乱鳥の書きなぐり

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19世紀のアメリカ人が集めた 中国のマザーグース 

2007-03-05 | 読書全般(古典など以外の一般書)

 

 記録だけ 2007年 30冊目

 

 

 19世紀のアメリカ人が集めた

       中国のマザーグース  

        

 

 著者 ロビン・ギル 1951年生 

 和訳唄・注釈  星野孝司 マザーグース学会会員

 (株) 北沢図書出版

 1991年9月20日

 233ページ 3000円+税

 

 中国の風習や考え方がよくわかる良書。

『マザーグース』を『アメリカ人』が『中国』で集めたところが興味深い。

 なじみのマザーグースよりも一層泥臭くてある意味面白い。

 残酷なものや意地悪、淡々としたもの、反対言葉など言葉遊びとしても,漢字に並び方や韻のふみ方も面白い。

 日本語で内容を理解してから中国語で見ると、より楽しむことができる。

 本来のマザーグースと同様、声に出してリズムをつけて歌ってみたくなる一冊。

 

 本書に載せられている子どもたち。その濃厚な写真の数々を見ているだけでも、とても楽しむことのできる素敵な本。

 

 

 157ページの花の家畜化の話は興味深い。

 花の艶やかな色、金魚、長尾鶏、平たい顔の犬、纏足などを『盆栽』という著者の感覚は好きかも知れない。

 

 

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狗、犬、イヌ(雲南省&広東省・広西チワン族地区の比較)

2007-03-05 | 中国 2006~2019(7回)・台湾・ベトナム

 (写真は雲南省のかわいいワンちゃん。日向ぼっこをしていました。)

 

   狗、犬、イヌ(雲南省&広東省・広西チワン族地区の比較)

 

 

 雲南省についてまず感じたこと。

 まさしく雲南省の犬はペットだった。

 ワンちゃんという名が似つかわしい。

 

 

 写真のような毛の長い小型犬が多く見られる。

 狆或いはペキニーズとなにがしらのミックス犬を初め、コーギーミックスやマルチーズのミックス。

 中には純粋のコリー、ダルメシアン、ミニチュアピンシャーなども見られる。いわゆる高級犬。

 

 

 小型犬ミックスはカラフルな服や首輪、鎖をつけている家庭も多い。

 若者や中年、老人が犬の散歩している姿も多く見た。

 かわいや、愛しや・・・で育てられるワンちゃん。

 

 

 昆明の初夜、ホテルからは複数の犬の遠吠え。元気なワンちゃん。

 

 オペラグラスで暗き窓の外を眺めてみると、大きな家や三階建てのコンクリートの民家。金持ちが多いらしい・・・

 目を凝らしてみると、懐中電灯を持った男性が中型犬と歩いている。日本と同じ光景。

 

 

 昆明でも大理でも小型犬ミックスたちや大型犬は大いにはしゃぎ、けたたましく吠え立てる。

 人なつっこい子(犬)は見ず知らずの私たちに擦り寄ってくる。

 日本人旅行者の中には、思わず手を出してかわいがる方たちもおられた。

 

 

 毛並みは美しいもの、シャンプーを滞っているものなどさまざま。

 ただ共通していることは、犬は家族の一員であるということ。

 雲南省ではペットショップや、獣医(診療所)、カラフルなペットグッズ店も多い。

 いかにワンちゃんたちがかわいがられているかが伺える。

 

 

 乱鳥は何を書いているのだろう・・・

 犬がかわいがられるのは普通のことではないかと思われる方も多いことだろう。

 

 だが、中国では犬はペットとしてだけ飼われている地区ばかりではないことを付け加えておきたい。

 

 

 

 

 昨年十二月に訪れた広東省と広西チワン族地区では、犬は家畜の場合も多かった。

 

 広東省と広西チワン族地区では一家族で複数の犬を飼っている場合も多い。

 犬の種類は中型権の赤犬(茶色)か黒犬。毛はいたって短い。

 私は広東省と広西チワン族地区の旅の間、犬の鳴き声を一度たりとも聞くことが無かった。

 

 犬たちはおとなしく、黄姚古鎮のような犬の多いところですら、空気と同化した 乳の大きな犬が多い。

 犬の子は一匹も見当たらなかったのも付け加えておく。

 

 

 たまたまなのかこれらの犬たちは首輪や鈴をつけているものはいなかった。

 ただ地域に妙になじんだ かしこすぎる犬が、玄関前で主人の放り投げるえさを待っていた姿を何度も見た。

 独断だが、賢い犬だけが親犬、飼い犬として残されているのではないかとさえ、感じてしまう。

 

 

 バスの中からは道路を走り回る複数の茶色の中型犬。

 彼らは群れを成して行動していたものも多い。

 やはり首輪は無い。

 

 

 広東省と広西チワン族地区では街やホテル近くを歩くと、中国人相手の狗鍋の店がひしめき合っている。

 狗鍋店は人気が高く、どの店を覗いても人が多い。

 中には店頭に狗のロースト。ミニチュアピンシャーを二周りばかり大きくしたような狗が、家鴨や鳩、羊たちに混じってガラスケースにつるされている。

 哀れな姿だが、中国ではこれは食用の狗なのだ。

 中国北部ではあまり食べない狗も、南側ではご馳走として普通に食されている。

 

 

 狗肉は食文化の違い。非難することは慎みたい。

 中国ではペットと食用の家畜狗とは区別されているといったほうが正確かもしれない。

 多くの人間が飢餓状態で無くなられた背景を考えると、犬がペットではなく家畜とした文化があっても不思議ではない。

 

 

 

 近年中国にも、ペットブームは北京や上海に限らず、ここ雲南省でもブームを迎えていた。

 この状況を受けて以前観た映画『わが家の犬は世界一』が制作されたことを思うと納得がいく。

 

 

  中国では都市で犬の飼育が禁止されていた。

 内緒で犬を飼い、見つかると没収。

 改革解放政策で規制がゆるむが、犬を飼うためには、税金は一匹三千元(5万1千円=中国平均収入2,5ヶ月分)を収めねばならない。

 そこで無断でペットを飼うといった人が増えてくる。

 至極当然だが、考えさせる部分が多い。

 ことの始まりは中国の貧富の差にまで発展する問題。

 

 

 雲南省と広東省と広西チワン族地区の犬の飼いかたの違いについて一日目に気づいた私は、ミスター雲南総括ガイドに問うてみた。すると、ミスター雲南総括ガイド曰く、

「そうです。賀州付近では家畜で、雲南省ではペットです。」

 これで私の考えがおおむね合っていたことが裏付けられた。

 

 

 

 旅行社(ツアー)の用意した賀州のレストランでは狗のアバラが二度ばかり出てきた。

 みんなは美味そうに食べている。

 初めての肉の味。不思議に思い、食後レストラン従業員に家族が問うた。

「これは何の肉ですか?」

 従業員は困り果てた顔をして、オーナーに聞きに戻る。

 苦肉の策での返答は

「猪排」

とメモに書いてくれる。

 従業員は苦笑い。私たちも笑う・・・

 

 猪は中国では豚のこと。

 豚のアバラがこんなに小さいはずもないし、味はまるで違う。

 万一割り引いて猪と考えても同様。

 中国の広東省と広西チワン族地区ではごくポピュラーな狗肉を嫌うことを知っている中国人の知恵である。

 ちなみに 広東省と広西チワン族地区では『鳩』も何度も出てきたが、ガイド嬢は 私たち家族以外には『鶏』と答えていた。

 

 

 

 では雲南省では狗は食さないのか?

 答えは『食べる』である。

 

 確かに狗火鍋の看板は歩いた範囲内では見かけなかった。

 但しツアーで入った昆明のレストランの夕食で、一度ばかり出てきたことがある。

 この場合はアバラではなく、切りそいだ肉だった。

 

 

 ベーコンと豚のばら肉、そしてそいだ狗肉が 肉のごった煮といった感じでで盛り付けられている。醤油砂糖ベースで、ダシは効いてない。狗肉はきわめて紅黒く、みんなの関心を引いていた。

 

 

 多くの人がそうであるようにツアーのみんなは脂肪の少ない赤肉を選んで食べ、口々に美味しいとおっしゃっていた。

 私たちがひそひそと二人で話していると、突然テーブルのひとりが、

「これ何の肉?」

と疑問を抱き始めた。

「豚や。」

「豚ちゃう、羊や。」

「匂いが違う、ヤク(前日食べていた)の0お肉ちゃう?」

「ヤクは舌触りが違った、牛か?」

「違う・・・・・・」

「今まで食べたことが無い味や・・・・・・」

 そのあと急に箸が止まったのはいうまでも無い。

 

 ・・・というわけで、雲南省でも狗肉を食べることが分かる。

 

 

 

 最終日、ホテル近くの自由市場ではさまざまな食材を見た。

 頭蓋骨を抜かれた豚の顔面は、猪八戒の仮面のような情けない顔をしていた。

 見たこともない多種類の肉の中、一匹の犬の形そのものの狗肉が売られていた。

 

 

 ツアーのみんなは同様の表情を浮かべて気味悪がられてたが、前夜、テーブルをともにしたほとんどの方たちは、犬肉を食べられていた。

 私はその国に行く以上は、各国の食文化の違いを否定したくは無い。

 ペットと家畜用にわけられた犬は、中国の諸事情を考えると、頭で理解することはできる。

 むしろあんなにかわいく美しかったヤクにも 食材になっていただいたということに、私は感謝してしまった。

 

 人間は自分の考える狭い範囲内だけで納得し、拒絶もする身勝手な動物であることを感じた。

 また日本でも諸外国から考えれば、相当奇妙にうつる食材や調理方法をしているのだろうから、中国だからといった言葉は控えていただきたいと、今回の旅行でも感じた。

 その土地に行く以上は異文化を否定しないように、私も気を付けたいと痛感した。

 

 

 最後に付け加えておきますが、私はいたってワンコ好きです。

 今は13歳の可愛い猫ちゃん(かなりなお年)がいますが、わが子のような小型犬のワンちゃんを一昨年に亡くし、現在でも結構まいっています。

 

 

 

 

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