2月6日に177mmHgになった血圧は、16日には150を超えることは無くなった。
お悔やみ欄で友人の名前を見たのは、血圧も少し安定してきたのかなと思い始めた、21日の朝。
近くに住む彼女と会うのは年に3~4度。いつでも会えるという距離なので、逆にそんなに会わないけれども、付き合いは長い。もう35年以上になる。
健康で活動的だった彼女は、生け花・パッチワーク・太極拳・健康マージャンなど趣味も多く生活を楽しんでいた。
数年前に乳がんを患い片方の乳房を全摘したが、手術は成功。後遺症もなく手術前と変わらない生活を送っていた。
その後も毎年欠かさず乳がん検診を受けていたのだが、ある年検診を忘れた。自己検診でしこりを感じて受診したところ、がんの疑いがあるけれど再発ではない と言われたらしい。
検査の結果、トリプルネガティブと言われる難治性のがんだと分かった。
効果の高い薬が狙う標的が欠けているため治療が難しくなるらしい。
治療はしないで緩和ケアを とも考えたけれど、家族のために通院での抗がん剤治療を彼女は選択して1年が過ぎた。
折悪しくコロナウイルスが社会を覆い、なかなか人と会えない状況になった。
会うのは難しくても電話で話を聞くことなら出来る。私たちは月に一度、電話で連絡を取るようになった。
12月に電話で話した時はいつもと変わらない感じだったのだが。
年が明けたら新しい化学療法を始めると聞いて、1月末に電話してみたが出ない。新しい治療のせいで体調が悪いのだろうかと思った。
その時電話に出られなくても、彼女の体調が良くなれば電話してくれるはずだったが連絡がないままに半月が経った。もしかしたら入院したのかも とも思っていたのだが。
新聞を見たその日、弔問に伺った。
悪くなったのは1月中旬で、それから3週間後に彼女は亡くなったと聞いた。
このコロナ禍で、入院したら大事な人とも会えなくなる。彼女は自宅療養を選んで最期まで自宅で過ごした。
まだ時間があると思っていた。また会えると思っていた。
彼女の顔を見て話したのは一年前。顔を見る事が出来なかったというのもあるのかもしれない。心が重くて何もする気になれない。
実は年の初めに悪天でない限り少しでも外に出ようと決めたのだが、2日経った今日も外に出る気が起きない。
いまはとても寂しい。