【遊女】 一般的に考えられる「遊女」「遊君」と、「仏」としての存在であると考えられていた「遊女」(あそび)や「白拍子」は違う
【遊女】 一般的に考えられる「遊女」「遊君」と、「仏」としての存在であると考えられていた「遊女」(あそび)や「白拍子」は違う
以前に民俗学マイブームであったころがあった。
その時に読んだ遊女や遊女(あそびめ)や白拍子や傀儡や、本当かどうかは知らないが卑弥呼説などを読んだことを覚えている。また、湯女(ゆな)や街道沿いの宿屋の飯盛女も有名で、複数の民俗学者は多くを語っている。
今回は新たな説を聞いたので、記録しておきたい。
【遊女】あそびは、遊女(あそびめ)とは違うというと云う・
確かに、平安時代の遊女(あそび)は、存在したのであろう。
そのことが、ウィキペディアにも出てきた。
【遊女】(ゆうじょ、あそびめ)
遊女(ゆうじょ、あそびめ)は、遊廓や宿場で男性に性的サービスをする女性のことで、娼婦、売春婦の古い呼称。
「客を遊ばせる女」と言う意味が一般的である。
呼称 「遊女」という呼称は古くからあり、元来は芸能に従事する女性一般を指したものであり、とりたてて売春専業者を意味するものではなかった。
古代中国の遊女 古代中国では遊女のことを妓女と呼ぶが、遊女という言葉は『詩経』周南・漢広編に「漢に遊女有り、求むべからず」とある。
この詩経での用例は、川(漢水)べりでという意味、もしくは川の女神という意味である。
齋藤茂は日本語での遊女は、この詩経での「出歩き遊ぶ女」から派生したようだとしている
ここで注目したいのは、川(漢水)べりでという意味という部分。
【遊女】と書いて、【あそび】と云う説を唱えた学者様も、また、白拍子について記述されていた別の学者さんも、水に関係するという論に達せ田れていた。
【遊女】(ゆうじょ、あそびめ)を続けたい。
ウィキペディアによれば、日本の遊女の別称である「女郎」は、古代中国では「若い女性」の意味である。
夜鷹。江戸職人歌合. 石原正明著 (片野東四郎, 1900) 日本における遊女の呼称 日本では古来より数多くの呼称があり、古く『万葉集』には、
遊行女婦(うかれめ)の名で書かれており、平安時代になるとこれに代わって遊女(あそび)がでてくる。
「遊(あそび)」は、『源氏物語』みをつくしの巻に「あそび共の集いまいれるも」、『栄花物語』に「江口という所なりて、あそびども笠に月をいだし」、『散木集』に「あそびども数多もうで来て」、『更級日記』に「あそび三人」などがあり、歌舞を主にし、「あそびめ」「あそびもの」とも言った[5]。中世には、傀儡女(くぐつめ)や白拍子(しらびょうし)、傾城(けいせい)、上臈(じょうろう)などと呼ばれていた。
近世になると、女郎(じょろう)、遊君(ゆうくん)、娼妓(しょうぎ)といった呼称もあらわれる。遊廓の遊女には位があり、最高位の遊女を太夫という。江戸の吉原遊廓では太夫が消滅した宝暦以降は高級遊女を花魁(おいらん)といった。
大衆的な遊女には湯屋で性的労働を行う湯女(ゆな)、旅籠で性的労働を行う飯盛女(めしもりおんな)がある。
そのほか街角で買春客を待つ京都の辻君(つじぎみ)、大坂の惣嫁・総嫁(そうか)、江戸の夜鷹(よたか)な江戸の夜鷹(よたか)などもある。ただし一般的には、「遊女」「遊君」と言った場合はこうした大衆的な娼婦より上位の女を指す。
一般的に考えられる「遊女」「遊君」と、「仏」としての存在であると考えられていた「遊女」(あそび)や「白拍子」は違うことが分かる。
上の内容がこう簡単にウィキペディアで出てくるとは思わなかった。
ウィキペディアも良いが時間を見つけて柳田國男の論を読んでみたいと思う。
民俗学は、これだから面白い。
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