うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

今もむかしも

2020年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム
別に真夜中まで働いてるわけではないのだが、連日目の前のことに追われてて、世の中ののふんいきとあってない毎日。水曜と木曜は帰ったら寝落ちしてしまった。金曜日は帰りに本屋に寄ったりしてすこしゆっくりしたけど。

そしたらオフィス街は閑散としてるのに、お店とかは混んでるのね。なるほどみんな休みだからか・。

さて、ちょうど終戦から75年です。

このブログではあの頃のこと、よく取り上げたりはしていますが、自分自身は歴史マニアというわけではないので、いろんなことに詳しいわけではありません。。

ただ、たとえば先日取り上げた高見順「敗戦日記」に、こんな話が出てくる。 
 (懇話会で、やたらと精神論ばかり振りかざして人の発言を批判する出版社社長に、文学者の折口信夫氏が)

「おのれを正しゅうせんがために、人を陥れるようなことをいうのはいけませんな」と低いが強い声で返した。。

 こういう静かな声、意見が通らないで、気違いじみた大声、自分だけ愛国者で、他人はみんな売国奴だといわんばかりの意見が天下に横行したから、日本はこんな状態になったのだ。

 いわずもがなのことだが、75年たっても人は変わっていない。ことしは、そういうことがよくわかったと思う。。

 それからもうひとつ、少し思ったことがあった。以前も何度か書いたが、昭和の初期から終戦直前の宮城事件まで、青年将校たちが叛乱を起こし、軍幹部はそれを押さえるのに非常に苦労している。規律の厳しい軍でなぜそんなことが起こるのか、それとも厳しいからこそ軍規が乱れるのか、そのへんの感覚がよくわからなかった。

 しかし、いまちょうど職場で若い子たちのキャリア面談とかしているのだが、ここの若い子たちはけっこうやる気に満ちていて・。たしかにそういうのを上手く指導していくのはそれなりの度量や経験がいるのかもしれないと思えてきた。
そういえば前の職場の子たちはもうちょっと穏やかな(ちゅうか、まあゆるいというか)子が多かったかな。。

 東條英機や阿南惟幾など、明治中ごろに生まれた将校たちは、日露戦争を経験しなかったか初年兵ぐらいで従軍し、中堅になってからは大正デモクラシーとか、比較的平和な時代にキャリアを積んでいる。もちろん日中戦争以後は前線で戦って苦労もしてきたと思うけど。日露戦争後の数十年間というのは、日本は世界の列強とみなされていたし、軍組織も良く言えば安定し、悪く言えば官僚化が進んだ時期だったのだろう。

 昭和に入るころから社会や経済が混乱し始め、軍内部の軋轢も強くなっていく。そうした社会の動きの中で任官した若手は、前の世代の軍人とは違う意識をもっていたのだろう。今ある社会の体制を良しとせず、厳しい環境のもと真面目に努力を重ねてきた精鋭たちが力を付けていく。
 上の世代は自分たちの若いころとは意識の違う若手たちに、言うべき言葉を持たず。。

・・今の日本も、平成のあいだはある程度の安定感はあったのかも。そんなことない、色々あったという声もあるでしょうけど。

それにしても、今から25年前、戦後50年の節目を迎えた平成7年のこと、さすがに昨日のことのようだとは言わないけど、よく覚えているけどね。阪神淡路の地震、地下鉄サリン事件、たしか夏にはフランスが核実験をして、秋にはウィンドウズ95が出た。。僕は入社したIT会社が本国アメリカでM&Aにあって、一時的に失職した(のちに再編)。もう電子メールは仕事で使うようになっていた。携帯もあったけどまだ持ってなかったな。。

そのまた25年前の時のことも、なんとなく覚えいているよ。万博には行かなかったけど、なんとなく世の中がにぎわっている様子は肌で感じていた。ムーミンを毎週見ていたことは覚えてるな。

 昔のことをよく覚えてる、という話とじゃなくて、平成7年も昭和45年も昭和20年も、そんなにかけ離れた時代ではないというか。。

 むかしこどものころは、戦前戦中の世の中は価値観からなにから今とはまったく違う世界、という印象が強かったのだが、人の営みや感覚はどの時代もそうは変わらないし、今でも、為政者が判断を誤れば致命的なことにもなりううる。
 そんななかで自分も、おかしなことにならないようにしっかり生きていかないと。

すいませんついだらだら書いちゃった。。





コメント (2)
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