日々のつれづれ

日々うららかでありますようにと願ったけれど、平穏な日々は続かない。
穏やかな老後は訪れるか。

春はすぐそこ

2013-03-19 | Weblog

両親のお墓へ行く道は途中吹きさらしになって危険なので、雪道の時季はお墓参りには行かない。

例年なら3月は雪も解けて走りやすくなるので月命日になる11日にはお参りに行くのだが、今年は雪が残っているうえに更に降ったものだから行く事ができなかった。

でも昨日は6度という気温で雨今日も暖かく、陽射しもあった

心が元気ではないので出かけたくなかったけれど、お彼岸でもあり重い腰を上げて出かけた。

道路の両側にまだ雪の壁があり、それが溶け出して道路には水がたまっている。大きな道路は良いけれど、住宅街に入ると歩行者が気になる。歩いている人に雪解け水がはねては大変だ。

 

月に一度、投薬を受けるために近くの病院へ行く。

明日は祝日なので、今日か休み明けには行かなければならない。

出来るだけ歩いて行こうと心がけているのだが、道路はぐちゃぐちゃで歩きにくい。一度帰宅してから歩こうかと思っていたけれど、お墓参りのついでに病院へ

昨日の段階で積雪は103cmだったが、今日の好天で二桁まで減るだろうと思う。

もう3月も下旬になるのに、この積雪 でも、春はすぐそこ

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3.11

2013-03-11 | 実家に関すること

2年前のこの日、私は父のところにいた。

二人並んでベッドに腰掛けて話していたところに大きな揺れ

驚いて居室から廊下の様子を見ていたら、父が「テレビをつけてみろ」という。

東北地方の地震と知ったが、被害の大きさはまだ分からなかった。

大きな地震だったので無人の実家も気になり、父のもとから実家へと向かった。途中、娘からひどい揺れだったけれど大丈夫?とのメールが入った。この時は地震の被害の大きさも、首都圏の交通の乱れもまだ予測できなかった。

被害の大きさを知ったのは自宅に戻った17時過ぎ。

娘とも連絡はとれなくなったが、揺れのすぐあとにメールを交わして無事を確認出来ていたので心配は少なく済んだ。その日娘は会社に足止めとなったという事を知ったのは、翌日。携帯の災害伝言版によってだった。

交通が遮断され徒歩で帰宅した人もいた事を知った後では、会社に足止めされた事はラッキーだったと思った。

2011年3月11日

この日の映像を見ると胸が苦しくなり涙もにじんでくる。混乱の日々を思い出す。

それと同時にまだベッドに座る事が出来、テレビをつけるという判断も出来た父の事を思い出す。

この日から数ヵ月後にはベッドから起き上がることも難しくなり、10月に受診した後は気を抜けない日が続くこととなった。疲れに押しつぶされそうになりながら父を見守った、辛く切ない日々を思い出す。

 

 

 

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春の嵐

2013-03-04 | Weblog

3月になってようやく春の兆しと思ったら、2日は大荒れ となった。

当市では朝のうちは良い天気だったが、11時前から急に風が強くなり一転荒れ模様に

オホーツク海側では車が立ち往生するほどの猛烈な地吹雪となり、母子4人が雪に埋もれた車内で排ガス中毒となり亡くなったり、車から降りて自宅や知人宅を目指して歩き、行き倒れて亡くなるなどの痛ましい事故も起きた。

車から降りて近くの知人宅を目指した父娘が発見されたのは3日の朝で、父親は9歳の娘をかばうように抱きかかえていたという。父親に抱かれていた娘は助かったものの、父親は亡くなった。

 

昨年11月、室蘭の停電で冬季に暖房が使えない怖ろしさを実感したが、今回も停電した地区もあった。

もうすぐ2回目の3・11

いまある生活がこれからも続くという保証はないという事を、改めて思うこととなった。

 

        合掌

 

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