今月18日まで県立美術館分館で開かれている「平和美術展」に行きました。初日となった13日、午前11時から「平和の集い」も開かれていました。
美術展は、絵画や写真、版画、書、押し花絵、染色やパッチワーク、陶芸、能面など、多彩な作品が並んでいました。どの作品も、それぞれの作者の平和を願う気持ちが伝わるように、迫ってくるものがありました。
同時に開かれていた「平和の集い」では、長崎で自らも被曝しながら、被災者の救済にあたり、病に倒れた後も病床から「平和」を叫び続けられた医師・永井隆博士(長崎市名誉市民)の孫で、長崎市永井隆記念館館長・永井徳三郎氏の講演がありました。講演のタイトルは、「永井隆博士・如己堂からの思いを受け継ぐために」でした。会場は、参加者でいっぱい、外にあふれるくらいでした。
永井博士の人柄、被爆当時の様子、身を挺しての救援活動や、病に倒れた後も文筆によって「平和」を訴え続けられた壮絶な生きざまに、胸が熱くなりました。現代を生きる私たちには、想像を絶するような執念とも思える生き様です。
病床で1日何十枚もの「平和を」と書き続けられた、その思いをしっかり受け止めていかなければと思いました。
暑い8月、今年の猛暑は特段です。8月6日・9日、ヒロシマ・ナガサキで、炎天の下、一瞬のうちに失われた何万人もの方々の尊い犠牲の上に築いてきた今日の平和を、なんとしても守っていかなければならないと思いました。
国会では、改憲勢力が多数を占め、安倍政権は早急な改憲を息巻いています。
しかし、世論は、平和を願っています。「憲法9条を守りたい」、その圧倒的な世論にこたえ、核兵器も戦争もない社会の実現に力を尽くしていきたいと思います。
美術展は、絵画や写真、版画、書、押し花絵、染色やパッチワーク、陶芸、能面など、多彩な作品が並んでいました。どの作品も、それぞれの作者の平和を願う気持ちが伝わるように、迫ってくるものがありました。
同時に開かれていた「平和の集い」では、長崎で自らも被曝しながら、被災者の救済にあたり、病に倒れた後も病床から「平和」を叫び続けられた医師・永井隆博士(長崎市名誉市民)の孫で、長崎市永井隆記念館館長・永井徳三郎氏の講演がありました。講演のタイトルは、「永井隆博士・如己堂からの思いを受け継ぐために」でした。会場は、参加者でいっぱい、外にあふれるくらいでした。
永井博士の人柄、被爆当時の様子、身を挺しての救援活動や、病に倒れた後も文筆によって「平和」を訴え続けられた壮絶な生きざまに、胸が熱くなりました。現代を生きる私たちには、想像を絶するような執念とも思える生き様です。
病床で1日何十枚もの「平和を」と書き続けられた、その思いをしっかり受け止めていかなければと思いました。
暑い8月、今年の猛暑は特段です。8月6日・9日、ヒロシマ・ナガサキで、炎天の下、一瞬のうちに失われた何万人もの方々の尊い犠牲の上に築いてきた今日の平和を、なんとしても守っていかなければならないと思いました。
国会では、改憲勢力が多数を占め、安倍政権は早急な改憲を息巻いています。
しかし、世論は、平和を願っています。「憲法9条を守りたい」、その圧倒的な世論にこたえ、核兵器も戦争もない社会の実現に力を尽くしていきたいと思います。
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