日々のつれづれ

日々うららかでありますようにと願ったけれど、平穏な日々は続かない。
穏やかな老後は訪れるか。

旧友の年賀欠礼に思う

2013-12-25 | 友人とか近所とか

今年は年末を感じられず、年賀状の準備も気が乗らず、ようやく取りかかったのが18日。その日に裏面のデザインを決め、翌日に印刷。19日に宛名印刷、連休に添え書きして何とか投函期日に間に合った

今年は夫の姉の連れ合いが亡くなり、夫の親族への年賀は見送る事にした。年賀欠礼の葉書も10件以上あった。

3年前に母親と母親を看ていた長女も一緒に、娘家族との同居を決めた旧友からも年賀欠礼の案内が届いた。

母親が亡くなっていざこざがあったという話は、彼女からの電話で聞いていた。

さて葬儀となって、母親の預金がほとんど残っていないことが判明した。結構な金額の遺族年金を受け取っていたはずなのに、という事で長女と言い争いになった。結局何に使ったかは分からないまま葬儀は小さく行ない、本来なら母親の預金から出せたはずということで、葬儀費用は長女が借入して支払った。

母親を引き取ったあとに友人は再婚していて、相手の男性が「長女が母親のお金を使ってしまったのだから、こちらで負担する事は無い」と言ったそうで、友人も「そうだよね」と思ったのかどうか、それに従ったらしい。

質素なお葬式で親戚にも恥ずかしかったと言う友人。でも、そう思うなら姉妹で相談して費用を出し合う選択もあっただろうに。

 

孫娘も小学4年生になり、もうおばあちゃん(彼女)がいなくても大丈夫だ。配偶者を得た彼女は、親が亡くなれば娘家族と暮らす理由はもう無い。夫と共に新たに住まいを定めた。

母親と一緒に移り住んだ長女はの一件で彼女と共に暮らす事は難しくなり、関東に住む独身の四女の家に転がり込んだ。

 

娘家族と同居していた彼女がそこに母親と姉を呼び寄せると聞いた時、母親が亡くなったあと長女はどうするのだろうかと思ったのだが、まさかこんな形での幕引きになるとは考えてもみなかった事であった。

 

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慢性膵炎な夫

2013-12-20 | 夫と子供と孫のこと

慢性膵炎で検索をかけてこのブログを訪れて下さった方がいると知って、ちょっと夫の様子を振り返ってみた。

掛り付けの病院の紹介で特定機能病院を受診、慢性膵炎の診断を受けたのは2011年のこと。

診断を受けた後の夫は、自分の感情をどう処理して良いのか分からないよう。帰宅すると足を投げ出してソファに座りオレに近づくな、触れるなオーラを出しまくり。家の中も面白くない。

それでも何ヶ月か経つと気持ちも落ち着いたようで「旅行へ行こう」と言うまでになった。

しかし、10月に私が娘宅に行って留守にしている間に夫の気持ちは再び乱れた。自分でも制御できない気持ちを私にぶつけてくる体の状態というより、気持ちの問題の方が夫の場合は大きいのだ。

その頃、父の状態も悪かった。毎日父のもとへ通い、病院へ随伴し、心も体もくたくた。父の事でいっぱいいっぱいだ。母が亡くなったあと色々と辛い事もあったけれど、この時期が一番辛かったと思う。

この年の12月、父は旅立った。

実家に父を連れ帰り、弟夫婦と私たちで一夜を過ごした。夫はこの頃が一番体調が悪かったはずだ。その夜は交代で起きていたけれど、翌日の通夜の晩は夫は起きていられなかった

 

夫は私に気持ちをぶつける中で、どうにか安定をみつけたようだ。気持ちが安定すれば、体調はひどく悪いという事はない。腰や背中の痛みはいまもあるが、それが膵炎によるものかどうかは、実ははっきりしない。悪いと言われるアルコールを摂取したからといって痛みが増悪するわけではない。脂質に気をつけてはいるが、脂質の多いものを食べ過ぎたからといって何か症状が出るわけではない。

最初の年は特定病院への通院は毎月だった。さまざまな検査も行って確定診断が出た後は投薬治療となり地域医に戻ったが、年に一度は特定病院での検査をするように言われた。翌年の検査は超音波内視鏡検査で、小膵石も発見されたが経過観察とのこと。この検査はちょっと苦しい思いをしたらしい。あまり変化が無いなら検査はしたくない、と夫は言った。

地域医では2~3ヶ月に一度血液検査をするが、血液の値は変わりない。高め安定だ。

今年も特定病院での検査を言われたが、夫は行く気はないようだ。私も無理にとは言わない。数値は高いが変わらないのだし、夫も高齢者の仲間入りだ。あと何年かな、と数える年齢になったのだから、検査も受けたくないなら受けなくて良いと思う。

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駐車場での出来事

2013-12-13 | Weblog

お嫁ちゃんに通院が必要になって私の車を貸したので、一週間車の無い生活を送った。

その間に歩いて用を足したのは3回。



借りている本の返却期限が来たので返しに行った。徒歩で片道20分弱の距離だ本を返したついでに、すぐ近くにあるスーパーに寄る。駐車場の中を通って入口に向かう。

歩いている途中で見かけた婆さん年配の女性が私の前を行く。駐車している一台の車に近づいてワイパーをいじっている。

さっき見かけたけど、ここに車を止めてどこかへ行ってきたのかな

と思ったら ワイパーに何かを挟んでスーパーの入口へ向かった。

お菓子の包みのように見えた。これが自分の車だったらもちろん文句を言うところだけど。

その女性の顔を見たら睨んでくるようで、事なかれ主義の私はそのまま女性を追い越したけれど・・・なんだかなぁ

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三回忌法要の日

2013-12-09 | 実家に関すること

12月15日で、父が旅立ってから2年になる。

弟から連絡があって、三回忌の法要を行ったのは12月8日。墓前で読経をお願いするだけの簡素なものだ。費用は読経代と供花・供物代だけで、それは折半した。

 

夫の姉(長女)の連れ合いが悪いとの連絡があったのは11月末だった。

父の法要を終えたあと息子家族と昼食を取って、それから夫と二人で長女宅へ向かった。義兄は入院はしたくないと言い、痛み止めを処方されて自宅療養中だ。

義兄は短い時間であっても体を起こすし、自分でトイレにも行く。しっかりとした言葉で会話もする。少量でも、まだ口から食べ物を摂取する事も出来る。

本人の希望で自宅で生活しているが、病院はいつでも受け入れてくれるというし、一人娘が婿殿と二世帯で住んでいるというのも心強いことだ。近くには妹(三女)夫婦もいて、何かと力になってくれそうだ。

義兄を見ていて晩年の父を思った。年齢が近いという事もあっただろうし(父は生きていれば88歳)同じような病で末期という事もあっただろう。

 

父が入院となるまでの辛い日々、私を支えてくれたのは弟ではなく施設のスタッフさんだった。入院して中心静脈栄養で生命をつなぎ、滅多に声を出す事も無くなった父のところへ毎日通ったけれど、私に寄り添ってくれたのは看護師さんだった。

夫が、挫けそうな私の背中を押してくれたことなどを思い出しながら切なくなったのは、その日法要を終えたばかりという事も大きかったのだろうと思う。

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相談があります

2013-12-02 | 友人とか近所とか

夫の姉(長女)の連れ合いが長くないようだ、との連絡が三女からきた。どうも悪性腫瘍らしく、入院するという。長女の連れ合いは50代に脳梗塞になり、一命を取り留めてから40年も経った。現在は90歳だ。

 

いま、Kmさんが代表を務める会に参加しているが、距離を置きたいと思い年内は休むと連絡していた。のことがあるので、それを口実に暫く休会したいとメールを送った。春までは煩わされずに済むと思っていたのだが。

「相談があります」というメールが、Kmさんからきたのは金曜日。放っておくわけにもいかず電話したが、留守にしているのか出ない。

仕方が無いのでメールで返信した。

電話したけれど留守のようでした。相談って急ぎますか。週末になるので、時間がとれるのは来週になりますが。

けれども返信が無い。いつも煩わしいくらいメールが来るのに。

週が明けても連絡が無い。向こうは私から電話が来ると思っているに違いない。放っておこうかと思ったが、本当に何か困っているのかもしれない。そう思って電話したら「はい、は~い」と元気そうに応じてくる。やはり私から電話があると思っていたのだ

相談内容はこれからの会の運営の事。

最近は休会退会という人も多く、出席者も一桁にまで減った。このままでは会の運営も覚束ない。(もしかしたら解散という事もあるか)と私は秘かに思っていたのだが、私が行かない間に新しい参加者があったという。かろうじて二桁の人数になるようだ。

相談とは言っても、単に現状報告という感じ。

私が元気そうなら他の人も誘って我が家に集まりたそうな口ぶりだったが、それはもう嫌だ

 

 


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