日々のつれづれ

日々うららかでありますようにと願ったけれど、平穏な日々は続かない。
穏やかな老後は訪れるか。

遺産分割の話

2012-02-13 | 実家に関すること

これまで弟夫婦に言いたい事をたくさん抱えてきたけれど、親がいるうちは喧嘩は避けたいと言わずにきた。

弟夫婦への不満や不信は消えた訳ではないけれど、親がいなくなってしまったらどうでもよくなった。言ったからといって、気持ちを示してもらいたい父はもういなくなってしまったのだから、いまさら弟と同じ土俵に上がる事もない。上がりたくもない。

 

相続をどうするかという話は、私が父の日常費の明細を見せた時に弟から出た。

現金は1/2にしたいと言った弟は、私から不満が出ると思っていたらしい。

どうでもよくなっていた私はそれで良いんじゃないと答えた。不満が出るかもと考えるくらい、私がやってきたと思ってくれるならまあ良いか。

家については、弟が入りたいと言ってきたら私も何も言わず良いよとは言えないので、もめるかなとは思っていた。

ところが入る気は無いという。今のアパートに住み続けるつもりだと

M(義妹)さんが「あの家はY(弟)の好きにして良いってお父さんが言ってた」って私に言ったんだけど

ああ、父さんはそう言ってたな

でも私にT(ウチの息子)が入ったら良いなって言ってた事もあったんだよね

この家は父さんの想いが入ってるから、身内が住んでくれたら俺も嬉しいけど

父の想いがこもっていると言いながら自分たちが住む気は無いんだ

けれど、私が実家を相続するとなると弟の持ち分の代金を支払う事になる

私がアパート住まいなら間違いなくその話に乗って実家に移り住むのだが、現在の住居を処分して移るというのは難しい。

 

 弟が売れるだろうと思っている金額は私が思っているよりもかなり大きいのだが、金額の根拠は自分の家を売った時の代金から類推したものらしい。

弟が家を売ると決めたのは2008年も終わる頃。家が古く冬を越せないほど傷んだという理由だった。あれから3年。不動産の価値は下がる一方。これからも下がっても上がる事は考えられない。

父は現金も遺してくれたので家の分の支払いは私が相続する1/2の現金から出す事が出来るけれど、不動産市況を考えると現金の方が価値がある

 

弟の息子は他県で働いているし、実家に入る事が可能なのは私の息子だけ。

息子にとって経済的なメリットはあるが、通勤時間が3倍になるというデメリットもある。特に冬の通勤は大変だ。

私にしても幾許かの賃料は払ってもらうとしても、固定資産税等々の支払いを考えたら弟に支払う代金の回収は望めない。まあ、息子から回収しようとも思わないけれど。

 現金を手にするか、実家への思い入れをとるか。

もめたら売って折半が一番良いと思っていたが、これまでの義妹の言葉もあり  のように言われるとは考えてもいなかったので、答えは出ずに悩んだけれど私の、実家に対しての思い入れは多分深い

息子夫婦が住むと言うかどうかもわからないし、その答え次第で弟の話に乗ろうと思い決め、息子に話を持ちかけて半月余。住む事にしたいと返事があった。

色々と複雑な思いはあるが、住むという返事があったのだからそれに向けて動かなければならない

少しはリフォームもしなければならないし、大型家具は業者を頼んで片付けてもらう事になるだろう。

その前に細々とした日用品や食器は自分で整理したいと思って手を付け出したが、家の中の細々した物の多くは母が使っていたものなので、再び母を失ったようで辛い作業だ。

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四十九日を終えて

2012-02-03 | 実家に関すること

昨夜から降り始めた雪岩見沢や東北の豪雪から比べればなんて事は無いけれど、それでも大変

 

寒さは厳しかったけれど雪の降らない穏やかな日となった2月1日、弟夫婦と私たち夫婦、息子家族の7名の小さなものだったが、無事に四十九日の法要と納骨の儀を終える事が出来た。

ただ、会食も無く一時間ほどで終わったのは寂しい気がしないでもなかったが・・・

七日毎のお参りも、お寺さんが来て下さるのは初七日、三十五日、四十九日のみという事で、弟夫婦と顔を合わせて供養するのはこの3回のみ。

夫はお寺さんが来て下さらなくても七日毎に姉弟が顔を合わせてお参りしたら良いんじゃないかと言ってくれた。

けれども今回の喪主は弟なので、弟から言ってくればそうしたいと思ったけれど私からは言わなかった。でも弟がそういう風に言ってくる事は無く、お寺さんが来て下さる日以外はそれぞれ勝手に実家に行っている状態で四十九日を迎えたのだった。

 

 六ヶ月の余命と言われた父だったが、春どころか1月の誕生日も待たずに旅立ってしまった。

昨年12月17日、葬儀を終えたあと私は実家に泊まった。

体調がすぐれない夫は自宅に戻ったので、父の遺影と向き合っての寂しい食事になるかと思ったのだが、息子夫婦が一緒に食事をしてから帰ると言ってくれたので思いがけず賑やかな夕食となったのは嬉しい事だった。

その後日中は実家で過ごす私に これで最後だから大晦日は向こうの家に泊まるかと夫が言ってくれたのは年末も近くなったある日のこと。

父がいなくなり、もう実家で年を越す事は無いと思っていたのだが、夫の言葉に甘えて実家での最後の年越しをしたのだった。

年が明けて娘がお参りのために来て、空港まで迎えに行った時と帰りに送って行った時以外は毎日実家に通ったので、納骨が済んでしまったいま、実家に行って何時間も過ごす事はもう無いだろうと思うととても寂しい。

 

私がくじけそうな時、いつも背中を押してくれたのは夫だった。年末も夫が言ってくれなければ実家で年を越す事は無かっただろう。

悔いなく父を見送る事が出来たのも夫の理解があっての事と深く感謝している。

コメント (8)
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