「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
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出かけようか…と思っていたけど

2007-10-29 | ●介護録(~2015.2月)
たまに母を連れてちよっと遠出をしてランチを食べにいこうかな~と、前日までは思っていた。そう、前日まで…。

朝、茶の間に行くと、母がパジャマ姿のままソファに座っていた。いつもなら起こすまでしっかりベットの中なのに珍しい。

とにかくまず着替え。
声かけをすると、着替えモードにはなる。ボタンをはずしたり…という細かいことは母は得意。でも、目を離していると、脱いだはずのパジャマを服の上からまた着たりする。

この日、パジャマのシャツを脱いだ母が「冷たい」と一言。パジャマシャツの裾部分が濡れていた。
えっーーーーまさか!
母を立ち上がらせてみれば、お尻の下ま~るく濡れていた。
紙パンツをしているのに漏れていたらしい。これは初めての出来事。

昨夜、母はトイレでパットをはずしていた。かさばるのがイヤだったのだと思う。まだキレイなままのパットだ。
「まっいいか…」と私はそのまま放置。母紙パンツのみの状態で眠ったことになる。
もし、この時もう一度パットをあてていたら、ひょっとするともれなかったかも。
それに、明け方、母がゴソコゾする物音に目が覚めた。でも、ドアには南京錠しているから外には出ないと安心して眠ってしまった。
多分、この時母はトイレが分からなくなっていたんだと思う。起きていって声かけしていれば、問題なく排泄を済ませ尿漏れが起きることもなかっただろう。

……と、反省。こうやって、一つ一つ経験して教訓を得ていくものなのね。仕方ないよ…介護方法のお勉強したわけじゃないし。実際に体験して、困って、あせって、そして、次になんとか対処方法を見いだすことの繰り返し。

と、こんな朝を迎えたので、「ランチ行く」なんて思いはすっ飛んでいた。
「あ…洗濯だ…」とちょっと落ち込んだ朝。

午後からは、久々に徘徊した。
最近では珍しくやや遠くまで、40分程度の外歩き。以前ほどにかたくなな理由はない。
出る時は「○○へ好くのよ」などと言うものの、歩き出した後は、ほぼ無目的に進んでいるように見える。
声かけのタイミングさえうまくいけば簡単に帰れるな~という予想はついた。

ただ、声をかけるのが億劫になっていた私は、ブラブラとしばらく後をついて歩いていた。幸い、暖かく、上着ナシでも平気だった。

夕方からは玄関の出入り。
それが落ち着いていると思うと、部屋の中でゴソゴソやっているから、アレがこうなって、ソレがああなって、後であちこち片づけなくてはならない。
玄関にあるはずの靴があちこちに置いてあったり、アクセントラグが丸めて炊飯器の横にあり、それがなぜか濡れていたり、洋服があちこちにかけてあったり…。
タナの上の飾りは、毎日、母とイタチごっこをしている。疲れた…と思う。だったら、やめればいいんだわ、飾りなんて。でも、意地になって続けている。

今は、秋を意識した飾り。次はクリスマス。雑貨屋さんで安い季節の飾りをさがすのもスキ。…といいながら続けている間はエネルギーがある証拠。