
この老いたる痩せ馬に重荷を全部載せて、楽々と帰ってしまわれた。
少し待てと、後追い掛けても混雑に紛れて既に見えず。
これが運命というものであろう。
清水先生は、用心深い人で有ったから、後嗣はとうに構えて
居るであろうと楽観していたのは、私の単なる希望的観測に
過ぎなかった。
昔の博徒は、一宿一飯の恩義に殉じた。
先生の処で、一体何宿何飯かと思えば、退く訳にもならぬ。
先生は実に真実の先生であったなと思う。
現在の日本の道教研究者としての学者もあるが、あれだけの
学をしておられる方は、他には知らず。
その後を誰が継ぎに来るか。
それは金力でも計略でも狡知でもなく、唯、神の導きによる人で
なければばらぬ。
その人多分若い人であろうが、其迄其迄持ち堪えねばならぬ。