乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

ぎゃふ~ん!で、ごじゃりまする。      野菜育て編

2011-05-08 | 乱鳥徒然 Rancho's room.








 先日植え付けたキューリとニガウリが一苗づつ、枯れましたでごじゃリまする。

 おそらく連日の暑さと風によるものと思われます。

 ぎゃふ~ん!

 ぎゃふ~ん!で、ごじゃりまする。


 おまけに十日以上もたつというのに、一行につるなしインゲンの芽が出てこないのでございまする。

 はてさて、どうしてよいものか…。弱り果てておりまする。

 ぎゃふ~ん!

 ぎゃふ~ん!で、ごじゃりまする。


 残るは トマト 四苗、キューリ 一苗、スイカ 二苗、カボチャ 一苗、ニガウリ 二苗

 ところが今年は一向に大きくならないのでございまする。

 ほんに今年は ぎゃふ~ん!

 ぎゃふ~ん!で、ごじゃりまする。




 


 おつきあい下さいまして、ありがとうございます。

 とても嬉しいです☆




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東大寺 聖武天皇祭  舞楽 「迦陵頻」「胡蝶」「陵王」 (18枚)  鏡池にて

2011-05-08 | 舞台・芝居


      東大寺 聖武天皇祭  舞楽






 五月二日

 聖武天皇祭では 式衆・稚児などによる練り行列野あと、舞楽(1時半~2時20分)と慶讃能が奉納(3時~4時20分)

 こちらも楽しませていただきました。

 今回は鏡池で奉納された舞楽を記録したいと思います。

 見て下さいましたら嬉しいです。




  「迦陵頻」




















  「胡蝶」




















「陵王」(或は「蘭陵王」)












































 見て下さいましてありがとうございます。



 次回聖武天皇祭記録では能楽『歌占』の予定です。

 今後もよろしくお願い申し上げます。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東大寺 聖武天皇祭「式衆・稚児による練り行列」3  僧兵・会奉行・式衆・華厳宗管長・侍僧(18景)

2011-05-08 | 神社仏閣・祭り

(写真上の傘持ちの方たちは、東大寺学園高校一年生の方々です☆^^☆)







               聖武天皇祭     2011年度











   5月2日 聖武天皇祭

   式衆・稚児による練り行列 13時~

   大仏殿到着後「聖武天皇御忌法要」










 東大寺 聖武天皇祭 「式衆・稚児による練り行列」1  先駈、道楽を奏でる楽人・稚児(14景)

 東大寺 聖武天皇祭「式衆・稚児による練り行列」2  物詣女・小野小町・ミス奈良・聖武講役員(12景)


に続き、聖武天皇祭「式衆・稚児による練り行列」3。

 今回でおしまいの予定です。



 行列は、先駈(さきがけ)、道楽(みちがく)を奏でる楽人・稚児(約50名、同伴の母親等約50名)・物詣女(ものもうでおんな)及び小野小町(日本舞踊社中)・ミス奈良の人たち・聖武講役員・僧兵・会奉行(えぶぎょう)・式衆(東大寺本山末寺の僧侶約50名、伴侍・傘もち約50名)・華厳宗管長・侍僧等、あわせて約300人からなる。(東大寺公式HPより 引用)


 今回は、僧兵・会奉行(えぶぎょう)・式衆(東大寺本山末寺の僧侶約50名、伴侍・傘もち約50名)・華厳宗管長・侍僧の記録(写真18枚)をしたいと思います。



 見て下さいましたらうれしいです。

 下からは写真のみにて失礼申し上げます。










        僧兵 ▼  みなさん、カッコいいですねぇ~☆





























        会奉行(えぶぎょう)・式衆(東大寺本山末寺の僧侶約50名、伴侍・傘もち約50名) ▼





























        華厳宗管長・侍僧 ▼































 今回で 聖武天皇祭「式衆・稚児による練り行列」は終わりです。

 


 みなさま、見て下さいまして誠にありがとうございます。

 とてもうれしいです。



    







    








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「関西・歌舞伎を愛する会 第二十回 七月大歌舞伎」で「伊勢音頭恋寝刃」があるらしい。

2011-05-08 | 舞台・音楽 雑感メモ







 今年も「関西・歌舞伎を愛する会 第二十回 七月大歌舞伎」があるらしい。

 どうやら友の会の冊子案内を見落としていたようだ。



 出演者は松嶋屋さんを始め多くの役者さん。

 今回嬉しいのが演目。

 仁左衛門丈の「伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)」がはられるとのこと。

 ここのところのどから手が出る程見たかったあの ‘畳バタン’ の場面が見られるのだろうか……。

 嬉しいな嬉しいなと、心がはやる。

 家族も娘も「伊勢音頭恋寝刃」も見るという。

 わたしもこの芝居は複数回みたいなと企んでいる。





 
 memo


 友の会:6月4日(土)10:00よりWeb・電話受付開始!







大阪松竹座

関西・歌舞伎を愛する会 第二十回
七月大歌舞伎

平成23年7月3日(日)~27日(水)


昼の部


一、播州皿屋敷(ばんしゅうさらやしき)

            浅山鉄山  愛之助
            岩渕忠太  亀 蔵
            腰元お菊  孝太郎


二、新歌舞伎十八番の内素襖落(すおうおとし)

            太郎冠者  三津五郎
             鈍太郎  亀 蔵
            次郎冠者  巳之助
             三郎吾  萬太郎
             姫御寮  梅 枝
             大名某  秀 調


三、江戸唄情節(えどのうたなさけのひとふし)

  序幕 芝居茶屋伏見屋より
  大詰 村山座の舞台まで

            杵屋弥市  仁左衛門
      芸者米吉後に女房お米  時 蔵
           坂東彦三郎  三津五郎
            市村家橘  愛之助
          俵屋娘おいと  梅 枝
            番頭平助  竹三郎
         小揚げの七兵衛  彌十郎
        伏見屋女将おふさ  秀太郎



夜の部


一、菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)

  車 引

           藤原時平公  我 當
           舎人桜 丸  孝太郎
           舎人杉王丸  巳之助
           舎人梅王丸  愛之助
           舎人松王丸  進之介



  通し狂言

二、伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)

  相の山
  宿 屋
  追駆け
  地蔵前
  二見ヶ浦
  油 屋
  奥 庭

             福岡貢  仁左衛門
            油屋お紺  時 蔵
           料理人喜助  三津五郎
             奴林平  愛之助
            油屋お岸  梅 枝
     徳島岩次実は藍玉屋北六  亀 蔵
     藍玉屋北六実は徳島岩次  秀 調
            油屋お鹿  彌十郎
            仲居万野  秀太郎
            藤浪左膳  我 當









 雑談におつきあい下さいましてありがとうございます。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良 春日大社 南門 前の「神石」の伝説(磐座、出現石、額塚) (3景)

2011-05-07 | 民俗考・伝承・講演



    奈良 春日大社 南門 前の「神石」の伝説(磐座、出現石、額塚)








 春日大社参道を東に進み、二の鳥居をくぐって暫く行くと 南門。

 ここには昔当初、居がたっていたという。

 治承3年(1179年)に楼門に改められた。

 春日大社南門は重要文化財に指定されている。





 南門前に 神石。

 写真がそれである。

 地表に出ている部分は小さいが、地下の部分の大きさはわからないといわれる。





 この石は



    磐座=  神様が降臨する憑代(よりしろ)として祀られた(太古の昔)

    出現石= 赤童子(春日若宮御祭神)がここから現れたとされる。

    額塚=  宝亀3年(772年)の落雷により落下した社額を埋めた。




など、諸伝説がある。


 いずれにしても神がかりの石。

 三輪神社など日本の多くの神社にある磐座だったとすると興味深い。五穀豊穣云々を祈願して神饌を備え神主が参られる場合を聞くが、ここではどうなのかが気にかかる。

 また赤童子(春日若宮御祭神)がここから現れたとされる出現石だとすると、ありがたい気がする。

 落雷により落下した社額を埋めたとされると言うのも納得がいく感じがする。

 いずれにしても「神石」煮色々な言い伝えがあるのは楽しいものだ。



 




 見て下さいまして、ありがとうございます。





コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春日大社「砂ずりの藤」と、桃色の「野生の藤」    (20景)

2011-05-07 | お出かけ






    春日大社「砂ずりの藤」と、桃色の「野生の藤」






 初めて春日大社の「砂ずりの藤」を見ました。

 昨年楽しんだ万灯籠の時に「砂ずりの藤」の存在を知り、心にあたためていた藤でした。

 今回「砂ずりの藤」と万葉植物園の藤は見事なまでの満開ぶり。

 心に残る一コマが増えたと喜んでいます。

 今年は藤の少し遅れ気味ということで、万葉植物園の藤はもうしばらくの間は見ることができそうです。

 一の鳥居と二の鳥居の間の右手芝生の藤棚も五日時点では満開でした。



 ここからは写真だけで記録したいと思います。

 見て下さいましたら嬉しいです。






 砂ずりの藤


 
















 巫女さまの頭にも藤





















 砂ずりの藤と 野生の藤




 砂ずりの藤と 野生の藤




 砂ずりの藤と 野生の藤




 野生の藤




 野生の藤




 野生の藤








                 2011年5月5日    奈良 春日大社にて















 春日野奈良観光より ▼



 春日大社には古くより藤が境内に自生していたようです。又ここを古くから春日大社を信仰していた藤原氏が藤を意識されていたことから、奈良朝時代から藤が大切に取り扱われてきたようです。
  春日大社直会殿前には有名なの「砂ずりの藤」があります。美しい藤の花穂が1m以上垂れ下がり地面の砂を擦るほどのびることから、この名前がついています。


 この藤の木は樹齢約800年と古く鎌倉時代後期(1309)に書かれた絵巻「春日権現験記(かすがごんげんき)」にもこの場所に藤があったことが書かれています。花の種類はノダフジの変種といわれています。毎年穂の長さが変わるのですが、近年は地面につくほど穂が長く伸びていない気もします。 花の見頃は4月下旬~5月中旬とゴールデンウイークと重なり観光客が多いので、ゆっくり藤鑑賞するには朝早く来るのが良さそうです。
  又特別拝観(500円)では春日大社回廊内に入れます。回廊内にある多賀神社にかかる藤を鑑賞することができます。こちらは人が少ないのでゆったりできます


 春日大社駐車場すぐ隣の神苑(万葉植物園)では20品種/約200本の藤が栽培されています。拝観料が必要なのですが、白、ピンク、紫の藤が咲き乱れます。早咲き、遅咲きと植えられており長期間楽しめます。
  神苑内には藤の園があり、そこはなんともいえない甘い香りが漂います。手入れ行き届き、しかもここは鹿に荒らされる心配もないので、藤の花が綺麗で長持ちするようです。


 この時期、藤の楽しみ方はもう一つあります。それは野生の藤です。奈良公園内には野生の藤が数多く存在します。恐らくは鹿が種を食べて消化されずに、糞として出たものがどこかで発芽したと思うのですが、春日奥山原始林、飛火野、手向山八幡宮付近等に藤が点在します。
  低い位置の藤は鹿が食べてしまいますので、ある程度の高さからしか生えていません。しかも藤は上へ上へ伸びる性質なので、なかなか下からだと気がつかない事も多いのですが、群生する野生の藤はとても綺麗です。
  特に春日奥山に群生する藤は山を覆うように生えています。双眼鏡を使わないと見れないような場所にあるので、注意してないと見つけられないのですが、迫力が違います。ただ、野生の藤は満開の時期がとても短く満開だった次の日に全部散っているなんてよくあることです。今年綺麗だったからと次の年に行ってみると、全然だめだったりととても気まぐれですが、ぜひ一度、野生に生き抜く一瞬の美しさを発見しに散策してはいかがでしょうか。






 
 おつきあい下さいまして、ありがとうございます。

 とっても嬉しいです。
















コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鹿の餌やりで、嬉しい思いと悲しい思い   奈良 春日大社一の鳥居と二の鳥居の間  (2景)

2011-05-06 | お出かけ






 奈良公園の鹿の赤ちゃんが随分大きくなってきました。

 季節がら、毛のはえ変わり。

 痒くはないかしらと心配になります。

 鹿はお腹をすかし、観光客に餌をねだります。

 もらい餌だけでは足りず、おみくじまで喰いちぎっていきます。

 おみくじは鹿対策のため高い位地に結びつけられていました(と説明が添えられていました   春日大社



 


 そういうと五月三日から五日は鹿せんべいとばし大会があったようです。

 鹿せんべいはひとくくり150円。

 多くの観光客はこれを買い求めます。

 また、奈良でも鹿の健康のためにこのせんべいを勧め、鹿先生以外の食べ物を抑制しています。

 中には化学調味料の入ったスナック菓子を食べさせている方もいらっしゃるようですが、実はそればかりでもない。

 人参や野菜をきれいに短冊切してあげておられるおじいさんも結構出会います。



 この日もおじいさんはお野菜をあげておられました。

 気の良いおじいさんは色々と話しかけてこられ、人参をいっぱいわたしにも下さいました。

 鹿に食べさせると、せんべいの予期のように攻撃的ではなく優しいのです。

 おじいさんは、体の弱い鹿にお野菜を揚げに来ているとおっしゃっていました。



 一方、二枚目の写真のように、せんべいが無くなった後、包んでいた紙テープを鹿に与える輩もいます。

 子どもがたいそうふざけて食べさせていても、親はにこにこと笑っています。

 鹿せんべいは道徳心の薄い人間の手にわたると、必ずしも安全ではないのです。

 鹿が腸閉塞にならないか心配です。

 わたしは鹿に餌をあげるようすを見て、嬉しい思いと悲しい思いを同じ日に受けました…とさ(^^)


                               おしまい




 




 おつきあい下さいましてありがとうございます。





コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「杜若」【かきつばた衣に摺り付け大夫の きそひ狩する月は来にけり】 あやめ、菖蒲、杜若が、あやしい。

2011-05-06 | お出かけ


 朔日奈良春日大社 万葉植物園 「あやめ」の記録をしたが、どうも怪しい。

 昨日撮った写真は、今日の物とは別の場所で写した物だ。

 確かに、「あやめ」「菖蒲」と書かれた物を両方見た。

 だが、私には区別がつかない。

 物知らずの勉強不足だ。

 15年程前から見ているぼろぼろの講談社の『園芸大百科事典』を開けると、「アイリス」から「キショウブ」までで11ページ。

 今日はゆっくり調べたいが、若干面倒くさい。

 若干面倒なんて言うと「よっこらしょ」なんて言葉が似合いそうな気がする。

 まだそんな歳でもないのだが……老化かな?


 

 万葉植物園 A地点 ▼

 

 



 万葉植物園 B地点 ▼

 

 

 



 万葉植物園 C地点 ▼ (昨日記録分)

 

 




                  奈良 春日大社  万葉植物園にて






 




 万葉植物園 B地点 ▼

 かきつばた 衣に摺り付け 大夫(ますらを)の きそひ狩する 月は来にけり  

           


                      万葉集 巻17-3921 大伴家持





 
 



 見て下さいましてありがとうございます。

 とても嬉しいです。







コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奈良春日大社 万葉植物園  「あやめ」    (2景)

2011-05-05 | お出かけ
















 春日大社の万葉植物園に行く。

 植物園では舞楽『菖蒲祭奉納舞楽』が行われる。

 五月五日こどもの日とあって、「迦陵頻」(かりょうびん)左舞と「胡蝶」右舞も舞われる。

 今日の舞楽で、先日二日に東大寺で行われた舞楽のさん演目の内のわからなかった演目が「迦陵頻」と「胡蝶」だと知った。

 お話させていただいたご夫人のお話では、お寺関係では「迦陵頻」と「胡蝶」葉舞われることが多いとのこと。

 今回見た中で「春庭花」(しゅんでいか)左舞の曲と舞いが美しいと感じた。



 万葉植物園ではいろいろな種類の藤が咲いていた。

 色よし香よしの咲き乱れる藤の花。

 これでもかこれでもかと垂れ下がる藤の花。



 今日も藤は色々な所で見た。

 春日大社の一の鳥居と二の鳥居の間の右手芝生には、今盛りの藤棚が多い。

 遠目に見ても紫が美しい。

 どこかの子どもが、
「お母さん、舞踏や、ぶどうがある。」
と、目を輝かしている。

 日本も捨てた物ではない。

 まだまだ純粋な子どもは多くいると胸をなで下ろす。



 春日大社本殿で近くでは、「砂ずりの藤」が見頃。

 春日大社背景の神域にも大きな藤。一部、山を覆っていた。

 これがホントの藤山神ふじやまかんびだ?



 万葉植物園にはアヤメやショウブが咲いていた。

 だが、 アヤメやショウブやカキツバタは何となく模様で決めつけている程度ではっきりとした違いはわからない。

 ここら辺で少し知っておきたいと思い見つけたのが次のページ。

     あやめの仲間の見分け方

 これはわかりやすい。




 万葉植物園では十二分に楽しみ多くの写真を写したが、とりあえず今回は色鮮やかなアヤメを記録したい。

 万葉植物園には万葉集に因んだ植物と多少の歌が知りされていた。

 今回は十程度を読んだが、ここは時間をかけて普段気に留めないような控えめな植物日も目を向けてみたい。




 後日、藤や舞楽も機会を見つけて記録したい。

 その前に東大寺のお練りなどもまだ途中。

 その前の「三室山の桜」と 「郡山城のしだれ桜」もお蔵入りになりそうだ。

 時間が欲しい……。




    



 雑談におつきあい下さいましてありがとうございます。

 とても嬉しいです。

 これからもよろしくお願い致します。








コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藤  くれぬとはおもふものからふぢなみの さけるやどには春ぞひさしき  セミナーハウスにて  (10景)

2011-05-05 | お出かけ





         藤







 藤の花を見ると、子どもの頃に持っていたかんざしを思いだします。

 その頃は父に連れられて京をどりや みやこをどりを毎年見ていました。

 舞妓さんが持って来て下さるお菓子とお抹茶をいただくことと、美しい着物姿の舞妓さんを見るのが楽しみでした。

 家に帰ると、いただいた緑のお皿にお菓子をのせて、お茶をいただくのが一つの楽しみでした。



 今は藤というと中村芝翫丈の『藤娘』を思い浮かべます。

 芝翫丈のそれは独特の味わいがあって、とても好きです。



 一節には藤娘は娼婦だったともいわれていると読んだことがありますが、はっきりは知りません。

 藤娘は大津絵のまねごとで、見よう見まねに描いたことがあります。

 小尾杖は元はお土産などとしても売られていたようですから、上が事実なら、浮世絵的な意味合いも濃かったのだと感じます。







 ウィキペディアで藤娘を見てみると次のような歌舞伎舞踊の藤娘の歌詞などがでてきました。



  歌舞伎舞踊の藤娘


若むらさきに とかえりの 花をあらわす 松の藤浪
人目せき笠 塗笠しゃんと 振かかげたる 一枝は
紫深き 水道の水に 染めて うれしきゆかりの色に
いとしと書いて藤の花 エエ しょんがいな
裾もほらほら しどけなく
鏡山 人のしがより この身のしがを
かへりみるめの 汐なき海に 娘すがたの はづかしや
男ごころの憎いのは ほかのおなごに 神かけて
あはづと三井(みい)のかねごとも 堅い誓いの石山に
身はうつせみの から埼や まつ夜をよそに 比良の雪
とけて 逢瀬の あた妬ましい ようものせたにゃ わしゃのせられて
文も堅田の かただより こころ矢橋の かこちごと
松を植よなら 有馬の里へ植えさんせ
いつまでも 変わらぬちぎり かいどりづまで よれつ もつれつ まだ寝がたらぬ
宵寝まくらの まだ寝が足らぬ 藤にまかれて 寝とござる
アア何とせうか どせうかいな
わしが小まくら お手まくら
空もかすみの夕照りに 名残惜しみて 帰る雁金
流派によって多少異なる。間に「潮来出島」や「藤音頭」が挿入される。
潮来出島
潮来出島の真菰の中に
菖蒲咲くとはしおらしい サアサよいやサア
宇治の柴船 早瀬を渡る
わたしゃ君ゆえ のぼり船 サアサよいやサア
花はいろく五色に咲けど
主に見かえる花はない サアサよいやさ
花を一もと わすれて来たが 後で咲くや開くやら
サアサよいやサー よいやさ しなもなく
花にうかれて ひと踊り




  藤音頭



藤の花房色よく長く
  可愛いがろとて酒買うて 飲ませたら
うちの男松に からんでしめて
てもさても 十返りという名のにくや
かへるという忌み言葉
はなものいわぬ ためしでも
しらぬそぶりは ならのきょう
松にすがるも すきずき
  松をまとうも すきずき
好いて好かれて
はなれぬ仲は ときわぎの たち帰えらで
きみとわれとか おゝ嬉し おゝうれし







 先日、J さまに紀貫之の素敵な藤の歌をご紹介いただきましたので、記録しておきたいと思います。



     新古今和歌集春歌165の紀貫之の歌

    「清慎公家屏風に」



         くれぬとは
         おもふものからふぢなみの
         さけるやどには春ぞひさしき


























































 見て下さいましてありがとうございました。

 とってもうれしいです。



  

    

  



 5月2日  国際奈良学セミナーハウス 奈良市登大路町63












コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東大寺 聖武天皇祭「式衆・稚児による練り行列」2  物詣女・小野小町・ミス奈良・聖武講役員(写真12景)

2011-05-04 | 神社仏閣・祭り




               聖武天皇祭     2011年度











   5月2日 聖武天皇祭

   式衆・稚児による練り行列 13時~

   大仏殿到着後「聖武天皇御忌法要」









 東大寺の聖武天皇祭  東大寺 聖武天皇祭 「式衆・稚児による練り行列」1  先駈、道楽を奏でる楽人・稚児(14景)の続きです。



 行列は、先駈(さきがけ)、道楽(みちがく)を奏でる楽人・稚児(約50名、同伴の母親等約50名)・物詣女(ものもうでおんな)及び小野小町(日本舞踊社中)・ミス奈良の人たち・聖武講役員・僧兵・会奉行(えぶぎょう)・式衆(東大寺本山末寺の僧侶約50名、伴侍・傘もち約50名)・華厳宗管長・侍僧等、あわせて約300人からなる。(東大寺公式HPより 引用)


 今回は、物詣女(ものもうでおんな)及び小野小町(日本舞踊社中)・ミス奈良の三人・聖武講役員の記録(写真12枚)をしたいと思います。

 なお次回は僧兵・会奉行(えぶぎょう)からの記録したいと思っています。

 見て下さいましたらうれしいです。

 下からは写真のみにて失礼申し上げます。










        物詣女(ものもうでおんな)及び小野小町(日本舞踊社中)・ミス奈良の三人 ▼



















































        聖武講役員 ▼























 見て下さいまして誠にありがとうございます。

 とてもうれしいです。



    



    








コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

室町時代から京都市上京区千本閻魔堂にあったとされる 普賢象桜(フゲンゾウサクラ)長岡天神にて (4景)

2011-05-03 | 民俗考・伝承・講演





         普賢象桜



























 先日記録しました御衣黄桜(ギョイコウザクラ)は江戸時代に、京都の仁和寺で栽培されたのがはじまりと言われているそうだ。

 そして今回記録の普賢象桜(フゲンゾウサクラ  普賢象・普賢堂)は室町時代から京都市上京区千本閻魔堂にあったとされています。

 千本ゑんま堂の普賢象桜を紹介されている 教野弘孝様「青りんご」のページ





   




 
 普賢象とは、二本ある葉化した雌しべが、まるで普賢菩薩が象(象の牙)に乗っているように見えることから名がついたといわれているそうです。

 柄が長く花が垂れる気品あるやわらかな色合いの普賢象桜。

 今回美しいなと思い、京都の長岡天神で撮影した普賢象桜ですが、私には全く知識がありません。

 ですから全体ばかりを撮り、普賢象桜の花正面の拡大を写してませんでした。

 まるでピントのずれた大向こうのようです。


 京千年伝説の散歩路さんの「千本閻魔堂の普賢象桜(フゲンゾウサクラ)」によると、次のように説明されていました。


千本閻魔堂の普賢象桜(フゲンゾウサクラ)

ところ      上京区千本通蘆山寺上ル閻魔前町34番地

 小野篁の開基で、定朝作と伝える閻魔王を本尊とし、俗に千本閻魔堂と呼ばれている。境内の狂言堂で毎年五月下旬に大念仏狂言が行われ、京都の代表的な年中行事となっている。観音堂は精霊堂ともいわれ、毎年八月九、十の両日、盂蘭盆の六道会が行われ精霊迎えをする人で賑わう。
 境内に多層石塔の紫式部供養塔(重文)をおおい包むようにしなやかな細い枝が寒風に耐え春を待っている毎年白い可憐な桜が人々を喜ばしてくれる千本閻魔堂の普賢象桜(フゲンゾウサクラ)である。
 
 百人一首の歌人として知られる小野篁卿(802~853)は、この世とあの世を行き来する神通力を有したとされており、昼は宮中に赴き、夜は閻魔之廰に仕えたとの伝説を残しています。篁卿は、閻魔法王より現世浄化のため、塔婆を用いて亡き先祖を再びこの世へ迎える供養法で、後に我が国の伝統習慣である「盂蘭盆会(お盆行事)」へと融合発展する法儀「精霊迎えの法」を授かりました。
 その根本道場として、朱雀大路(現・千本通り)の北側に篁卿自ら閻魔法王の姿を刻み建立した祠が当ゑんま堂の開基です。
 また、この地は「化野」「鳥辺野」と並び、篁卿が定めたと伝わる平安京三大葬送地のひとつ「蓮台野」の入口にあたり、現在も周辺からは多くの石仏群が出土します。ゑんま堂から蓮台野へ亡骸を葬った際に建立された石仏や卒塔婆が、この辺りには何本も無数にあったことから「千本」の地名が残ったといわれています。篁卿の後、寛仁元年(1017)、藤原道長の後援を得た比叡山恵心僧都源信の門弟・定覚上人が、ここを「諸人化導引接仏道」の道場とすべく「光明山歓喜院引接寺」と命名し、仏教寺院として開山しました。「引接」とは「引導」と同義語です。「引接寺」という正式名称より、「通称の千本ゑんま堂」としてより親しまれているのは、この地が開山以前から、人々にそう呼ばれ、神仏や宗旨宗派を越えた信仰を集めていたからにほかなりません。
 
 往古の朱雀大路頭(すざくおおじがしら)船岡山の刑場の麓に植えられた当山発祥の桜です。一ひら二ひらではなく、花冠のままぼとりと落ちるこの桜の散り様が、さながら斬首される囚人の姿に似てるため、中世の所司代は、この花を獄舎の囚人に見せ、仏心を起こさせたとも伝わっています。応永15年(1409)、後小松天皇の薦めで当山を参詣した将軍・足利義満は、境内に咲き誇ったこの桜に感服したそうです。





   




 みなさま、見て下さいましてありがとうございます。

 感謝しています。








コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年も味噌餡のお話です。竹の子最中で有名な喜久春さんの 「柏餅味噌餡」

2011-05-03 | お出かけ




           竹の子最中で有名な喜久春さんの 「柏餅味噌餡」



















 今年も柏餅味噌餡の話を記録して恐縮ですが…。

 わたしの好きなお菓子のお話です。




 天神行きに横目で見ていた鼓月の柏餅。

 粒餡と味噌餡のセット分が店先に並んでいたので一抹の不安があった。

 まぁ贅沢は行っておられない。

 この季節、柏餅の味噌餡を買い求めるために、帰り道に鼓月に寄る。

 だが、 長岡天神で花を見てのんびりと過ごしすぎた私たち。

 この菓子の場合は興味の無い餡だが、それも含めて、柏餅は完売。




 駅に近づこうとする家族。

 抵抗するわたし。

 散歩途中の優しそうなご夫婦に和菓子屋さんを訪ねると、喜久春さんを教えて下さる。




 勇み足で向かう。

 なんだか見たことのある店構え。

 テレビ「よーいドン!」となりの人間国宝さんで八光さんが 竹の子最中を紹介されていたお菓子屋さんだ。




 柏餅味噌餡を聞いてみる。

 この見世でも味噌餡だけが完売で餡子が並ぶ。

 京都の人は柏餅味噌餡だけを大量に買い込む。




 わたしが余りにも残念そうな顔をしたのだろうか…。

 お店の若い和菓子職人さんが
「15分程お時間をいただいたら今からつくりますよ。」
と親切だ。

 わたしはお願いすることにした。



 
 店の方が奥の椅子に案内して下さる。

 喜久春さんのお菓子の載った雑誌を三冊持って来て下さった。

 紅白上用饅頭製のねこまんじゅうというお菓子があるらしい。

 本格的な上用饅頭なのにとてもかわいらしく、招き猫から考えても縁起が良さそうだ。

 祝い事には重宝しそう。

 まっている間にも初節句の電話注文が入り、地元に密着した和菓子屋さんらしさが懐かしく感じた。

 


 喜久春の店は地元の方にも人気で、私たちがまっている間にも多くのお客さんが来店されていた。

 圧倒的に竹の子最中は大人気で、みなさん家庭用やお使い物に購入されている。

 お客さんの中で親近感を感じるおばあさんがいらっしゃった。

 お婆さん「柏餅味噌餡ありますかぁ?」

 娘さん 「すんまへん。今日はもう、売り切れてしまいましてん。」

 お父さん「なんや、きっちりしかつくらへんかったんかいな。」

 息子さん「余分に五個、つくりましたわ。」

 お父さん「そうかぁ。」

     「五つでよろしいか?」

 お婆さん「そんでよろしいわ。それと、お餅もろときますわ。」

 お母さん「おおきにぃ。」

 お父さん「今いれますさかいに。ちょっと待っとうくれやっしゃ。」

 お母さん「すんまへんなぁ。今つくってますさかいに、ちょっとそこ座って待っとうぉくれやす。」

 


 懐かしい京都弁と味噌餡好きのお婆さん。

 幸せな気分になります。



 
 お店のお父さんもお母さんもとても親切。

 お父さんは根っからの和菓子職人さんらしく、餅米の説明やひきうすや蒸らしの説明を熱心にして下さいます。

 見ると店内にはひきうすがあります。

「うちの店の柏餅は昔ながらの手法でつくってまっさかいに、そら、おいしいですわ。他の店は米を水につけまっさかいに、味がとびますねん。……。」 

 色々と教えて下さるお父さんのお話は相当興味深い。


 
 
 申し訳ないことに、餅を蒸すところから初めて下さった喜久春さん。

 売り切れなのにわざわざ作って下さる親切な和菓子屋さんに、涙が出そうにうれしかった。

 時間がかかるのにこんなに優しさと残る店は、滅多に無いだろうと感謝する。



 
 家でいただいた柏餅味噌餡の餅は珍しく黄色。もちもちとした腰のある食感が美味しい。

 白あんよりも味噌が濃いめで、山椒は使われてない。

 甘みが控えめで、特徴的な味噌餡を楽しんだ。




 翌日、竹の子最中をいただく。

 中には甘くやわらかく煮た短冊切りの筍が粒餡の真ん中にたてた形で入っている。

 餡の味はよく、美味しいお菓子だった。

 店の方のお優しい気持ちに彩りを添えられた柏餅味噌餡と竹の子最中。

 今年も美味しい季節のお菓子をいただくことができたと喜んでいる。









       喜久春

        京都府長岡京市長岡2丁目28-40
        075-955-8016
        [営業時間]9:00~18:00
         阪急電鉄京都線「長岡天神駅」下車、徒歩3分








 みなさま、最後までおつきあい下さいましてありがとうございました。

 そして親切な喜久春のみなさまにも感謝申しあげます。ありがとうございました。







コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

錦水亭    (17景)

2011-05-03 | お出かけ






        
            錦水亭







 久しく錦水亭でお食事をしました。

 突然長岡に訪れ、電話予約を入れましたが満席で、二時半まで待たされました。

 仲居さんのお話によると、朝から160組以上が来店されたそうです。

 今回は土地ぜんの予約であったため、小部屋が無理でしたのが残念です。



 筍づくしの会席は懐かしく美味しかったです。

 今年は寒かったため、当初筍の出が悪かったそうです。

 初めの頃は筍を微塵に切り三色団子で出されていた天ぷらも、私たちの頃には筍真っ盛りで輪切りにした天ぷらに変わったと教えていただきました。

 私の好きなよもぎ生麩の下にホタテのあ行った蒸し物の上には、桜の季節には桜の花びらがそえてあったそうですが、私がいただいた物は藤の花びらが煮びたした物があしらってありました。

 京都ですがこぶ味でなかったのは、筍の香を引き立てるためかもしれませんね。



 全体に鰹ベースで、冷酒が進むお出汁味でしたので、数本(爆)も進んでしまいました。

 ただこのお店の日本酒は冷酒と言えど一種類の一般的なお酒で、お料理には合いません。

 お値段だけは大吟醸並みでした。

 もう少し辛口のお酒かまったりしたお味のお酒を置いていただきたい物です。



 このお店は焼き筍も有名なのですが、輪切りの筍。鰹のお味でゆでた後に焼いた物が竹皮にふたつ入っていました。

 夕刻、長岡天神の出店でも焼き筍(一串300円)をいただきましたが、こちらは筍が縦切り。鰹ベースの化学調味料と醤油で煮たものを焼いて下さいました。かなり濃くてからいお味でしたが、こちらはビールに合うお味。これはこれで楽しくいただきました。

 しかしながらわたくしは味付けして煮た物を焼くよりは、焼き筍はそのまま素朴に焼いた方が好きかもしれません。

 奈良に住んでいると掘ってすぐの筍を頂戴することがあります。そんな時、先の方は皮をつけたまま、やわらかな根元は四つ切りにしてアルミホイルに包み、250度 下火 余熱なしで1時間(大きさによって変更)焼き、出来上がりをわさび醤油でいただきます。

 新鮮な筍ならゆでて薄く切り、刺身(わさび醤油か、からし味噌)にするのも好きでです。

 
 













 



 



 



 



 



 



 






                         2011年4月末  京都長岡天神にて









 見て下さいましてありがとうございました。

 とてもうれしいです。






コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東大寺 聖武天皇祭 「式衆・稚児による練り行列」1  先駈、道楽を奏でる楽人・稚児(14景)

2011-05-03 | 神社仏閣・祭り




               聖武天皇祭





   5月2日 聖武天皇祭

   式衆・稚児による練り行列 13時~

   大仏殿到着後「聖武天皇御忌法要」









 東大寺の聖武天皇祭に行ってまいりました。


 行列は、先駈(さきがけ)、道楽(みちがく)を奏でる楽人・稚児(約50名、同伴の母親等約50名)・物詣女(ものもうでおんな)及び小野小町(日本舞踊社中)・ミス奈良の人たち・聖武講役員・僧兵・会奉行(えぶぎょう)・式衆(東大寺本山末寺の僧侶約50名、伴侍・傘もち約50名)・華厳宗管長・侍僧等、あわせて約300人からなる。(東大寺公式HPより 引用)


 今回は、先駈(さきがけ)、道楽(みちがく)を奏でる楽人・稚児(約50名、同伴の母親等約50名)の記録(写真14枚)をしたいと思います。

 次回、物詣女(ものもうでおんな)及び小野小町(日本舞踊社中)からの記録予定です。









 聖武天皇祭では 式衆・稚児などによる練り行列、そして、舞楽(1時半~2時20分)、慶讃能が奉納(3時~4時20分)が奉納されました。

 こちらも楽しませていただきましたので、記録できればいいなと考えています。




 舞楽は三つ、おそらく最後は「蘭陵王」?だと思いますが自信はありません。




 能楽は「歌占」(うたうら)

 内容と動きと小弓につけられた短冊が興味深い能でした。







「奈良の大仏さま」として知られる東大寺の盧舎那仏(るしゃなぶつ)は、今から1250年前の奈良時代に、聖武(しょうむ)天皇、良弁(ろうべん)僧正、行基菩薩などをはじめとして、多くの人々の力の結集によって造顕された。

 しかしこの盧舎那大仏造顕という国を挙げての難事業は、「若し朕が時に造り了るを得ざるあらば来世に於て身を改めて猶作らん」とまで述べられ、また自らを「三宝(”さんぼう”、或いは”みほとけ”)の奴(やっこ)と仕えまつる天皇(すめらみこと)」とさえ称された、聖武天皇の熱意と信仰心が原動力となってはじめて可能であったともいえる。

 この法要は、 天平勝宝 8年(756) 56歳で崩御された聖武天皇の御忌法要で、8時から、聖武天皇をおまつりしている天皇殿で論議法要が行われる(11時半頃まで)。

 この法要中に限り、日ごろは公開されていない天皇殿を参拝することが出来る(南大門を越えてすぐの大仏殿参道東側、勅使門より入って突き当たり。ただし法要中なので建物の中へは入れません。無料)。

 また、13時から式衆・稚児などによる練り行列が行なわれる。
行列は奈良県新公会堂を出発し、南大門を経て参道を大仏殿に向かう。






 お稚児さんたちはとてもかわいらしく、嬉々としていらっしゃいました。

 またお子様を見守られるおご父兄の笑顔とお母様のお着物の美しさにわたくしまでうれしく感じました。

 ここからは 先駈(さきがけ)、道楽(みちがく)を奏でる楽人・稚児(約50名、同伴の母親等約50名)を写真だけで記録したいと思います。 

 見て下さいましたらうれしいです。
























































 見て下さいまして誠にありがとうございます。

 とてもうれしいです。




    


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする