偏行唐草文様 平瓦
唐草文用の好きな私は、奈良の某展示室を観て目が釘付けです。
なんと美しいこと・・・。
蓮花文様とともに、心惹かれます。
この展示室は今回で二度拝見させていただきましたが、各回ともに発見が多く、まだまだわからないことばかりです。
上の平瓦は偏行唐草文様です。
普通左右に唐草文様が広がっているものが多いのですが、この唐草文は右に流れています。
これは白鳳時代につくられた瓦の特徴だと言うことです。
上写真の瓦の右を見て下さい。
連丸の部分に藁のようなへこみがあります。
また、下の唐草文もくっきりせず、薄くなっています。
これは奈良の片岡という地の窯跡(正確には 【KUSURII 瓦窯跡】)から出土したものだそうです。
完成品は長屋王の邸宅に運ばれ使用されたそうで、窯跡では不良品のかけらなどが出てきたようです。
なんだか、ロマンを感じます。
偏行唐草文様が気にかかり、色々と尋ねてみました。
説明いただいた方のお話によると、この偏行唐草文様は奈良のこの辺りの特徴的唐草文様だとのことです。
唐草文は好きなので、日本や中国やイランなどで丁寧に観てはいたつもりだったのですが、生憎イランでは偏行唐草文様はわたしの意識下には無かったのです。
しかしながら、今のままでは わたしには奈良onlyという確信がもてません。
これからの課題の一つにしたいとも考えています。
偏行唐草文様を調べていると、素晴らしいHPに出会いました。
石野河原工業株式会社様の 河原資料博物館(奈良 柳本駅 徒歩10分)です。
偏行唐草文様については次のように書かれていました。
4.白鳳時代の瓦
7世紀半ば頃になると、軒丸瓦の蓮弁の中に小さな蓮弁状のものが加わります。これを子葉と呼んでおります。そして軒平瓦に弧を何本か引いて文様としたものが使われるようになります。
7世紀半ばを過ぎると軒丸瓦の文様として、蓮弁が2つずつ1組になった複弁蓮華文が多く見られるようになります。さらに文様面は大きく作られ、蓮子が中央の1個を中心に二重にめぐり、外縁には三角形を連ねた鋸歯文がめぐります。瓦全体が大ぶりに作られ、瓦当の直径が18センチぐらいあります。軒平瓦は重弧文だけでなく、忍冬唐草文を飾ったものが作られます。
7世紀末近くになると、軒丸瓦の外区が内縁と外縁の2つに分けられ、内縁に珠文を、外縁に鋸歯文をめぐらすというように、文様がだんだん複雑になります。軒平瓦の文様は忍冬唐草文が変化した波状の唐草文、それも一方向に反転していく偏行唐草文が多く使われます。外区には、上に珠文を、脇と下に鋸歯文をというように、こちらも文様が複雑になります。
このように、7世紀後半はいろいろな文様が作られますが、それだけ寺造りが盛んに行われたことを示しています。持統天皇の頃には、全国でおそらく500か寺近く建てられただろうと考えられています。そして藤原宮で瓦葺き宮殿が建てられ、寺以外に瓦が茸かれた建物の初めてのものとなりました
石野河原工業株式会社様の 河原資料博物館 HPより転載させていただきました。
ありがとうございました。
日本の平瓦における謎は深まるばかりです。
日本全国、或は世界に偏行唐草文様が存在するのか否か。どういった所に残っているのかをいずれ探し遊んでみたいと思います。
石野河原工業株式会社 河原資料博物館にも行ってみなくては・・・。
また楽しみが一つ増えたと喜ぶ乱鳥でございます。
2009、11、05 某展示室を楽しむ
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