おびただしい鳩と 猫
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おびただしい 粉
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おびただしい 灯
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おびただしい 鳩
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そして 孤独な猫
しかし
猫が心豊かに暮らし、案外 鳩はひとりぼっちなのかもしれない……
2008年9月 トルコ イスタンブールにて
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ネムルートでも 多くに人たちと出会った。
写真1、2、3はネムルートを降りる時に出会った ネムルート村の農家の方たち。
ネムルートには多くのクルド人の方が住まれているとのことなので、おそらく この方達もクルド人かも知れないは、面と向かって聞くのはおこがましいのでやめた。
イランは多民族国家で、その中にはクルド民族の方も住まれている。
写真1のご年配の男性は、イランでもよく見かけるお顔だちのご年配男性。
お顔の雰囲気に味があり、素敵だなと思う。
左手に持たれた杖は、手作りだという。
とても器用だ。
以前 イランのフィールアーバードの農家を訪れた時に 手作りの笛でイランの調べを楽しませて下さったhttp://blog.goo.ne.jp/usuaomidori/e/f28a830728763201c9e6db05c47c2d20ことを思い出す。
笛の男性はクルド民族の方とはまた違ったお顔立だった。
しかしながらトルコやイランの農家の方は、日本や中国やタイやその他のアジアの生活と同様、竹と密接な関係にあると思われる。
トルコやイランを歩くと、ヨーロッパ的な部分とアジア的な部分に出会うことができ、楽しい。
写真2の男性は山道でハーブを採取してきたという。
香りを楽しませ、自慢する姿は、とても可愛らしい。
大切に胸に抱え、高価なブーケ瑠璃も心ひかれた。
写真1,2、3の男性は帽子をかぶっている。
中東では、帽子をかぶっている男性も多い。
写真1,2,3の男性を見てもわかるようにトルコではひげを生やす男性が多い。
これはイランでも同様。
ひげをはやさない男性は、一人前とは見なされない。
写真1,2,3の男性立ちは、ネムルートの山頂近くから麓近くにある自宅にそれぞれ送って欲しいと頼まれ、ミニバスに乗っていただいた。
4,5の男性は、ホテル従業員。
私たち三人をホテルからネムルートまで 二往復運転して下さった親切な方だ。
私と息子がケビンコスナーよりも男前と言っていた男性だ。
ケビンコスナーのファンの方がおられましたら、お詫び申し上げます。
運転手さんとケビンコスナーさんのご両人。そして 写真のお三方も含めて、良い人生を送られている方たちだと付け加えさせていただきたいと思います。
トルコ/ネムルートにて 2008.9
夕焼けの中、ネムルート山の草を食べるロバ。
ロバは険しい道のり、観光客を乗せて頂上まで登り、下る。
観光シーズンはその繰り返し。
上り下りは日本円にして五~六千円といったところだろうか・・・。
トルコのイスタンブールでは悪質タクシーが多いとは聞いており、気をつけていたつもりだったが・・・。
メーター制にするとグルグルと余分に回られ、あっという間に五~六千円はメーターが回っててしまうといった痛い目に遭った。
それから考えるとクルド人の方の生活の支えとなるであろうロバタクシーは決して高いとは言い切れないかも知れない。
ネムルートの夕刻は景色も、自然も、人の心も美しかった。
ネムルートの遺跡に辿り着くまでの道のりは険し所やなだらかな所ある。
結構きつく、ヨーロッパ人のツアー客で音を上げている方も多かった。
彼らの中には気軽にスリッパなどで登る方が多いことにとまどってしまった。
我が子も、一人でトルコからロードス島やオーストリアに行き来したが、それ補のまでにヨーロッパは近い。
ヨーロッパ人は気軽にトルコを楽しんでいる様子。
写真上はごろごろ道をロバで下山する様子。
朝日を見るために午前三時頃からガイドと二人 真っ暗なごろごろ道をライトを頼りに登った夫は、勇気ある人だなぁと感じる。
写真は夕方のトルコのネムルートの遺跡。
ごろごろ石や岩の結構足場の悪い山を登っていくと、頂上に遺跡が見える。
遺跡の数は多く、ごろごろと転がっている状態。
私たちは 一日目はホテルを十二時半に出発。
夕刻になる前に山に登る。
二日目は 夜中の二時頃ホテルを出発。
夫は山頂にて朝日の中の遺跡を見た。
私と子どもはホテルに戻ってすぐに別ルートに出発。
『モザイク博物館』と『トルコアイス』に行くため、体力を温存。
しかしながら、ネムルートの遺跡は素晴らしく、何度行っても見飽きないだろう・・・。
今考えると、少し残念な感じもする。
徹夜して、両方楽しめば良かったかな・・・。
2008年9月下旬
(写真はトルコのネムルートの夕日。
自然色。無加工。 2008年9月下旬)
こちらはトルコのネムルートの夕刻。
日の出も素晴らしかったが、日の入り時刻もとても美しい。
ネムルート村にはクルド人が多く、中には写真を撮られるのをいやがる方もいらっしゃった。
クルド人はトルコ国内でも色眼鏡で見られるとこぼしておられた。
クルド人の方も味のあるお顔も方が多い。
ホテルのバス運転手さんとはまた違ったお顔立ちで、素敵だなと思った。
クルド人の方たちにリンゴ茶(アップルティ)などをごちそうになった。
彼らの笑顔は人として美しい。
喫茶店では二時頃から、男達が食事作りにおわれておられた。
トルコではイランに比べて緩やかだが、九月下旬のラマザーン期に当たっていたので、日没の食事作りは気合いが入る様子。
ちなみにトルコのクルド男性人も イラン人の少数民族の一部の方のように 独身男性が多い。
ネムルート村の彼らは放牧や農業の他、ロバタクシーや他の観光などで生計を立てている方もいると話されていた。
多分、女達は絨毯を織る人もいるのだろうか・・・。
ネムルート村の民家に立ち寄らなかったのは、心残りだ・・・。
(写真は二枚ともトルコのネムルート近くの日の出。
自然色。加工無し。 2008年9月下旬)
この写真を載せたことが倅に知れると、怒られるだろう・・・。
そう思いながら、見つかりませんようにとパソコンキーを叩く私。
トルコのネムルートの日の出の時刻。
息子がマイクロバス運転手と長時間話していた。
随分遠くからこの写真を撮ったのだが、二人に気づかれる。
息子は右手でピースをつくる。
倅は本当に「馬鹿野郎!」だな・・・。
マイクロバス運転手はホテルの従業員。
英語は美しく、なかなかのイケメン。
顔はケビンコスナーを男前にした感じ。
結構かわいい我が子の笑顔も、彼の前では不思議にも平面的に見えるから不思議。
おかしいな・・・。
まぁ、ここまでかけるのは親バカの証拠か。(爆)
本当に、私って阿呆!
(写真は二枚ともトルコのネムルート近くの日の出。
自然色。加工無し。 2008年9月下旬)
トルコのネムルートへは マイクロバスを家族三人で借り切って、二度行った。
ネムルートの遺跡を 夕日と朝日で楽しむという目的。
写真は朝日。
夫はネムルートの駐車場を午前三時頃には出発。
登り始めて遺跡までのあいだ、ごろごろ道をライトを灯し ガイドに連れられて、登る。
私と子どもは前日にも登っていたので、毛布にくるまれたままマイクロバスの中で眠ることにした。
今考えると、夫のように朝日、夕日二つ戸も 遺跡を楽しむべきだったかも知れない。
しかし、子どもは私たちよりも早くトルコ入り。
トルコ西側を楽しんだ後 ロードス島入り。
ロードス島から駆けつけて、何とかネムルートの遺跡の夕日の出発に間に合ったという疲労度から考えると、子どもは無理だったようだ。
日の出。
夫はネムルートの遺跡を楽しむ。
私と子は、駐車場付近で日の出を楽しんだ。
真っ赤だった。
美しい。
ネムルートの遺跡の朝日は見ることはできなかったが、心に染み入る 真っ赤な空だった。
写真は トルコアイスクリームです。
色が とってもきれいでしょう。
トルコのアイスクリームはとても美味しいです。
え?
トルコで有名なのは、トルコアイスじゃないのかって?
そうですね・・・。
トルコアイスが有名ですね。
私は 念願のモザイク博物館に行った後、元祖トルコアイスの店の本店に行って参りました。
朝早くからバスを乗りついで、キャフタのホテルに帰ったのは夜の十二時前でした。
ちなみに いくらおばちゃまの私とて、中東で夜の十二時一人は怖いです。
キャフタ→アデアマン→ガゼアンティップ→カフラージュウマン→アディアマーン→キャフタ のバスの旅は、ロードス島からかけつけた子どもと同行であったことを付け加えておきたいと思います。
ホテルで仕事をして待っていた夫は、ふてくされるやら心配するやら・・・。
ワインを飲んで、ふてくされておりました(爆)