「無極宝三昧経」を一部でも聴いたり 誦したりする事で
六万三昧が得られるとされます。
以下 「無極宝三昧経」の一部です。
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「曇摩菩薩(どんまぼさつ)
復問宝来菩薩言(ぶもんほうらいぼさつごん)
於化無起離誰為成主者(おかむこりすいいじょうしゅしゃ)
泥おん不生滅不遠五道(ないおんふしょうめつふおんごどう)
当来発意転住法輪浄無諸垢(とうらいほついてんじゅうぼうりんじょうむしょく)
一切衆生誰為度者(いっさいしゅじょうすいいどしゃ)
宝来答曰(ほうらいとうわつ)
快哉所問(かいざいしょもん)
欲決一切生死之根(よくけついっさいしょうじしこん)
乃如是乎(ににょぜこ)
菩薩有九法宝(ぼさつうくほうほう)
一者於化化主無主(いっしゃおかけしゅむしゅ)
二者於泥おん与生死初無相知者(にしゃおないんよしょうじしょむそうちしゃ)
三者於生死於滅無滅(さんしゃおしょうじおめつむめつ)
四者一切天上使不還生無生処(ししゃいっさいてんじょうしふげんしょうむしょうしょ)
五者当起意未起意如処住(ごしゃとうごいみごいにょしょじゅう)
六者三千大千仏刹観了無得度者(ろくしゃさんぜんだいせんぶっせつかんりょうむとくどしゃ)
七者於念無起処(しちしゃおねんむごしょ)
八者悉使三千仏刹皆取(はっしゃしつしさんぜんぶっせつかいしゃ)
泥おん意亦不喜(ないおんいやくふき)
不取泥おん意亦不瞋(ふしゅないんいやくふじん)
所以者何(しょにしゃか)
諸法無処故(しょほうむしょこ)
九者随願取羅漢我悉令発意(くしゃずいがんしゅたかんがしつりょうほつい)
若有発意求願者(にゃくうほついぐがんしゃ)
不令復還不起諸生無有還願(ふりょうぐげんふごしょしょうむうげんがん)
是為九法(ぜいくほう)
又説偈言(ゆうせつげごん)
於可無不可 (おかむふけつ)
於欲無所欲 (およくむしょよく)
所度無見者 (しょどむけんしゃ)
法転無常処(ほうてんむじょうしょ)
慧者無所説 (えしゃむしょせつ)
因度無往者 (いんどむおうしゃ)
故見大正法(こけんだいしょうほう)
世之最無有 (せしさいむう)
道者無常名 (どうしゃむじょうみょう)
故為十方宝(こいじっぽうほう)
以得無得者 (にとくむとくしゃ)
生死無有道 (しょうじむうどう)
四馬不可尽 (しばふかじん)
可意無有足(かいいむうそく)
世間悉楽之 (せけんしつらくし)
不捨不得道 (ふしゃふとくどう)
畏生無有脱 (いしょうむうだつ)
不畏無脱者(ふいむだつしゃ)
生死当挙名 (しょうじとうきょみょう)
立之為五道 (りっしいごどう)
有報無答者 (うほうむとうしゃ)
可謂為是法 (かいいぜほう)
法者本無二 (ほうしゃほんむに)
所有諦以覚(しょうていにかく)
無辺亦無幅 (むへんやくむふく)
無極不可計 (むごくふかけい)
本際如影響 (ほんさいにょえいきょう)
無有往来者 (むうおうらいしゃ)
於起無所起 (おごむしょご)
法無諸欲者 (ほうむしょよくしゃ)
生死本無処 (しょうじほんむしょ)
生死化如是 (しょうじげにょぜ)
於浄無有浄(おじょうむうじょう)
於垢無有垢 (おくむうく)
悉為十方人 (しついじっぽうにん)
断絶諸五道 (だんぜつしょごどう)
浄意若如水(じょういにゃくにょすい)
一切無瑕垢(いっさいむかく)
青黄及白黒(せいこうきゅうびゃくこく)
悉得見其形(しっとくけんごぎょう)
諸法不可呵 (しょほうふかか)
即得無上宝(そくとくむじょうほう)
吾我及与人 (ごがきゅうよにん)
世間無得者 (せけんむとくしゃ)
不住無住諦 (ふじゅうむじゅうてい)
所有諦如是 (しょうていにょぜ)
所覚無所見 (しょかくむしょけん)
世間諦如是 (せけんていにょぜ)
不度無不度 (ふどむふど)
世時誰不有 (せじすいふう)
十方立正覚(じっぽうりっしょうがく)
悉得無上宝(しっとくむじょうほう)。」