日々のつれづれ

日々うららかでありますようにと願ったけれど、平穏な日々は続かない。
穏やかな老後は訪れるか。

雪の一週間

2008-01-28 | Weblog
先週月曜は5時起き、火曜・水曜と4時起きで、それだけでも疲れたのに連日の雪かきでクタクタです。
23日(水)の積雪量は45cmだったのが26日18時で84cmにまで
平年より27cmも多くなってしまいました

メイさん、大丈夫かな


24日はPCサークルだったのですが、朝から降り続く雪   なのに除雪車は入らず、サークルへは歩いていこうかなと思ったほど。いままで車が埋まった経験のない私は、もし埋まって立ち往生しても抜け出す自信がない
出かける前に雪かきして、時間がなくなったので結局車で行って無事に帰宅しました。帰宅して夕食の支度をし、また除雪
この雪で生活道路は車一台が通るのがやっと。幹線道路だって二車線が一車線の状態。

そんな中、25日は用事を足しに出かけ
幹線道路から生活道路に入り我が家までもう少しという所で、あるお宅の前に駐車車両が すり抜けていく幅がありません
よっぽどそこまで行ってピンポ~ン 車が通れない迷惑だわよって言ってやろうかと思いましたが、腹立ちを抑え見通しの効かない中バックしてグル~ッと回って帰宅しました

前に進むのだって危険な雪山、それをバックするなんて本当に危険

そして26日は終日雪でした前日3時から26日18時までの降雪量は30cmを超えました
平年以下だった積雪量もこの一週間で平年を上回るほどになりました

週が明けて、今日はプラスの気温になりそうです。もし今日も真冬日だったら20年振りの真冬日連続記録になるのだそう
少し気温も上がって、雪もひと段落で今週は過ごしたいです



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あれから3年 その2

2008-01-25 | 実家に関すること
父を見ていた間、本当に力になってくれたのはケアマネさんです。毎日来てくれるヘルパーさんにも助けられました。

その間、義妹も朝か夕方に来て買い物などしてくれたりしました。
既に父がオムツになっていた時、夕方に来た義妹が私が買い物に出かけようとしているのを見て私が行って来ますと言ってくれたので吸い飲みとオムツを頼んだのです。
薬局は往復しても15分、30分もすれば帰ってきてくれると思いました。
父のお尻をきれいにしてやりたかったのですが父はじっとしていないので一人でするのは難しい。手の痛い母とするより義妹に助けてもらいたいと、その帰りを待ちましたが1時間たっても戻ってきません。
結局母と二人でやったのですが、義妹が戻ったのは2時間後
自宅に戻って夕食を済ませてきたって
買い物を届けてから自宅に戻る事も出来ただろうし、そうでなくとも自宅に寄ってくるって一言がほしかった

義妹にとっては結局他人事。そう思ったのはちょっと遡って今後の両親の暮らしをどうするか、弟夫婦と話し合いを持った翌日の朝でした。

まだ父に幻覚や攻撃性が出ていない時、私が泊まるようになってすぐに弟夫婦と話し合いの場を持ちました 


弟と同居する事は母も望んでいませんでしたし、私も無理だと思っていました。
実は私は弟の口から出るのは同居は出来ないではなく施設に入ってもらうのが一番じゃないかだと思っていたのです。
どうしたらいいと思うのか、私に振ってきたのは問題を決めるという責任を回避したかったから

母がいずれは施設にと考えていてもなかなか踏ん切りがつかないのは分かっていました。踏ん切りがつかなければ私たちが同居と思っていましたからウチで同居しようかと思っているという夫の発言になったのです。

(この話し合いについては早すぎたと思っています。その後の急激な変化を見た後なら話し合おうとは思わなかったはず。母と私とで施設入所を決めただろうと思います。)


翌朝、顔を出した義妹が私の顔を見て開口一番お姉さんがかわいそうと言ったのです。聞き間違いかと思いました。かわいそうなのは私ではなく父ではないかと。
でも間違いではありませんでした
何をかわいそうだって言うのか、確認は出来ませんでしたが昨夜の話し合いの件を踏まえての事としか思えませんから、弟が見ないと言ってるから、姉が見なきゃならない。かわいそうねって事
それって、まるっきり他人事義妹の立場は他人姉に介護をまかせっきりにするような無責任な男はあんたの亭主なんだよ!!

その後の、父の急激な変化を目にして弟はどう思ったのか。
私に顔を合わせられなかったのは後ろめたい思いがあったからだとは思うのですが。



兎にも角にも入院した父、鎮静剤の投与もあり少しは落ち着いた様子でしたが、それでも時々ベッドから飛び降りようとしたり、顔を出した義妹に掴みかかろうとしたり、食欲の異常も収まらず、私は袋菓子を持って毎日父を訪ねました。あればあるだけ食べてしまうようでしたから毎日行かないわけにはいきませんでした。

ようやく落ち着きを取り戻したのは3月に入ってからでしょうか。そうなると、いつまでも入院と言うわけには行きません。

このT病院では介護施設を運営すべく準備中でした。そこに父を入所させたいと希望した母は、退院から入所までの間を担当医師が理事長を勤める療養型病院に入院させたい意向でした。

それに反対したのが私です。施設に入所させるのなら尚の事、それまで自宅で過ごさせたい。
掛かったことのない病院に転院させることは父の気持ちを不安定にする恐れもありました。

入所まで私が実家に泊まると言うことで母を説得しました。母が納得したのは入所が確定したこともあったと思います。
この件について弟夫婦には一切相談することはありませんでした。
義妹は父が転院するものと思っていたようです
入所まで家で見ると母が伝えたときはえっ!と言ったきり絶句したようでした。



後に母はあんたの言うとおり家に戻してよかったと言ってくれました。

5月3日、施設開所の2日後に父は入所しました。
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あれから3年

2008-01-22 | 実家に関すること
父が施設に入所したのは母が亡くなる14ヶ月前2005年5月でした。

その年の1月15日、80歳の誕生日を迎えた父でしたが、翌日16日にトイレに行く時に足がもつれ転倒したのが発端でした。
その時は気付きませんでしたが、最初の症状として現れたのが足のもつれだったのです。

転倒したのは夜間でしたから、子供に出来るだけ迷惑を掛けたくない母は自分で父を起こそうとして自分も体を痛めました。
翌日、事の顛末を聞いた私は父を診察に連れて行きましたが特別な異常は見受けられないとの所見を受けて帰宅しました。
が、その夜も転倒したというので次の夜から実家に泊まることにしました。そして・・・父はその日から急激な変化を見せたのです。

その時に色々と力になってくれたのがケアマネージャーさんでした。ヘルパーさんを毎日派遣してくれるようにスケジュールを調整。そのヘルパーさんの報告を受けてケアマネさんも何度も訪問してくれました。
次の診察のために父の様子をメモに書きとめて置くようにと助言してくれたのもケアマネさんでした。
そのメモを見ながら当時の様子を思い起こしてみました。

翌朝はスプーンを口に運ぶことが出来なくなりました。その日のうちに幼児退行とも思える症状が現れ、私の感情を受けて父が涙を浮かべる事も
その翌日、早朝から間断なくうわ言をいうようになりました。せん妄の症状が現れたのです。トイレは介助すると何とか行くことは出来たものの便が出たかどうか自分では分からない。
薬の服用も困難になり衣服の着脱も出来なくなりました。どこから頭を入れるのか、腕はどこに入れるのか分からないのです。
担当医師は出張で不在でしたが、この日再受診のために病院へ行くことにしたのです。が、簡単な問診の結果認知症という事でそのまま帰宅せざるを得ませんでした。
せん妄は夜間のほうがひどくなりますから母も私も浅い眠りしかとることが出来ません。

せん妄に続いて幻覚が出てきました。目は異常にギラギラとして大声で威嚇したり、かと思えば怖がったり 
トイレに行きたいという意思表示もなくなり、介助歩行も困難になってオムツを使用するしかなくなりました。
トイレでの排泄量は決して多くは無かったのに、オムツにしたら尿量だけでなく多量の便を排泄してシーツの下まで汚し、また普段は食が細くほとんど間食はしない父が袋菓子をペロッと食べてしまう。食欲にも異状が出てきていました。

椅子での座位保持も困難になり、ついには攻撃的な様相を呈すに至りました。自分に危害を加えると思うのかヘルパーさんにも暴言を吐き介助の手も払いのける。
夜昼なく、大声で叫んだり意味不明の事を喋りつづけ私も母も眠ることは出来ません。そして4日目の夜、ベッドの父を覗き込んだ母に父がつかみかかり普段では想像できない力で引っ張ったのです。変に力が掛かると母の体には大変なことになります。泣きたい思いで父の手を引き離しました。
母は父さんを殺して自分も死にたいけど、(リウマチの)この手ではそれも出来ないと嘆きました。
排泄の処置も大変だけれども、一番堪えたのは幻覚症状と攻撃性でした。
オムツを交換しようとして蹴られたり、食事のときも手を払いのけられたり 
そんな状態を支えたのは担当医師が帰ってくるまでという思い。

20年来掛かっている病院で、大きな手術を受けたことも2度、3度。毎年のように入院し、一年の半分以上を病院で過ごしたこともある父です。
何の根拠もないのですが 担当医師の診察さえ受けられれば入院させてもらえるとの確信がありました。その思いだけで頑張ることが出来たのです。

診察の日、病院へ行くために福祉タクシーを予約してくれ、父を移乗させるために早朝から訪問してくれたケアマネさんでした。
それまでずーっと騒ぎ通した父が、その朝は眠りに落ちたまま起きません。その父に声をかけ身支度を整え車椅子に移乗させ、そしてタクシーに乗せて、出発するまで見送ってくれました。
入院できなかった場合の事まで心配してくれたケアマネさんには、いくら感謝しても足りません。

検査のときに暴れるかと心配していたのですが眠たい様子の父は暴れることも無く検査を受け、そのまま入院となりました。
これだけの急激な変化は医師にとっても初めての事だったようです。
まず、今まで服用していた薬を見直してみるけれども現在よりも悪い状態になることもありうる と言われました。
悪い状態になったとしてももう限界でした。 入院させてもらえるならそれ以外の選択肢は無かったのです。

2005年の今日、1月22日。父は入院しました。足のもつれという最初の症状が現れて7日後の事でした。
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大寒

2008-01-21 | 夫と子供と孫のこと
大寒の今日、11時で氷点下5.5度の気温。もう2週間もシバレた状態です大寒を迎えてこれからもっと寒くなるの

今朝は、シフトで5時起きの息子。私は5時前に起きて息子を起こしてやらなければなりません。
4時半頃、除雪のブルの音が
あ~、息子の車を出してやるのに除雪しなきゃ

起きてカーテンの隙間から覗いてみたら降雪量はそれ程でもないのにブルの置いていった雪がどっさり
まずご飯を炊いて息子に持たせるおにぎりを作って、除雪に出ました。
息子の車が出れる分だけ除雪して家に入り、今度は夫のお弁当を作り夫の車を出せるようにまた除雪

今も雪が降っています
夕方にもう一度雪かきに出なければ 明日は4時起きな息子です
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氷点下12.2度

2008-01-17 | Weblog
今朝の最低気温氷点下12.2度我が家のほうはもっと寒い
近くの飛行場の気温が8時で氷点下15度だってラジオで言っていました
隣のE市では氷点下20度を下回ったみたい 

それでも、あと10日もすれば2月になります。実は私は2月って好きなんです 2月は光あふれる季節ですから


これから昼食を済ませてPCサークルに出かけてきます。
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インフルエンザその後

2008-01-15 | Weblog
今朝もとても寒かったのですが、空気が澄んでいるのでしょう。開けた窓から遠くの山並みがきれいに見えました。

金曜日から仕事に行った息子、まだ体調は万全ではないようですが他の人に移したという事は無いようです
一番近くにいた私も今回は無事でした

実は12月に友人がお孫さんを預かっていて、その時用事があって訪問した私。誘われるままにコーヒーなどをご馳走になって
その後体調が悪くなったのですが2,3日で治りました。友人から電話があって孫はインフルエンザだったと聞かされたのは治ったあと。私は微熱しかなく終わったので何も思わなかったのですが
もしかしたらその時にインフルエンザの抗体が出来ていたのかだとしたらラッキーでした
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寒波襲来

2008-01-12 | Weblog
お正月が過ぎて、寒波襲来です 最高気温が氷点下3度、4度という日々です。今日はお昼でも氷点下6度です


昨日のことです。
息子のインフルエンザに振り回され4日ほど間が空いたので、実家に行かねばなるまいと思い行って来ました
車で行こうかとも思ったのですが、その2日前に雪が降ったので車で乗り付けるのはどうか スーパーに停めて歩くのならいっそ歩いた方が良い。買い物をしても1時間半で帰ってこれるしと思い、歩いて行って来ました
私が管理している父の通帳をコピーして、領収書を添付して、1月と7月に弟に確認してもらうのですが、それも実家に置いてこなければなりません。

それにしても、年が明けて2週間になろうとするのに弟からは電話一本ありません お正月に父を連れ帰っても、顔を出すこともしないのだからせめて電話の一本くらいあっても良い 昨年もそうだったからと思ってはみても、やはり腹立たしい
そう思い始めるとあれもこれも面白くない 義妹のメモは 2日にお父さんに会いに行きますのほかに今日は一日家にいるのでお手伝いできる事があったら言ってくださいねって
実家には飲んでくださいってお酒が置いてあったのですが、家にいるのなら父の顔を見がてら手渡しに来てくれても良いのでは

何も期待しないって思っていても、何か事があるとやっぱり面白くない思いが出てくるのですが それでもね、期待しないから 期待しても仕方ないという諦めに少し気持ちが変わってきたように思います。

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仕事始めなのに

2008-01-07 | 夫と子供と孫のこと
夫は4日から仕事でしたが、息子は今日が仕事始め。
なのに土曜日から調子が悪そうで、その夜発熱 翌日、夫の運転で当番病院へ行きました
今は簡単にインフルエンザかどうかの診断がつくのですね。検査の結果インフルエンザではないということで風邪薬を処方されて帰宅しました。
熱が下がらず処方された解熱剤を服用した息子ですが、その後ひどく具合が悪そう持病がある息子ですからちょっと心配しました
一時下がった熱も再び上昇夜中には39度8分にまでなって
朝になっても39度6分の熱で、息子のかかりつけの病院まで行ってきました。雪道なので私の運転では時間がかかると思ったのですが、それでも20分ほどで着きました。
待つこと50分、検査して結果が出るまでさらに40分。

これだけの高熱ですからもしかして とは思っていましたが、検査の結果はインフルエンザA型

昨日の病院にかかった時間、経費はなんだったの病院で診てもらったのだし という安心感を得ただけ

昨年もインフルエンザにかかった息子 食生活が悪いのも一因だと思うのです。
朝はギリギリまで起きないので朝食を食べる時間はありません。昼食は社員食堂で取っていると思うのですが、夜は帰宅時間がはっきりしないので炒飯や焼きそばを作っておきます 温めてすぐ食べられるし野菜も蛋白質も取れるしと思って。それも食べずに残っていることも多いのです
部屋には時々ハンバーガーの包みなんかが落ちていたりして

まだ若いから健康の大切さを実感できずにいるのでしょうね
あまり口うるさく言うと嫌がられるけれども、やっぱりここは今一度言わねばなりません
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今朝のチラシ

2008-01-05 | 趣味の時間
Y電機の今朝のチラシを見てショックでした

2日の日、出していない先から頂いた年賀状の返信を用意しようとPCのスイッチを入れました
延々と繰り返されるウインドウズマーク 年末にリカバリしたばかりなのに
はがきの印刷は息子に頼むとして、とりあえずリカバリをかけて近いうちに買い換えるしかないと決心しました

でも、リカバリする必要はありませんでした。
その日、息子は珍しく予定が無いと言うので今日(息子に)見てもらって買いに行って来よう という夫と3人でY電機に出かけました
ちなみにウチのPCは私専用 夫が使う事は殆どありません。

(スペックが良すぎて)おかんにはもったいないかな と言いながら息子が選んでくれたのはF通の新作、春モデル
これまで使っていたのもF通ですから迷わずそれに決めました。

値段の交渉をすると、表示価格から千円引きますって。ブロードバンドに新規加入すると三万値引きと言うけれど、既にひかりを導入している我が家は適用外です じゃあ、端数の八百円も引いて と交渉して千八百円値引きしてもらったのですが・・・

今朝のY電機のチラシで同じ機種が五千円安い 僅か3日ですよ
でも、たまたま息子に時間があったその日にPCが使えなくなったのは、その日が買い換えの好機だったのでしょう。

その夜、息子がセットアップと旧PCのDドライブのデータを移行してくれました
思っていたより起動は早いです。って、前のが重かったのか キーボードは軽くて使いやすいし、マウスは光学マウスなので快適です Officeの使い勝手はかなり違うって聞いていますが、それはまだ使ってみていません。
ただ、今まで使っていたPCにプレインストールされていた家計簿が入っていない 家計簿はフリーソフトをインストールしようと思いますが移行したデータを開くことができません 昨年の家計簿は消失です
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年が明けて

2008-01-04 | 実家に関すること
おめでとうございます。 今年もよろしくお願い致します

明けて、今日はもう4日です。
31日は朝9時に買い物に行き、実家に品物を置いてから父を迎えに行きました
実家では夫が居間の電気と神棚の掃除をしてくれました
お昼前には息子も実家に来て、前日に近所のお蕎麦屋さんに頼んでいた出前でお昼にしました
夜は普段父が食べることの無い生寿司やお刺身を用意し、サラダとハムなどを食卓へ
父は飲みませんが、夫と私はビールで乾杯 夫はビールの後、日本酒を

21時ころにはベッドに入った父ですが就眠したのは1時近くでした。
夜は睡眠剤を常用している父ですが、軽いものなので入眠まで時間がかかり、その間痛みが気になる様子

翌朝は8時に起こして朝食を食べさせて私は掃除にかかりました。前夜はシャワーを使ったのでお風呂場をキレイにし、居間に寝室。
ゴミを持ち帰るために分別して
いつもトイレの失敗がある父ですが今回も間に合わずに下着を汚したので、汚れた下着はゴミの中に入れ、肌着はシーツと一緒に洗濯。
お昼は軽く済ませ、一休みして14時に施設に送り届けました。
スーパーに寄って出来合いのお惣菜を買い自宅に戻りましたが、今年はクタクタに疲れて 私は夜8時前に就寝

これだけ大変なことを義妹にやらせようとは思いません。
弟夫婦が父を連れ帰ると言っても実際に手を掛けるのは義妹になるわけですから、父を連れ帰るのはやっぱり私です。
それは仕方が無いと思っていますが、だからと言ってメモを置いただけで後は知らん振りを決め込まれるのはやっぱり面白くは無い

まあね、昨年もそうでしたから 覚悟はしていたんですけれどね。
義妹はやっぱり、2日に父の施設に行くとのメモを残していました。




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