乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

Osaka   中之島は景色そのものがアートである。控えめな夕暮れの景色が、心に響く。  (3景)

2018-12-06 | お出かけ



  Osaka
  Nakanoshima
  2018,12,05




 夕刻時すぎの中之島

 控えめの夕日が土佐堀川を染める。

 

 

 

 月一の中之島の訪れは、ビルの少ないなら暮らしの私にはいい刺激になっている。

 田舎の景色もまんざらではないが、元来、京都市内のど真ん中で暮らしていた私。

 京都とはまた違った現代アートの面影を感じさせる中之島の夕暮れが、ここ最近の私には心地よく感じる。



 
 中之島の開発は大坂の陣後、大坂屈指の豪商、淀屋常安によって1615年(元和元年)に始まった。
 淀川(現・旧淀川)本流の中洲であることに加えて、大阪湾から遡上する二大航路の安治川と木津川の分岐点でもある中之島には諸藩の蔵屋敷が集中し、全国各地の物資が集まる「天下の台所」大坂の中枢を担った。

 明治になると、諸藩の蔵屋敷は払い下げられ、大坂の商業やビジネスの中心としての役割だけでなく、国の重要文化財の大阪府立中之島図書館や大阪市中央公会堂(中之島公会堂)等の文化施設や大阪帝国大学(現・大阪大学)を始めとする学校や病院が市民の寄付などで建設され、近代商都大阪においては情報と文化の発信地でもあった。
 ただし、明治時代の払下げから大正時代初期に現在の大阪市役所、中之島図書館、中央公会堂、また過去には豊國神社や裁判所(現在の大阪高等裁判所の前身)、旧陸軍関係施設があった時代もある中之島一丁目周辺は地籍図が混乱しており、土地の所有関係が不明瞭であることが問題でもある。
 中之島近辺は大阪を代表するビジネス街であるが、官公署が多い東部に比べて西部の開発が遅れていた。
 しかし近年、大阪大学と大阪大学医学部付属病院の跡地を開発して誕生したほたるまちをはじめ、大阪府立国際会議場や大阪市立科学館、国立国際美術館が立地する大阪の文化・芸術拠点となりつつある。京阪中之島線が開通したことでアクセスも改善され、周辺の再開発も活発になっている。
 中之島公園は、都心部の貴重な公園となっており、バラ園が有名。またイベントも数多く行われており、中之島まつりやOSAKA光のルネサンスは毎年開催される。
旧ダイビルを解体した跡地にできたダイビル本館、中之島ダイビルをはじめ、新朝日ビルディングとフェスティバルホールを建替えた中之島フェスティバルタワーは竣工済み、大阪朝日ビルと朝日新聞ビルも解体され、中之島フェスティバルタワー・ウエストへ建替えられた。このほか、住友不動産による住友中之島ビルの超高層ビルへの建替え、京阪電鉄と大林組による外資系ホテルを誘致しての複合高層ビル(中之島四丁目再開発)も計画されている。
 現在、玉江橋(なにわ筋)より堂島大橋(あみだ池筋)間の堂島川左岸約400メートルの堤防上等に、水上カフェをはじめとする飲食・物販店が集まった「中之島バンクス」を整備中である。
 (ウィキペディアより)



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コメント (2)
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