日々のつれづれ

日々うららかでありますようにと願ったけれど、平穏な日々は続かない。
穏やかな老後は訪れるか。

遺品を出し終えて

2010-07-29 | 実家に関すること
当日は朝から雨しかもちょっと激しい雨だった。

遺品引き取りは10時なので、9時20分ころに実家に行った。
最終点検をして段ボールの蓋を閉じ、部屋の掃除をしながら引き取りに来るのを待った。

きれい好きだった母のため、時々家の掃除をする。
最初の頃と比べると掃除の頻度は減ったが、玄関のガラスは気がついた時には拭くようにしている。
誰も住んでいない事をご近所は知っているのだから、行く度に塀の周りのゴミは拾ったり掃いたりする。
義妹もたまには来て草取りをしたりするようだが・・・

争いは信頼の無いところに起きるそうだ。
義妹を信頼していない私は、義妹の存在を感じるとこれまでの色々な事を思い出して現在でも心が乱れる。
やってくれるのは有難い、とはとても思えないのだ。


遺品を出し終えた今日、雨は一日中降り続いた。
この雨が私の心にある恨みも流してくれると良いのに、と思った日であった。





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四年が過ぎて

2010-07-26 | 実家に関すること
やらなくちゃ、と思いながら決心がつかず引き延ばしていた母の遺品のお焚き上げ。
三回忌が済んだら・・・と思いながら、三回忌が済んで更に二年も過ぎてしまった。
衣類などは形見分けを済ませて、四十九日が明けた後に早々にお焚き上げしたのだが、気持ちの整理もつかない時にやってしまったので失敗したと思う事も無いではない。けれどもあの時だから出来た事で、そうでなければ現在も片付かないままだっただろう。
その後、少しずつ家の中を整理していたら母の手芸材料などが出てきた。
初めは「いつか出来る日が来る」と思っていたのかもしれない。
日が経って「もう出来ない」と分かっても捨てる決心がつかなかったのだろう。

母はとても手先が器用だった。若い頃は東京で洋裁を学び師範免状も持っていた。

私が幼い頃は母の手作りの洋服を着たものだし、人に頼まれて家でミシンを踏んでいたのを覚えている。
手芸なども大好きで、色々な物を作っていた。
几帳面で丁寧だったから、母の作ったものは誰に上げても喜ばれたものだ。
残念ながら私は母の器用さを受け継ぐ事は無かったのだが・・・

働く女性だった母は、退職した後は趣味の時間を持ちたいと思っていたようだが、リウマチという病を得たため手先を使う事は出来なくなった。
晩年は自分の体を支えるために補助装具を身につける事になった。
 胸から下を支えたものと、両足首を固定したもの

最初のお焚き上げの時には母を苦しめた装具を焚き上げて、母のもとに送る事はいらないと思っていた。
けれどいま母を苦しめたにしても身体を支えてはくれたものだから、きちんと焚き上げしようと思いなおした。
ゴミとして捨てる事は気持ちが許さないという事もある。

気がつけば母がいなくなってから四年も経つ。いつまでも引きずっていても仕方がない。
遺品を出す手配をすればどうしてもやらざるを得なくなる。そう思って電話で依頼したのは今朝の事。
29日には遺品引き取りに来てくれる。
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リピート

2010-07-20 | 趣味の時間
曇天ではあったが32度まで気温が上がった18日、日曜日。
施設の前庭で夏祭が行われた。13時ころに父の所に行ったが、やはり「痛いからいい、行かない」と言う。
それを宥めて何とか連れ出す事が出来た。
最初の演目は父が好きなはずの和太鼓演奏。
毎年出演してくれるグループで、海外遠征などもしていて素晴らしい演奏を披露してくれるのだが、やはりそれが終わるまでは持たず「部屋に戻りたい」と言いだした。
仕方がない。外に出てくれただけでも良しとして部屋に連れもどった。


そのあと、近隣の高校の吹奏楽部の演奏を聴いたが私にもこんな時代があったのだなという感慨に襲われた。
もしもあの時代に戻れたら・・・
という思いは、今読んでいる本に影響されたものだろう。
 乾 くるみ 「リピート」
                            

現在の記憶を持ったまま過去に戻る事が出来るという誘いを受けた9人の人たち。
自分の一番戻りたい過去に戻れるのなら・・・けれども戻れるのは10ヶ月前でしかない。
それでも9人は2度目の10ヶ月を過ごすことを選択する。
もう2度と前の人生には戻れない。この10カ月の過ごし方がその後の人生を変えるはず。

けれども彼らを待っていたのは相次ぐ不審死だった。
一緒に戻った仲間が次々と死んでゆく。
誰が、何のために

まだ半分くらいしか読んでいないが、今後の展開が楽しみだ
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夏祭り

2010-07-16 | 実家に関すること
今年も夏祭りの時季がやってきた
今年、父のいる施設では三連休の間の日曜日がその日。特に予定が無い私は良いけれど、三連休の中日ってどうなんだろう

夏祭りは今年で6回目になる。
初回は母と共に参加したが、翌年は母の急逝で不参加。
父が入院していて参加できない事が1回あったので、4回目の参加になる。
夏祭りが近くなると父の所へ行く度今度の日曜日は夏祭りだからね。一緒に出るんだよと言い聞かせて、本人も「うん」と返事をするのだがさて当日。
なかなかベッドから起き上がろうとしない父を連れ出すのは大変
何とか連れ出しても10分もしないうちに部屋に戻ると言いだす


出来れば家にいて寛ぎたい日曜日の午後なのに父が喜ぶならともかく、居室から出たがらないのを無理やり引っ張りだす事を考えると、せっかくの夏祭りも心が重い
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「おばあちゃん」

2010-07-09 | Weblog
最近は孫にも「おばあちゃん」と呼ばれるのを嫌がる女性が増えたようだ。
40代でおばあちゃんになった友人は「○○ちゃん」と名前で呼ばせていた。
孫が少し大きくなると「よそでは○○ちゃんと言わないように」と言い聞かせる事になって失敗したと言っている。


水曜日に友人とランチした
彼女のお孫さんは小学校3年生の女の子と幼稚園の男の子。
先日、近くの小川で孫が金魚を捕ってきた。自分の家では飼えないのでおかあさんに聞いてごらんと母親に言われて、孫から電話が来た。
かわいい孫の頼みで彼女が金魚の飼育をする事になった。
聞いた瞬間は分からなかったが、おかあさんとは彼女の事。つまりおばあちゃんだけれど「おかあさん」と呼ばせている

近所の男の子はおばあちゃんのことを「マミー」と呼んでいる。
それも母親を表す言葉だ。



やっぱり私は「おばあちゃん」で良い。
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人生相談

2010-07-05 | Weblog
昨日、午後から雷が鳴り響き暫くしてスコールのような雨が降った
そのせいだろう。今日は気温も上がらず外出時には軽いジャケットが必要なくらい。
だが、7月も平年より高い気温が続くそうだ。
最近は湿度も高く、北海道のさわやかな夏はどこへ行ったの

日曜日、午前中は暑かったのだが、その暑さの中を相も変わらず夫はゴルフに行った
私は一時間ほど草抜きをした後、コーヒーを飲みながらゆっくりと新聞を読んだ

家庭欄に載っていた人生相談。相談者は68歳の女性。
私はきれい好きできちょうめん。しっかり一人暮らししています。15年前に一人息子が結婚。嫁はあいさつもできず、料理など家事全般ダメです。いつか世話になるとも思い、金銭的な援助を惜しまず、孫の面倒も見てきました。ところが最近、嫁が私に居留守を使う事態が発覚、私の我慢とストレスも限界に達しました。息子はここ数年で明るさを失い、嫁を諭すこともできません。私は息子を忘れる決心をしました。正しい決断でしょうか。

回答者は女性の精神科医。
『嫁が悪いと責めることはせずいさぎよい決心をした事には感心しました。問題は次の二点です。
息子を当てにしない老後を覚悟する事。
息子たちとの今後の付き合い方をどうするのか。


相談者が思い描いてきた息子と「さよなら」して、今度は息子と良く似た、時々わが息子と間違えてしまいそうな男性とその妻との新しいお付き合いの始まりで、新しいお付き合いなのだから距離を持ったほうが良いのでは。
この日を、息子を忘れるとともに若い家族と出会った記念日として、ひそかに盛大にお祝いされる事を勧めます』

相談者を責めるようなことはせず、受け入れた上で息子に頼らず距離を置いた付き合いを勧めるみごとな回答。

私が友人から↑のような相談を受けたとしたら・・・
息子を忘れるって本当に出来るの?忘れる気持ちがあるなら距離を置いて付き合えば良いのよ。頼まれもしないのに頻繁に顔を出すから嫌われるんだから





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