朝9時半ころ電話が鳴った
我が家の電話はナンバーディスプレイ。見ると登録していない番号だけれど、同じ区内からの発信だ。
もしかしたら知り合いかもしれないので、区内からの発信だったら受けることにしている。
もしもし
かあさん!
え・・・(間違い電話かな?)どちらへお掛けですか
切れた。
間違い電話ではなくて、オレオレ詐欺だった
朝9時半ころ電話が鳴った
我が家の電話はナンバーディスプレイ。見ると登録していない番号だけれど、同じ区内からの発信だ。
もしかしたら知り合いかもしれないので、区内からの発信だったら受けることにしている。
もしもし
かあさん!
え・・・(間違い電話かな?)どちらへお掛けですか
切れた。
間違い電話ではなくて、オレオレ詐欺だった
ちょっと良い本だよ、と言われて手に取ってみた「老いる覚悟」
私より17、8歳も年長の森村氏だが、まだまだお元気なのだろう。
老いても社会との接点をもとう、それも覚悟だと著者は言う。
それはそうなのだろうが、社会との接点を持つことができる体力と気力があるうちは大きな問題は無いのだ。
『孤独死や孤立死は最も不幸な死だ。家族や人生の戦友や仲間から置き去りにされる寂しさに耐える覚悟なき余生は無責任な孤立死につながっていく(159ページ)』
と氏は書いているが、誰も孤独死したいとは思っていないだろう。
体力が衰え、外出もままならなくなる。
子供たちも遠く離れ、兄弟も近くにはいない。頼りたくても頼れる人がいない。覚悟なんて言わなくても受け入れるしかない。そんな状況にある人もいるのだ。
私の父は6年の施設での生活の後、最期は病院で迎えた。
母に先立たれたあと5年も生きることができたのは施設のスタッフさんが良くして下さったこともあると思う。とても良くして頂いたのだけれど、それでも私は施設には入りたくない。
母はヘルパーさんの助けを借りて一人で生活していたが、最期は突然やって来た。
その前日、私は母の病院に付き添い、銀行で支払いしたいと母が言うので銀行に寄り、近くのファミレスで一緒にパスタを食べた。
翌日10時頃、お昼を用意して母のところに行こうと考えていた時に電話が鳴った。義妹から母が倒れているという連絡だった。
すぐ実家に向かったが既に息は無かった。朝起きて、着替えをしているところで倒れたのかもしれない。カーテンは引かれたままだった。思い出すといまでも切なくなる。
夫を送ったあと、一人で生活している私を子供が訪ねてきて、冷たくなった私を発見する。それは死後何日か経っているかもしれない。
認知症になったり、寝たきりになったりしないで最期は孤独死も辞さない。
それが私の老いる覚悟だ。