5月に亡くなった叔母の四十九日の法要が15日、月曜日に執り行われた。
式場は車で約一時間の距離。
気温は25度くらい。曇り空で暑くもなく、寒くもない過ごしやすい日となった。
母のきょうだいは七人だったが母と4人の兄弟は既に亡くなり、今回次女である叔母も亡くなって三女に当たる叔母ひとりとなってしまった。
参列したのは40人くらい。
叔母の義理の関係、ご近所の方。きょうだいでは三女である叔母と長男の連れ合い、姪・甥と、その配偶者。
そこで叔母の長男から個人的に話を聞くことができた。
叔母が出立するとき、親しくしているご近所の方が車で空港まで送ってくれた。
搭乗までは車いすを使い、スタッフさんの世話で機内へ。到着した時も車いすを押してもらってゲートまで来たようだ。
その時まで長男は母親がそんなにひどい状態だと知らなかったと言う。
「行くのは面倒なんだよね」
と言ってはいたが どうしても行かなきゃ という思いで息子の元へ向かったらしい。
きっとひどく体調が悪く、一人でいるのは無理と考えたのかもしれない。息子のところへ行かなければという一念だったのかと思うと切ない。
母親を看るのは自分しかいない。
母親の移転手続きをするために長男は一人で来道するつもりでいたが、叔母が一人でいるのは不安だから一緒に行くと言い出した。
その時は家の処分は考えていなかった長男だが、戻ってきた際に、叔母が家も処分すると言って不動産業者に頼むことになった。
叔母がどうしようもなく悪くなったのは亡くなる3日前だったと言う。
和室に寝ていたけれど起き上がれなくなり介護ベッド手配をしたその夜、トイレに起き、転んで立ち上がれなくなった。どのくらいの時間か腹ばいになったまま息子が起きるのを待っていたらしい。
明け方トイレの前で息子を見上げる母親を見て息子はこれまでと思ったと言う。
病院ではいつでも入院できるようにしておくと言ってくれていたのでその日入院させた。
翌日の午後、母親はスースーと寝息を立てていたが、脈が下がり終にはフラットになった。
苦しまずに逝ったと思う と。
叔母の人生も決して平坦ではなかったけれど