日々のつれづれ

日々うららかでありますようにと願ったけれど、平穏な日々は続かない。
穏やかな老後は訪れるか。

退会を決めた日

2014-06-18 | 友人とか近所とか

不慮の出来事があったので記事にするのが遅くなったけれど、5月に行われた全8回の講習会が終了して1ヶ月近くになる。

2回目の講習日に、講習の始まる少し前にKmさんがやって来て後ろの方に椅子を出し、講習が終わるまで見学していた。

その前日にKmさんから「あなたの顔を見に行こうかな」とのメールが来ていたのだが、まさか講習会の間中いるとは思わなかった。

 

Kmさんとの関わりを持ちたくない私は、もうサークルに戻る気は無い。

一時から見ると会員数は半減した。募集してもなかなか集まらないようだし、入会者がいても定着しない。このままじり貧になってサークルは維持できなくなるのではないか。そう思って休会のままきたのだが、の事が決め手となって退会を決心した。

先生には言いやすいのだが、Kmさんに退会を伝えるのは気が重い。ずるずると休会で来たのもそのせいなのだ。

これまでも、ご主人を亡くして辛いので退会したい という人にも「暫く休会してまた来て」と言い、しつこく様子伺いのメールをしたり自宅にまで訪ねたりしたと聞いた。なので退会に際してはそれなりの理由が無ければ不愉快な思いをするだろう。

ある日思いついた

Hちゃん(孫)は春から幼稚園に行き始めた。ちょうど良い。ママが働く事にしよう。幼稚園が終わった後、私がHちゃんを預かる。これまでに預かった事もあるのだし、それはKmさんも知っているのだから納得を得られるだろう。

理由は出来た。あとはいつ言うか。

そんな時、友人からアドバイスを受けた。彼女もサークルに加入していたが、Kmさんの行動に辟易して退会した経緯を持つ。

講習会で先生に会うのだから、先に先生に話しておいたら 

あ~、そうだよね。先に先生に話を通しておけばKmさんにも話しやすいかも。

講習最終日は地区センターの人と話の交換をしなければならないはずなので、前の回の28日に「事情があって、もうサークルに行けなくなりました」と伝えた。さっぱりした性格の先生は「あら、そうなの。残念だね。でもまた(アシスタントを頼みたい時)電話して良い?」と、深く聞いてくる事もない。

「Kmさんにはまだ話していないので6月のサークルの日に挨拶に行きます」と先生には話したのだが、講座の最終日の朝にKmさんから電話があった。

講座が終わるのでサークルを立ち上げよう という話があれば先生が講師を引き受けるって言うんだけど、音頭を取る人がいないみたいなんだよね。あなたに相談したいと思って。

  

何を私に相談しようと言うのだろう。 サークルを立ち上げるかどうかは受講している人の問題で、私には関係ない。

電話が来た時は厭だなと思ったのだが、でもちょうど良かったのかもしれない。サークル立ちあげの件については「私には分からない」と答え、の理由で退会したいと伝えたのだが

じゃあ、今度はあなたの家に遊びに行くわ

 

Kmさんにも伝えたし、もうサークルに顔を出さなくても良いかなと思ったりもしたが、先生に「6月のサークルの日に挨拶に行きます」と言ったし、私の参加を待っていてくれた人もいる。小さなお菓子を用意して6月第1週に出向き、簡単な挨拶をした。

こうして無事に退会の運びとなってホッとしたのだったふなっしー*ヒャッハー*ヒャッホー*うれしいナッシー*キュート*梨汁ブシャー のデコメ絵文字

 

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不在の寂しさ

2014-06-09 | 友人とか近所とか

我が家のベランダはお隣の道路から玄関に至るアプローチに面している。

お隣の奥さんは用事がなくても出たり入ったりする人だった。そして顔見知りが通りかかると声をかける。顔を合わせることは無くても、ベランダ越しに見かけない日は無かったと言って良い。

私や夫が外に出ると、かなりの確率でお隣の奥さんも出てきた。最近は自分の悩みや体調の悪さを訴えるだけだったが、それ以前はご近所の誰彼の話をしてくるのだった。それが嫌だったのだが、全く出入りがなくなって顔も見られなくなってしまうと寂しい気持ちがわき上がってきた。

昨日は初七日になるのでご主人と娘さんが来ていたが、葬儀が終わって小さな箱に納まった奥さんが帰って来て、その日からご主人は娘さんの所に行ったようだ。2日間、お隣の出入りが全く無いのだ。隣人となって40年近くを過ごしたのだから、姿を見る日常が当たり前になっていたのだと気付く。

 

昨日から読み始めた桐野夏生さんの「だから荒野」

46歳の誕生日を家族で祝おうとレストランを予約した主婦。夫と息子の身勝手な言動に、ディナーの席を途中退席したまま家に帰らない決心をする。

夫や子供の身勝手さに家を出ていく話は、お隣の奥さんの心情を彷彿とさせる。

体調が悪いと訴えても心配もしてくれない身勝手な夫。子供も親身になってくれず、分かってくれる人は誰もいない。仕事を辞めた後にこんなに辛い日が来るとは思ってもいなかった。74歳という年齢ではやり直す事も考えられない。人との交流を求めたけれど、結局誰も分かってくれない。・・・その絶望を思うとやり切れない。

 

土曜日から夫が留守で食事の支度から解放され、時間があったというのも気持ちが落ちる原因なのだと思う。夫が帰宅して、また日常の生活が戻る。そして日常の生活を繰り返すうちに、この寂しさも薄れていくのだろう。

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お通夜のあと

2014-06-07 | 友人とか近所とか

お隣の奥さんのお通夜が執り行われた日。参列者の中に、故人と仲の良かったK夫人の姿を認めた。町内の葬儀の際はいつも故人と一緒だったK夫人だが今日はひとり。向こうも私に気が付き、隣同士で席に着いた。

後ろの席から話し声が聞こえる。

もう年なんだから仕事を辞めたらって言ったら、孫の借金を返さなきゃならないから辞められないと言ってた。

あんなにあちこち病院へ行って、反って悪いんじゃないかと思っていた。

度胸があるよね。

などと漏れ聞こえてくる。

お隣の奥さんが仕事を辞めて、まだ半年ほど。午前中だけ、徒歩10分ほどの場所にある事務所の清掃の仕事をしていた。

「辞めようかなと思う」と言われる度に

「近いし、午前中だけなんだもの。働けるうちは続けた方が良いんじゃない」と私が言うと

「そう言って応援してくれるのは奥さんだけだ」と笑っていた。他の人に言うと「もう年だから辞めた方が良い」と言われるのだと話していた。

 

読経が終わって故人の生い立ちに触れ、最期の様子については散歩に行くと家を出て事故に遭われた。家族が懸命に探したが2日の午後○時○分に亡くなられた と言及。

多くの人が単なる事故ではないと感じているには違いないけれど、家族が懸命に探したとの文言はどうなのだろう。

 

斎場は歩いても10分かからない。帰路は故人と仲の良かったK夫人とご一緒した。

道路が一本違うのでいまは滅多にお会いする事は無いが、K宅の近くに娘の友達がいたので娘が小さかった頃は○ちゃん、○ちゃんと言ってK夫人に可愛がってもらった。私がパートに行っていた頃は同じバスに乗り合わせるのでよく話もした。随分前にご主人を亡くし、遺されたご主人のお母さんを最期まで世話された穏やかな人だ。

その後大変な病を得たとはお隣の奥さんから聞いていた。いまも病院通いは続いている。

お隣の奥さんが一番頼りにしていたのはK夫人だろうと思う。

病院ではどこも悪いところが無いと言われる。だからご主人も娘さんも本人の我がままだと言って相手にしなかった。

電話がきて話を聞いていたら、後ろから娘さんが「そんなに悪いんだったら救急車呼んでやる」と怒鳴るように言うんだよね。

 

 K夫人の話を聞いて、家族にも理解してもらえないのでは本当に辛かっただろうなと思った。母親の事を一番心配してくれるのは娘さんなんだから と私は言ったけれど、お隣はそうではなかったんだ・・・

二人の娘さんは、どちらも遠くない距離に住んでいながら両親の住む家に滅多に来なかった。一番来たのは孫さんだ。どうしようもない孫 と言いながら可愛くて可愛くて仕方なかったようだが、娘さんには「お母ちゃんが甘やかすから(悪くなった)」と言われるんだと話していた。娘は母親に対してきついけれど、でも心配するのも娘なのだと思っていた。

最近は開口一番「痩せたっしょ」と言っていたが、もともと小太りの奥さんだったのが半年足らずの間にひどく痩せた。どこも悪いところは無いと言われても、半年足らずの間にあれだけ痩せたのだ。旦那さんはともかく、娘さんも心配しないとは思わなかった。

 

誰も分かってくれない事に疲れたのか、希望を失ったのか。こんな結末を迎えたのは本当に切ない。

 

 

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お隣の奥さんが亡くなった

2014-06-05 | 友人とか近所とか

5月20日に我が家を訪ねてきたお隣の奥さん。

翌週、ゴミ出しに出た私がゴミステーションから戻るのを待ち伏せるように家の前にいて「どこも悪くないと言われるけれど胃が痛くて食べられない。眠れない」と訴える。

どこか悪いところがあれば納得できたのかもしれない。悪いところを治せば体調も良くなると信じる事もできただろうから。けれど何ヶ所もの病院を受診して検査しても、どこも悪いところは無いと言われる。

「あまり考えない方が良い。考えすぎると余計悪くなるから」と言うと「そうだよね」と頷いたけれど、かなり精神的に行き詰っている感じは受けた。

それでも元気そうに出かけるのを見かける事もあって、良かったと思っていた。

 

6月2日の夕方、娘さんたちが出入りしてお隣の家がバタバタしているなと思った。夜は電気が点かなかったので、また奥さんが入院したのだろうかと思ったけれど何も言ってこないのはおかしい。

翌日も私が買い物に出るのと入れ違いに娘さんとご主人が家に入って行った。

夫が帰宅したので

「まさか亡くなったって事は無いよね?」

「この前も元気そうな姿を見たぞ。それは無いだろう」 と話したのだが・・・

翌4日、友人に「公園の花を見に行こう」と前の週から誘われていたので猛暑の中を出かけ、15時ころ帰宅したらお隣の家に葬儀社の車が来ている。ああ、やっぱり・・・

 

17時過ぎに2日に亡くなったと訃報の回覧が回ったのでお参りに伺った。

娘さんは「ちょっと元気になって出歩くようになったのだけど、出先で事故にあって」と話してくれた。

 

5日朝刊のお悔み欄では5日通夜 6日告別式 亡くなったのは4日と出ていた。2日に亡くなったはずなのに新聞には4日と出たのはやっぱり自殺じゃないかと口にする人もいる。

ウチの夫にも「もう死にたい」と言ったようだし、我が家を訪ねてきた時にも「自殺だ」と口にした他でも同じような事を言っていたのだろう。そんな噂が出るのは仕方が無い。私だって言わないだけでそう思っている。

 

「あまり考えない方が良い。考えすぎると余計悪くなるから」

「そうだよね」

と交わした言葉が、最後の会話になった。

好きとはいえない人だったが、その寂しさを思うと気の毒でならない。

 

今夜はお通夜だ。最期のお別れに行かなければならない。

 

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