日々のつれづれ

日々うららかでありますようにと願ったけれど、平穏な日々は続かない。
穏やかな老後は訪れるか。

四十九日まで

2006-10-28 | 実家に関すること
父も叔母たちもそれぞれの所に戻りましたが、私は実家で日中を過ごし、七日ごとの供養には弟夫婦と顔をあわせなければなりません。

母は定年まで勤めていましたのでその年齢の女性にしては結構な預金を持っていました。
お金の話は早い段階で出ました。
弟が「相続は放棄しても良い」と言ったのです。
ある程度母の財産を把握していた私は「そんなわけには行かない」と言って、その話はそのまま終りました。
それから間もなく郵便局の人が来て、私が手続きを進めるために弟に委任状を書いてもらうための用紙を置いていきました。
相続を放棄しても言いと言った位ですから、問題なく委任状は書いてもらえると思ったのですが。

しかし母の預金の内容が分からないと委任状は書けないと言ってきたのです

そこで弟たちに手続きを任せると言ったら慌てただろうなとは後で思ったことで、その時は全て私がやらなければならないと言う思いで一杯でした。

弟たちも母の資産状況を知りたかっただけで、言い出すのにちょうど良い機会だ位の気持ちだったのでしょう。
私が母のお金を管理して弟たちには一切タッチさせないのは面白くない事だったに違いありません。

けれど、今まで両親の事は私がやってきたのだから、この時とばかりに関与されては面白くない

面倒な手続きを自分たちでやると言うならまだしも、そういう申し出はなかったし。私が全てやるって思ってるなら全て任せてよね。それとも信用されてないって事か
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北海道のプロ球団

2006-10-27 | Weblog
日本ハムが優勝しましたねー
友達が野球中継を見ないと非国民ならぬ非道民だと言ってましたが、ホントにすごい盛り上がり
新庄人気もすごい また格好良いしね
球界を去っても活躍の場はたくさんあるだろうけれど、でも惜しいなぁ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初七日まで

2006-10-23 | 実家に関すること
父と私、弟夫婦、それと母の二人の妹が初七日まで泊まってくれました。
叔母たちが泊まってくれたおかげで私は随分助かりました。
そうでなければ義妹の言葉にどれだけストレスを感じる事になったか分かりません。

叔母も私も実家でシャワーを使いましたが、弟夫婦はシャワーをすると言っては自宅に戻り、洗濯をすると言っては自宅に戻り、家が近いのでしょっちゅう行き来していました。弟などは何も言わずに何時間かいなくなったりもしました。
叔母たちが泊まってくれているのにひとこと言っていけよ、と思いましたが(恥ずかしいよ)

初七日を終え、四十九日までは弟夫婦と私たち夫婦が交替で泊まろうかと思っていましたが、弟たちが夜は自分たちが泊まると言ってくれたので、私は朝から夕方までを実家で過ごす事にしました。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母を送る

2006-10-22 | 実家に関すること
8ヶ月の入院の後、九十八歳で義母は亡くなりました。
義母の初七日が済んで、これから母の事だと思っていた矢先の突然の死でした。
かねてから母は、葬儀は家族のみでお墓は要らないと言っていましたので、母の意思通り葬儀は身内のみで行いました。

弟がいつその事を言ったのか記憶にはありません。
でも供花を選ぶ段階で叔母がお線香をと言った時には、既に弟が仏壇を持つ積りは無いと分かっていたので、かなり早い時点で意思表示があったのだと思います。

母は仏壇については何も言っていませんでした。
それは当然に弟が守っていくものと思っていたのかと思います。

「父さんは仏壇がほしいなぁ」と言う父の言葉と私の夫の説得でなんとか持ってくれる事にはなったのですが、夜、弟夫婦と私が3人で居る時に義妹が言いました。
「あなたが亡くなっても仏壇には入らないだろうし、その時はあなたを見て親の仏壇も私が見るの?」
それは夫婦の会話ではなく、私に聞かせるための言葉でしかないでしょ

まさか弟が仏壇を持たないと言うなんて母は思ってもいなかったと思うと、母が哀れに思えてなりません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の死までー続き

2006-10-21 | 実家に関すること
父を5月に入所させ、その年8月に母は入院、12月まで病院で過ごしました。
その間、10月に父が入院。入院して医療保険の対象になると介護保険は使えないので施設は退所しなければなりません。
さらに義母の状態が悪くなり、いつどうなるか分からないとの思いで、こちらにも毎日通い週末に泊まる生活を一ヶ月送りました。母が入院しているから出来た事です。
結局、義母は11月に入院しそれなりに落ち着きました。

その後父は再び施設に戻る事が出来ました。
年末に母が退院したので、私たち夫婦が実家に泊まり父を外泊させる事にしました。

母は既にかなり不便な日常生活を送っていました。
右腕が痛み、胸より上に上げる事が出来ないので顔を洗う事すら大変でした。
腰の痛みが強く、長く立っている事が出来ないし立っているにしても支えが無ければダメでした。
手に力が無いので窓も開け閉めできない。腕が上がらないのでカーテンを引くのも大変。
いくら私たちが泊まっても日中は年始に出掛けたりしたので、退院して間もない母には酷な事であったろうと思います。

「もう手術はしたくない」と言っていた母ですが、余りにも痛みが強く4月にまた入院、その時は一ヶ月で退院しました。
でも予後は余り良いとは言えませんでした。
5月に長椅子からずり落ち、そうすると自力で立ち上がることは出来ないのに、それでも何とかしようと頑張ったようなのですが、結局弟の家に電話し義妹に起こしてもらったのです。
その時に首をおかしくしたらしく、首を廻すことが出来なくなりました。

母は不安であっただろうと思います。ひとりで生活することも限界と思っていたかもしれません。
その気持ちを私は汲み取って上げる事は出来ませんでした。

すぐ近くの実家に顔を出さないのに、車でなければ行く事が出来ない父のところに、たまにではあっても顔を出すようになった弟に対しての面白くない思いが、私たちの夫婦関係に影響を与えていたからです。
母に「家においでよ」と言って上げられませんでした。

母が亡くなったのは、それから間もなくでした。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横浜から

2006-10-19 | 友人とか近所とか
中学、高校と同じ学校に通った友人が里帰りしてきているので昨日会いました。
考えてみれば彼女とは一度も同じクラスになったことはありません。
家も隣近所と言う事は無く、どこで接点を持ったのか?

中学時代、私は読書が好きで毎日図書室に入り浸り。
で、図書室には本好きと言うわけでなくても集まってくる常連が居ました。
思い返すと出会いはそこかも。

あれから40年・・・
それでも変わりなく交流できるって素晴らしい


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の死まで

2006-10-17 | 実家に関すること
話は一年半ほど前。一月の事です。
弟が親と同居しないなら私たちが同居しても良いと思っていたのですが。
二人とも介護認定を受けていてヘルパーさんの助けを借り、父はディサービスも利用していましたが、体の不自由な母が、同じく体の不自由な父の世話をするのは大変な事でした。
母が入院するにしても、先ず父のことを考えなければならなかったのです。

そいう状況の中、お正月が過ぎた頃急に父の状態が悪くなり、私が実家に泊まり込むことで入院出来るまでの5日間を過ごしました。
20年来掛かっているその病院では5月に老人保健施設を開所するという事で、子供に出来るだけ迷惑はかけたくないという母はそちらに父をお願いしたい意向でした。

容態も落ち着いた父は、3月には退院と言う事で後の一ヶ月余りを療養型の病院に転院させようかと話が出ましたが、施設入所させるなら自宅で過ごさせたいという私の主張に母も折れ、開所までの40日、再び私は実家に泊まりこんだのですが。
その間、歩いて5分の距離に住む弟は一度も顔を出しませんでした。
義妹は来ましたが「**さんは(親との同居を拒否した事で)バツが悪くて来られない」と。

だけどねー、弟が同居は出来ないと言っているのに傍から口を出して「お義母さんと同居したら私はストレスが溜まる」と言ったあなたはどうなのよ

それでもする事はやってくれるのですけどね。口が無ければ良いお嫁さんなのに、余計な事を言うから情のない心が見えちゃう。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の死

2006-10-16 | 実家に関すること
その前日、いつものようにリハビリのために病院へ行きました。
銀行に用事があると言うので、帰路その用事も足しました。
銀行の近くのファミレスでパスタを食べ「おいしかった」と母は言いました。

施設にいる父のところに行くか、と聞きましたら「行ってみる」と言うので父のところにも寄りました。
帰り、母はお気に入りのケーキ屋さんでコーヒーを飲んでいかないかと言いましたが、私は「この次にしよう」と言って実家に母を送り届けて帰宅しました。
いつもと同じ、だったのです。

翌朝、弟の連れ合いから母が倒れていると電話を貰い急ぎ駆けつけました。
救急車が家の前に居て、まだ病院に運ばれていないんだと思った私。
ベッドの横に倒れていた母に息はありませんでした。
義妹は「自分たちが同居を拒否したから」と言って私の前で泣き崩れました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この秋一番の寒さ

2006-10-13 | 実家に関すること
最高気温が15℃になったかな? ストーブを点けています。

今日は保険の手続きで出掛けました。
実は、私はこの夏に母を亡くしました。
母が私と弟のために保険をかけていてくれたので、その名義変更や払い込み方法の変更手続きで、7月末から始めたのがやっと終了しました。
後は弟のところにに証書を渡すだけです。
出来れば弟とは顔を合わせたくないんですがね。

なぜかっていう話はまたこの次に。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログに挑戦

2006-10-12 | Weblog
何も発信する事がないと思いながら、とにかく作ってしまえばどうにかなるだろうという軽い気持ちでブログを始めてみる事に。

うう~、何を書いたら良いか分からない。
私は主婦なので、そろそろ夕食の支度もしなければならないし、今日のメニューでも書いておこうか。
豚肉と生揚げの味噌いため。
野菜サラダ。
にらの卵とじ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする