16日、とうとう父にモルヒネの投与が始まった。
42歳で頸椎損傷という大きな怪我を負い痛みとの闘いが始まった父だったが、晩年になって更なる痛みを抱える事になるとは思ってもいなかった。
もう会話する気力も無い父。
意識を保つ事よりも、痛みの軽減を最優先とすべきだろうと思う。
16日、とうとう父にモルヒネの投与が始まった。
42歳で頸椎損傷という大きな怪我を負い痛みとの闘いが始まった父だったが、晩年になって更なる痛みを抱える事になるとは思ってもいなかった。
もう会話する気力も無い父。
意識を保つ事よりも、痛みの軽減を最優先とすべきだろうと思う。
7日は少し復調したかと思われた父。
一日くらい行くのを止めて体を休めようかとも思ったのだが、8日もやっぱり行った。
7日よりもさらに調子がよさそうで、昼食も3口くらい食べたので一安心と思った。
お昼が済んだ頃義妹が来たので、私はいったん帰宅。自分のお昼を済ませてから実家の様子を見に行こうと、先ずは一服
そこへ電話が鳴った
義妹からで父の血圧が急激に低下したと言う。施設医が診てくれているが来れますかと。
施設に着いたら父は酸素吸入中。施設医が、検査入院したT病院に受け入れてもらえるように連絡を入れ、救急車を要請したところだった。
T病院に着いてレントゲン撮影と血液検査の結果は、肺炎と心不全。
いままで何回も入・退院を繰り返してきた父だが、いつも施設に帰る事が出来た。けれど今回はもう帰る事は出来ないだろうと思う。
肺炎や心不全が治っても、悪性の病に侵されて痛みのコントロールが必要な状況が予測されれば老健での受け入れは難しい。
7年近く暮らした老健を去らなければならないと考えたら胸が痛む。
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結局、この日の昼食が父が口にした最後の食事になった。
10月29日に退院して施設に戻った父。
ちょっと疲れたようだったけれど、そのほかに大きな変化は無いように思えた。
ところが
日曜日の午後から体調は下り坂
検査で入院していた間に脱水がすすんだらしい
日曜の夜には最高血圧が60にまで下がり、尿も全く出ないという。
点滴で水分補給をして翌日には血圧も100まで上がったが、どうも軽い幻覚があるようで気分もハイテンション。
よく話すのは良いのだが、ろれつが回らないので聞きとるのに一苦労する。
パンが食べたいとか、りんごが食べたいなんて言うので施設から買物に行って戻るなんて事もあったりした。
娘宅から戻って毎日父のところへ通っているので、なんとなく疲れが抜けきらないのだがのような状況なのでやっぱり行く。
検査結果を聞きに行く事になっていた4日。朝のうちに父の様子を見に行ってそのまま病院へ行くつもりで出かけた。
父は3日夜から状態が悪くなり、意識障害も出てきた。血圧は低めながら安定しているものの、呼びかけても応えない。
心配ではあったが検査結果を聞きに病院へ行った。
しかし採取した2ヶ所の細胞は壊死していたため明確な診断はまだ出せないと言う。PET検査の結果については右鎖骨下の腫瘤に高い反応が見られるとの事で、腹膜に転移の可能性も高いようだ。
更に血液検査の結果ではガンマグロブリンの値が高く、骨髄腫の可能性が最も大きい。
一週間後に組織染色の結果が出るので、詳しい結果は来週という事だったが、その朝の父の様子ではこれから一週間持つかどうかも危ぶまれると思ったのだが。
点滴の効果が出てきたのか、2日間目が覚めない状態だったのに呼びかけに反応するようになったのは6日の事。
食事は摂れないので、ギリギリだった体力は更に落ちた。
ハイテンションの状態は無くなり、呼びかけに対して出る言葉は痛いだけとなった。
父が悪性の病気に侵されて今後さらに痛みがひどくなるのなら、意識がはっきりとしない状態の方が良かったのではないかと思ったりする。
慣れた場所で生活させたいとは思うが、老健で出来る処置は限られている。
11日に検査結果がはっきりしたら次の父の行き先を探す事になるだろう。