日々のつれづれ

日々うららかでありますようにと願ったけれど、平穏な日々は続かない。
穏やかな老後は訪れるか。

社会の底辺に落ちてゆく恐怖

2010-03-30 | 趣味の時間
三日間の休暇を終えて出社した主人公だが、オフィスビルから会社が消えていたという冒頭から、どのような展開が待っているかワクワクしながら読み始めた「会社が消えた日」
著者は水木楊。
ビルはあるのだが、勤務する会社があるはずのフロアには別の会社が入っていて、自分が勤める会社はどこにも無い。
上場されているはずの会社の名前は株式欄から消えている。
給料も支給されなくなった一ヶ月後、元の場所に会社は現れたのだが・・・
社員は誰も彼の事を知らず、彼が座っていた部長の椅子にはライバルが。
自分の立場を認めてもらおうと悪戦苦闘するのだが、誰一人相手にしてくれる人はいない。
会社から存在が認められないため給料の支払いはなされず、失業保険の受給もできない。職を探そうにも過去の勤務経歴が消えているためどこも採用してくれない。
住宅ローンを抱え、日々生活していかなければならないのに収入の当ては無い。
社会の底辺に落ちてゆく恐怖。

社会の底辺に落ちてゆく恐怖といえば、少し前に読んだ乃南アサの「ニサッタ、ニサッタ」
帯には「最初の会社を勢いで辞め、二番目の会社が突然倒産し、派遣先をたて続けにしくじったときでも、住む場所さえなくすことになるなんて、思ってもみなかった。ネットカフェで夜を過ごすいま、日雇いの賃金では、敷金・礼金の三十万円が、どうしても貯められない。失敗を許さない現代社会でいったん失った「明日」をもう一度取り返すまでの物語」とあり、読書欲をそそられた一冊


ある朝、会社の入口に事業を停止しましたという張り紙が一枚。この現実が無いと言い切る事が出来るだろうか。
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4月から保育園

2010-03-10 | 夫と子供と孫のこと
育児休暇中の娘は、4月にベビーを保育園に入園させたいと考えました。ギリギリまで育休を使ったのでは保育園に入園させるのが難しい。年度替わりの4月、しかも0歳児なら入りやすいということで、幾つか見学の上何箇所か申し込んだようです。

娘の住む地区は待機児童の多い激戦区。希望するF保育園は一番人気。
娘がF保育園を希望する理由は園庭が広い。そして何より、自宅から近いこと。娘がゴミ出しをする集積所はその保育園の傍らです。
ベビーの検診の時、あるいは保育園見学の際に一緒になったお母さん達からも情報収集をして、F保育園に入れたいけれど無理だろうなと思っていたようです。
送迎を考えて、駅に向かう途中にあるH保育園は第2希望。駅を過ぎて行かなければならない保育園は出来れば避けたい。でもどこも入園できなければ困るので第3希望として駅向こうの保育園を記入し、さらに未認可の保育園にも申し込んだのは昨年の事でした。

市では申込者の状況を点数化し、その点数によって入園の可否を決めるのだそう。
親と同居だと入園は無理。市内に親がいればそれも減点の対象になる。それでも親が65歳以上だと減点にはならないそうで、娘の場合は同居だけれど減点対象外。

保育園の入園決定は2月末で、娘を送って横浜へ行った時に決定通知書が届きました

F保育園に入園を許可という嬉しい知らせでした
なんて運のよい子なんでしょう


入園説明会は3月6日に行われ、婿殿はそれに合わせて帰宅して夫婦で出席したようです。
入園前に準備するもの、作らなければならないものも数あり、そして母乳育児の娘は入園までにベビーが哺乳瓶でミルクを飲めるようにと言われたのですが、哺乳瓶ではなかなか飲んでくれず苦労しているようです。
ベビーの世話をしながら入園準備しなければならないのは大変

掛け・敷き・毛布にそれぞれ2組必要だというカバーはスナップ留めのものというので、手作りしなければなりません。
エプロンも袖なしで紐は不可。
1ヶ月足らずの間に生地を買いに行って、それを縫って

体調も万全とはいえない娘ですから、手作りしなければならないものはこちらで用意してやることにしました。
幸い、直線で縫えるものは任してと言う友人がいるので、カバーは彼女に頼み、エプロンは私が縫うことに。

娘からが届いて10日。
まだ準備は整っていません。もう暫く時間がかかりそうです。



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楽しい時間の後

2010-03-06 | 夫と子供と孫のこと
娘を送っていく予定の、22日を目前にした19日(金)の夕方になって娘の顔が赤いのに気がつき額に手を当ててみると熱い
熱を測ってみると39.9度もある
17時を過ぎているけれど診察をお願いできないかと思い、私が通っている内科に電話したら
母乳を飲ませているなら薬は出せないしね。解熱剤で熱を下げるくらいしかできないと言われ、診察はしたくないよう。
それなら出産した病院で診てもらえないだろうかと娘が電話してみるとすぐ来てください
診察の結果風邪ではないと言われ解熱作用のある漢方薬が処方されましたが、発熱の原因は分からないまま
土・日をはさんで月曜日に戻る予定なので帰れるかどうか心配しましたが、漢方薬が効いたのか6度台まで熱が下がったので予定通り出発しました。
婿殿もその日に合わせて休暇を取り、羽田まで迎えに来てくれる事になっていたので出発できたのはホッとしました。



私は二泊して水曜日に帰宅する予定でした。
ところが水曜日の朝、娘は微熱がある
私が娘宅を出るのは10時の予定。9時に病院へ行ったとしても時間に余裕がない
娘も心細いようだし、帰宅を一日延ばして病院に付いていくことにしました。
診察の結果、考えられるのは髄膜炎
けれどピークは39.9度の高熱を発した時だったと思われ、すでにピークは過ぎている。本当に髄膜炎であるかどうか検査するとなると大ごとになるし、このまま経過を見ても良いのでは
と、やはり漢方薬を処方されました。

翌日、心を残しながら帰ることにしました。
娘は散歩がてら最寄りの駅まで送ってくれる予定でしたが、ベビーが寝てしまったので玄関先で別れることに。

私が娘宅を出たのは2月25日、午前10時でした。
羽田に向かうバスの中から見た景色はガスがかかっているよう。
空港に着くとものすごい混雑です。
羽田、濃霧のため離発着できない
私の乗るはずの便は12時30分発。その便以降の搭乗手続きは一時ストップと案内板に表示されています
搭乗手続きが開始したら案内するので列に並ばずに近くにいてくださいというアナウンスが流れていましたが、今後の見通しが立たないのなら詳しく説明が聞きたいと思った私は列に付くことにしました。

私の順番が来てすでに搭乗手続きが済んだ11時の便に僅かだが空席があります。まだ搭乗の目途が立っていないし欠航になるかもしれないけれど便の変更は出来ますがと。
12時30分の便より11時の便のほうが飛ぶ可能性が高いようなので変更してもらって搭乗口へと向かいました。
最終的に搭乗したのは15時ころ。千歳空港に着いたのは17時過ぎで、我が家へは18時30分ころに着きました。

とにかくその日に無事に帰ることができ、また日常が始まりました
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楽しい時間 2

2010-03-05 | 夫と子供と孫のこと
戸外に出るのが好きなベビー。日に一度は外に連れ出したいと毎日出かけました。
冬道を歩いて滑っては危ないので、車でのお出かけでしたが
出かけるついでにほとんど毎日実家の様子を確認して、父のところへも週に2回は行く。それでも日中オリンピック番組を見る余裕もあり、娘とゆっくりお茶する時間も

六ヶ月を過ぎたベビーは何にでも興味津々。娘と私が作った雪だるまにも手を出して
雪に触れさせると冷たさに泣くのではないかと思ったのですが、泣くどころか嫌がりもしません。

ベビーを抱くと私の着衣を小さな手でつかむんです。幸せの重みを感じました。

夕食前には入浴させるのですが、娘が先にお風呂に入って準備ができたら私がベビーを連れてゆき、入浴が終わったらタオルを持ってベビーを迎えに行きますお風呂場の戸をあけると、アヒルのおもちゃを握って私の顔を見上げニッコリと笑うベビーの笑顔はなんとも心が和むものでした。
でも、お風呂場では笑ってくれても居間に連れてくると激しく泣くことも多くありました。
ママを追うようになったみたいです。

そんな楽しい時間はあっという間に過ぎて・・・


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