日々のつれづれ

日々うららかでありますようにと願ったけれど、平穏な日々は続かない。
穏やかな老後は訪れるか。

怠惰な生活

2012-08-28 | からだの事

7月に義母と母の七回忌を終え、お盆には例年通り11日に両親のお墓参り。13日は義両親のお墓参りに行き、息子たちが来ると言った14日には両家のお墓参りをした。

今年は父の初盆でもあったのでせめて形だけでもと思って、私たち夫婦と息子家族がお参りする際に、管理して下さっているお寺さんにお墓の前での読経をお願いした。

 

8月の初めから、ひどく疲れているなとは思っていた。

それが、お盆も終わり気が抜けたのか。

だるくて起きていられない。おなかの調子も悪い。ちょっと熱もあるようだ。ちょうど暑さもぶり返しそれも体には堪えたのかもしれない。

風邪をひいたのかもしれない。これは休め!ってことだよね。

と思い、夫を送り出したあと本を片手にソファに横になる。そのうちにウトウトとまどろみの時間が訪れる。気持ちの良い時間だ。

何日かは冷蔵庫にあるものでしのいだが、とうとう冷蔵庫も空になった。

まだまだソファに貼りついた生活から抜け出したくはなかったのだが、仕方がない。

買い物に出かけ、徐々に普段の生活に戻るかと思われたたのだが、2日後に再び体調が崩れた。

どうも腸炎のようだ・・・

また怠惰な生活に逆戻りして3日。

今日は少し良いようだが、さてこれで復調なるか

 

 

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渡部陽一氏の講演会に行って

2012-08-16 | 趣味の時間

8月14日息子家族とお墓参りに行き、夫家のお墓私の親のお墓と二か所のお墓参りをした。

この日は午後から市の主催する「平和都市宣言20周年記念式典」で戦場カメラマン渡部陽一さんの講演会があった。入場は無料だが整理券が必要で、メールでの申し込みも可というので申し込んでみたところ当選。

行くかどうか迷ったが、息子が買い物もしたいので近くまで送ると言うので駅近くで一緒にお昼を食べてから別れ、私たちは会場へと向かった。

 

渡部氏はステージを右から左、左から右へと大きく動き、ジェスチャーも交えての講演だった。

戦場カメラマンになったきっかけ、戦地で見た子供たち。

学校へ行く事が子供たちの喜び、家族が一緒にいられる事が平和だと語る。

悲劇は正確な情報伝達が速やかに行われない事で大きくなるという。そして若い人たちには安全な国で良いからどんどん海外に行って見聞を広めてほしいと。

頭の良い、誠実な人だという感じは充分に伝わってきた。

講演の最初と最後に渡部氏が質疑応答があるので、どんな質問でも出来るだけ誠実に答えたいので手を上げてどんどん質問して下さいと言われたのだが、司会者が「質疑応答の時間ですが、申し込みの時に質問を書いて頂いた中から選ばせてもらいました」と質問を読み上げたので渡部氏はそれに答える形となった。

会場から渡部先生が質問を受け付けると言ったのにおかしいのではないかという声が上がったのは、司会者が次の質問を読み上げようとした時だった。

それに対して「僕が先走りしてしまって・・・」と謝ったのは流石だった。

が、これは主催者側が講師への説明をきちんとしていなかったからに違いなく、主催者から謝罪の言葉があっても良かったのではないかと思った。


 

会場を出て、帰宅するのに駅まで地下歩行空間を歩いた。

来る時も同じところを歩いたので夫はさっさと先を行く。振り返る事もなく行く。

途中まで見えていた夫が見えなくなったのは駅までもう少しというところ。

改札口付近で待っているかと思ったら姿が見えない。もう一方の改札口の方へ回ってみたがやっぱりいない。

連絡を取ろうにも夫は不携帯。

出かける時に夫の携帯が置きっぱなしなのに気が付き携帯は持たないのと聞いたら電話はかかってこないからいらないと言って置いてきたのだ。

 

駅に着いた時、先発の汽車は行ったばかりで夫もそれには間に合わなかっただろうと思う。次の汽車は20分後だ。

改札口で待つ事15分。発車時刻が近くなり改札を通るかどうか迷ったが、更に20分待って一本遅らせて帰宅した。

 

夫は私が乗るかどうか迷った汽車に乗って帰宅していた。

 

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車庫の話

2012-08-08 | 家計を考える

7月に連続6日の30℃超えを記録したが、一転8月は過ごしやすい気温で推移している。

だが気温の差に体がついていけず、体調不良。天候不順は体調も不良にする

 

以前からちょっと傾いていると夫が気にして、建て直したいと言っていた車庫。一時は諦めたかに見えたのだが、とうとう解体して建て直すことになり8月初めに完成した。

 奥にタイヤラックが見える


築20年になる我が家の車庫、基礎はコンクリートなのだが冬季の地面の凍上のせいか北側に傾いていて、使用に影響はないものの夫は気にして新しくしたいと言っていた。

昨年春、夫が在宅のときに飛び込みで営業マンが来た。私が応対したのなら即座に断ったのだが出たのは夫。

ずーっと気にしていた車庫の件だったので話に乗って、概算で金額を出してもらったのだが・・・

出たのは建てたときと変わらない金額。

基礎がコンクリートでなければもっと安く出来るのだが、なまじコンクリートなので均一になるように上にコンクリートを乗せるために高くなるようだ。

この時は諦めた夫だったが、それから一年。

ゴルフ仲間の板金屋Yさんに何気なくの話をしたらしい。

それなら鉄筋にしたら

と言われてその気になった。

そのY氏、

もちろん損になる仕事はしないが、うらら家からもうけようという気も無いのは私も知っている。けれど出た金額にはびっくり

やはり基礎が難で、基礎工事だけで30万を超える。

鉄筋で作るとなると200万にもなるので流石にそれは難しいと判断したY氏、傾きを直すために基礎工事は削るわけにはいかないが、車庫は○○ガレージから直接購入を提案してきた。

それでも、タイヤラック、電動シャッター、結露防止など夫の希望をすべて取り入れての金額は驚きの100万超え

昨年の飛び込み営業の出した金額よりもずーっと高いけれど(その時はオプションとなるタイヤラック等々は入っていず、基礎と車庫だけの金額だったのだが)知り合いに高いからやめるとは言いたくない夫。

いずれやらなければならないなら今だと言う。それはそうだ。もう年なのだからやるなら早いほうが良い。

 

昨年、イタリア旅行に行きたいと預金通帳を眺め、なんとか旅費は捻出できるかと思ったが父の事もあり10日間も留守にする心配、出立できなかった時のキャンセル料を考え予約できずにいるうちに夫に病気が発覚してそれどころではなくなった。

今回、その費用が車庫に回る事になった。

既にある基礎周りを深く掘り、鉄筋を組み上にコンクリートを流してから車庫を組み立てるという大きな工事だ。

枠組みした中に、これからコンクリートを流す

土台が完成して1ヶ月以上経って、ようやく完成した車庫。

 

 

イタリア旅行は車庫へと変わった・・・

 

 

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旧交を温めた日

2012-08-03 | 友人とか近所とか

母が亡くなってから時々連絡を取り合うようになった父方の従姉。

その従姉の母方の従妹、Fちゃんは私の幼馴染だ。

従姉と私は5歳くらい年が離れているが、Fちゃんとは同い年で手をつないで学校に通った。

小学校3年になる時に私は転居。それからかなり後にFちゃん一家も当地に転居してきたと聞いたが会う事はなかった。

従姉と連絡を取り合うようになってFちゃんと3人で会いましょうと誘いを受けた事もあったが、父の事もありなかなか実現しなかった。

父が亡くなり、母の七回忌も終わり、従姉から落ち着いたようなら会いたいと連絡があり、ようやく3人で会ったのが7月18日。Fちゃんとは実に半世紀ぶりの再会であった。

会わなかった歳月を一気に飛び越えて話は弾み、またの日を約束して帰宅した。

 

それから2週間。

7月最終日は中学時代の友人と会う約束をしていた。

約束の日が近づいてきた下旬、連日の30℃超えで体調に不安がある友人が出てこられるか心配したが無事に会う事が出来た。昨年、東京から帰省した友人と3人で七月末に会って以来なので、ちょうど一年ぶりになる。

1年の間には私も環境の変化があって辛い時もあった。

友人も体調の悪化に苦しんだようだ。体調が悪い時は日常の家事にも支障を来たすと言う。状態が良くなければ私が彼女宅の最寄り駅まで行こうかとも考えたりした。でも街中で会う事にしたのは彼女のリクエストだった。暖かいというより暑い日々だが、寒いよりはずーっと体には良いのだろうと思う。街まで出てこられるというのは嬉しい事だ。

コーヒーを飲んで 場所を移してランチして 会話を楽しんで

4時間ほどを過ごして別れたのだが、地下鉄に向かう彼女の背中を見送りながら出来るだけ病の進行が無いように、これからも楽しい時間を共有できるようにと祈るように思ったのだった。

 

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