「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
→こちら Instagram

否定禁止…の話

2008-03-07 | ●介護録(~2015.2月)
介護の最初、とにかく言われる
「否定してはいけません」
理屈ではわかるけど…身内はなかなかそれが出来ない。
そこには、「修正したらわかってくれるかも」「まだきっと大丈夫」って思いがあるから。
このせつない気持ち、専門家わかっているのかな?それともそれはくだらない感傷?

否定しない=受容すること。この言葉は福祉の授業を受けると何かにつけ出てくる。相手を受容して信頼関係を作り、そこから自立支援等への側面的援助を行う。

例えば問題を抱えて児童相談所に来た子に対して、その問題解決のためにはまず心開いて話してくれなきゃはじまらない。だから信頼関係を作るために、まず「そうだよね」「ツライよね」と、共感し受け入れる。

認知症者に対しても、ヘルパーやスタッフは信頼関係を作ろうとするはずで、否定せずに受け入れることがテクニックの一つだと思う。

家族はどうか?
一定の信頼関係は出来ているから、そんなに否定するなと強く言わなくても…?
もちろん、否定せず受け入れた方が平穏、被介護者側から見ても否定するのは良くないけど、家族はそんなにカンタンに理屈で割り切れない。そういう時期は仕方ないんじゃないか…?

だって、介護数年経た私は、一生懸命に訂正しても骨折り損だとわかったし
この間、病院の待合室で、母の横を男性患者が通り過ぎて、母が
「あの人がさっき大阪弁をしゃべってた人よ」と言ったとき、
「ここまでありもしないことを堂々と言われると、否定する気も失せるよなぁ~『そうなの』としか返答しようがないよ」……と思ったもの。

初期の頃は、話すことの一部が違っているから、そこを修正したくなるし、正しいことを伝えていれば、それがそのうち情報として根付くかもと思う。
でも、今の母のようにあまりに突飛な話だと、人間、「そう」くらいしか言えなくなる。

だから
介護が始まったばかりの家族に
「そんなにムリに否定してはいけませんって言わなくても、そのうち、否定しなくなるから」って、ことでダメですか?
ムキになって否定したら自分に跳ね返ってくるので注意してね、くらいのアドバイスは必要だし、否定のオススメはしない。
でも、神経質に否定しちゃイカンと思い詰めて介護者がおかしくなるのはマズイから、それなりに…ってことで……。

いずれ否定をしないのが普通になっていく。だって、そのように進行するから。
イヤでも?否定なんかしなくなる…そんな気がする、最近の私デス。