母が存命の時に見せてくれたので、実家に古文書があるのは知っていた。
けれどその由来について聞かなかったので、両親ともに亡くなった今は知るすべがない。
両親が亡くなったあと、私はそれを保管していた。
ちょっと見てみたところ尼港事件についての記録で、戦死した人の名前の記述もある。十数枚の原稿が綴じられ、原稿の綴じ目には日本陸軍と書いてあるのが分かる。もしかしたら貴重な資料であるかもしれない。どこかで調べてもらったら良いのではないかと思い、何年か前に街まで出たついでに新聞社を訪ねてみた。
昔は案内嬢がいてしかるべき部署につないでくれたものだが、その時は警備員がいるだけで案内もしてくれなかった。
これはまだ手放す時期ではないという事かもしれない。そのまま帰宅した。
それから数年が経った今年、いつも利用している隣市の図書館で「古文書相談」をしていると知って、お盆が過ぎたころ本を借りるついでにカウンターに立ち寄った。
が、そこでは地域の古文書を主にしているとの事で北海道資料館を紹介してくれた。
北海道資料館は道庁赤レンガ内にあるが、改修のため9月いっぱいで閉館、資料館は移転すると言う。
たまたま9月に友人とランチの予定があり、その時に立ち寄ろうと資料館に電話して約束を取り付けたのだが、夫の体調が悪くなり友人との約束はキャンセル、資料館にもキャンセルの電話をした。 資料館に出かけたのは改修のために閉館間近となった9月末。
10日ほど経って
館内で検討したところ、貴重な歴史資料でありぜひ当館に寄贈していただきたい、との合意を得ました。そこで資料をご寄贈いただけるかお伺いする次第です。
との連絡があった。
親が遺したものが有意義に活用されるのであればと思って私は寄贈を申し入れた。
何度かメールでのやり取りがあったあと、寄贈資料受領書面が送られてきたので必要事項を記入して送り返したところ、10月25日に知事の名前で受領書が送られてきてこの件は終了した。
「何分にも役所なので手続きに時間がかかるかもしれない」と言われていたが、一か月ですべての手続きが終わった。素早い対応であったと思う。
尼港事件とは
ロシア革命後の1920(大正9)年3〜5月、アムール川河口の港町ニコラエフスク(尼港)で、駐留していた旧日本軍や在留邦人約700人、資産家階級のロシア人数千人がバルチザン(不正規軍)に虐殺された。旧ソ連政府は事件後、責任者を処刑。賠償を求めた日本は北樺太を保障占領した。