日々のつれづれ

日々うららかでありますようにと願ったけれど、平穏な日々は続かない。
穏やかな老後は訪れるか。

剪定の日

2011-08-25 | 実家に関すること

今年も庭木の剪定の時期が来た。

いつもシルバーさんにお願いしていたのだが、ずーっと来てくれていた人が辞めて代わりに来てくれた人がイマイチ

フジの花の剪定は今じゃなくて10月に、と言う。

時間を合わせて見に行くのは大変だから一度に済ませたいと言っても聞いてくれない

一生懸命なのは分かるけれど、自宅に次の依頼の電話まで来る←ちょっと迷惑

それでも昨年は剪定から冬囲いまでお願いしたが、今年は友人の友人の知り合いという造園屋さんを紹介してもらったので、そちらに頼む事にした。

何よりも、剪定で出たゴミは持ち帰ってくれるというのが良いと思った。

剪定で出たゴミは私が捨てますからと義妹は言うが、

剪定したからゴミはお願いねと言える関係ではない。 

言いたくない。   

 

剪定作業の打ち合わせから始まって、前日には庭に出してある鉢を除けたり外の水や電気を使える状態にしたり。

当日は朝8時頃から作業に入ると言っていたので9時過ぎに一度実家へ

終わるのは16時くらいと言うので一度自宅へ戻り、15時30分には再び実家へ

作業が終わって支払いを済ませ、家の外周を確認して

さて帰ろう、と思ったところに義妹が自転車で通りかかった

そろそろ剪定の時期、と思って気にしてくれたのかもしれないが・・・

会って少しは会話すれば、これまでの色々を思い出して不愉快な気持ちになる。

会いたくなかった

 

ゴミは捨てますと言うのに、今回は造園屋さんに頼んだのでゴミの心配はいらないと話した。

いつも色々済みませんと言うが、春に父のところで行きあった時に言われた言葉で私の心はさらに硬化して、そんな言葉も空々しく聞こえるだけ。

 

「あの家は弟の好きにして良いってお父さんは言ってたんですよね」と言ったり

だから家の管理は自分たちがしますと言うならまだ分かるけれど、それは言わない。

責任は私に、権利は弟にでは納得できる訳がないし、まだ父がいるのに何も権利がない義妹が言う事ではないよね 

しかも実家に住みたいと自分たちが申し入れてきたのに、お正月に父を一泊させるという条件が嫌で住むのを断ったくせに 


その後父を連れ帰って一泊させてくれたけれど、それを「大変だった」と言ったり

自分たちが連れて帰りたいと言いだした事なのに。

それまで何度も父を連れ帰り、弟たちが一泊させた後も連れ帰った私に言う言葉ではないんじゃない


弟たちが住む機会は何度かあった。それを断ってきたのは弟たちだ。

いま、私は時間と手をかけて実家を管理している。愛着はある。

けれどその時がきたら売却という選択が、もめないためには一番だろうと現在は思っている。

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慢性膵炎な夫

2011-08-21 | 夫と子供と孫のこと

墓参に、葬儀にと慌ただしくお盆は過ぎ、今月も夫はすい炎のため受診した。

薬の服用は欠かすことがないのに、今回告げられた検査結果は一段と悪いものだったようだ。

初めの時も余りにも数値が悪いと言われたのに、今回は外国ならすい臓移植も考えるような状態と言われたらしい。

 

病院に同行はするが、診察の際は待合室で待っている私。

医師の様子や印象は、だから夫の話からしか分からないのだが・・・

夫は「はっきり言うし信頼できそう」と言うが

どうして患者の不安をあおるような事しか言わないのだろう?

ネットで調べると食事についての注意事項などもあるが、夫に対しては禁酒の指示しか出ていない。

特有の痛みが無いからなのだろうか。

 

治療と言っても今のところは禁酒と服薬しかないと言われた夫は、来月から近くのかかりつけ医師へ戻してもらいたいと頼み了承された。

この医師が生活指導をしてくれるかどうか分からないが、悪いと言われる脂肪の摂取に私は少しだけ気を配り始めた。

 

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墓参と葬儀

2011-08-12 | 実家に関すること

今年は早めに、母の月命日になる11日に父を連れてお墓参りに行こうと思っていた。

父を連れて買物は出来ないので、前日の10日に済ませた。

そこへ電話が鳴った。

昨夜から発熱し、外出は無理かもという連絡。

9日に父のところへ行った時はいつもより元気そうに見えたのだが、尿に濁りが見られ、そのせいで熱が出たのではないかという。

たまに↑のような事はあって何度か泌尿器科も受診しているが、いつも治療の必要はないと言われるので大きな心配はしていないけれど、来年はきっと行けないだろうと思うので今回いけなかったのは残念だった。

しかし当日は今夏一番の気温を記録したので、行けなかったのは結果的に良かったのかも知れない。

 

その夜、叔母から電話があった

叔父(母の弟)が亡くなったという知らせだった。

11日の朝、胸の痛みを訴え救急車で病院に運ばれたが、そのまま亡くなったらしい。

まさか父より早くに亡くなるとは思っていなかった

この叔父に対しては良い思いはないが、それでも亡くなったという連絡を受けたら送ってあげなければならない。

お通夜は13日。告別式は14日。

父が参列できないので弟は父の名代となるのだが、14日は仕事なのでお通夜にしか行けないという。

叔父に良い思いはない私だが、父も弟も告別式に行かれないのなら私が行くしかないだろう。

 

 

まだ義母が元気だった頃、13日に行かなければ義母から呼び出しがかかるので夫の家はお墓参りはいつも13日。

息子たちも来て、一緒にお墓参りする事になっている。

今日は朝からお墓参りのための買い物、そして父の様子を見に行き、父が出すお香典や供花料を準備。

なんだか疲れた

 

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トイレ工事なう

2011-08-08 | 家計を考える

立秋というのに猛暑日が続いている

夏の始まりは気温が上がらなかったが、夏の終わりは涼しくならない・・・

 

30度を超える暑さの今日、我が家はトイレ工事中。

2年前にトイレの出水部分が壊れているのに気が付き、取りあえず便座交換で済ませた。

それで使用に不便はないのだが。

 

冬の暖房はペチカだった我が家。

浴室のボイラーを電気に変える際に暖房も電気に変えたのだが、どうにも寒い

暖房用エアコンを取りつけようかと考えたのだが、契約寸前にあの震災

 電気を使う事にためらいが生じた。

 

エアコンの取り付けを止めて、その分でトイレ工事をしよう

トイレも時々水が流れっぱなしになっている事があるし、あと何年住む事になるか分からないが、いま直せばちょうど良い時期かも。

この次に修理が必要になった頃は私たちもこの家で生活できる状態かどうか分からない。

という訳で、いまトイレ工事中

 

今日は1Fの、明日は2Fのトイレと、2日に分けての工事になる。

人の出入りがあってなんとなく落ち着かない2日間ではある。

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約束の金曜日

2011-08-03 | 友人とか近所とか

中学二年の時に仲良くしていた二人の友人、M嬢とY嬢。

結婚して東京に住むようになったY嬢から事のために帰省するので会いたいと連絡があった。

市内に住むM嬢は持病があり、会えるかどうか分からなかったが連絡を取ってみた。

普段はメールのやり取りなのだが、あまり日がない事もあり電話連絡にした

最近は病も落ち着いているので出掛けられるとの嬉しい返事で、三人で会う事に

Y嬢と会うのは38年ぶり。

M嬢とも3年ぶりの逢瀬になる。

Y嬢とM嬢が会うのは40数年ぶり

Y嬢は中学三年進級時に転校していったので、三人で会うのは中学二年時以来になる

 

楽しみにしていた約束の日は金曜日(もう5日が過ぎた)

地下歩行空間が開通したので地下を通って行ったのだが、地上に出たら方向が分からない

住所表記を確かめて歩きだしたが、何だか方向が違うような・・・・

方向転換をしたところで声をかけられた。M嬢だった

急ぎ足で歩いていた私はM嬢を追い越したのに気が付かなかったのだが、M嬢は私に気が付き声をかけようと思った。そこに私が振り返ったようだ。

二人で待ち合わせの場所に着いたら、既にY嬢が来ていた←すぐにY嬢だと分かった

あっという間に40年の時を越え、仲良し三人組に戻った私たち。

 

Y嬢の今回の法要はお母さんの三回忌であった。

兄と弟、そして二人の姉を持つY嬢だが、お母さんを看たのは独身の長女だったそうだ。

近くにいれば色々嫌な事、聞きたくない事も耳に入るけれど、私は一人だけ離れているので楽したのよ と言うY嬢。

健康にも恵まれ、経済的な心配もなく、旅行に趣味にと充実した日々を送っている様子。

 

一人娘のM嬢は大切に育てられたのだろうなと思わせる穏やかな人柄で、私の愚痴メールにも心が落ち着くような返信をくれる。

中学卒業以来、一時疎遠になった事もあったが一緒に映画を観ましょうと誘いを受けてから年に一度は会う時間を持つようになった。

が、ここ数年はM嬢の病態が思わしくなく、なかなか会えずにいた。

Y嬢からの連絡があった事で気にかけていたM嬢とも会え、楽しい時間を過ごす事が出来た。

 

楽しい時間はあっという間に過ぎる。

現実に戻ってみるとM嬢は病を持ち、病院とは縁の切れない生活だ。

介護と言うほどの介護ではないけれど、親の日常と関わるようになって既に20年。私は未だ父と実家のしがらみから抜け出せない・・・

それぞれに与えられたもので仕方がないとは思うが、ちょっと辛い気持も実はあったりする。

 

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