「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
→こちら Instagram

【介護】認定更新調査前の受診

2011-01-22 | ●介護録(~2015.2月)

( ̄0 ̄)

今回から認定更新の意見書を内科の先生にお願いした。
家から歩いてほんの1分?というくらいに近いトコロにある。
意見書を書くにあたり、私だけでいいから来てくれ…ってことで行ってきた

この内科の先生は面白い
多分普通は家族には見せないと思われる意見書の用紙?と医師側のガイドライン?を私にみせて
この三つから選ぶしかないんだよ~~と言う
(精神科では見せてもらったことはない)

自立度をチェックするらしき項目の判定基準は
母の状態を正しくチエックしようとすると、合致するものはナイ

「自立していない」を基準にすると、1日中ベットか、ベットか車椅子か、ということになり
起きてます、歩きます…となると「自立している」になってしまう選択肢

あ~~~ばかばかしい
なんなんだよ、これって。

相変わらず、認知症の実態は考慮されていないな…と思う

こんなものをガイドラインにして意見書を書くのね

全てをじっく見たわけではないので軽々しく判断してはマズイとは思うのだけど
先生の「国の決まりだから、どれか選ばないとならないんだ」
という一言が全てを物語っているような……
「ピッタリ当てはまる人は誰もいない」って
そうだろうな~~
だとしたら、この意見書に意味はあるのかしらね?

ある人は医師の意見書が判定で重きをなす…といい
ある人は医師の意見書は大して意味がない…という
どっちなんだろ?

自治体により判定も違うのが介護認定だしね~~~~~

そもそも介護度って必要なの?
今はそこにも疑問をもってしまう
介護度がどう出るかで、使えるサービスが決まり、制限もされる
介護度ってある種、主観みたいな気もするし………

介護度の結果も、家族には通知書が来るだけで
内容は特に報告はない
ケアマネが見せてくれれば見れる…みたいな…
これは、素人は見る必要がない…という意味?
本人に見せるのは問題がある…ということ?
私は、一度だけ前のケアマネから見せて貰ったことがある
今のケアマネは、判定結果が出たら持ってくると言っていた
見たからってなにがどうってこともないけど
家族には知る権利があるような気がするんだけど………。