ご挨拶
2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。
介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。
今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。
2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。
介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。
今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。
『今まで長い間
長し(「流し」のこと)の要事(この場合は「用事」)
どうもありがとう
これからも宜しくね
どうもありがとう
これからも あきないで遊びに来てね(「来」は旧漢字で書かれていた)
待っているよ
釧路(「路」は「足」しか書いてない)から来る(旧漢字)のを待っているよ
首を長くして待っているよ
家方(意味不明)首を長くして待っているよ』
↑は、骨折で入院中の母が書いたもの
まだまだ元気だったので
手術前、一般病棟にいる時
夕方の、看護師が最も手薄になる時間に
いわば、「見張り」のため毎日面会していた
(折れているにも関わらず歩く母。
折れた大腿骨骨頭が骨盤にカポンとはまり?歩けてしまうのでした)
時間をもてあますので、手紙でも書いたら?
と、ミニ便せんを母に渡したら
書き出したのが↑の手紙
母が字を書くことはほとんどなくなっていたので保管していた。
解説すると
「流しの用事」をやっているのは「私」
そして「私」は母と同居
だけど「遊びに来てね」となっている
「釧路から来る」のは母のすぐ下の妹夫婦
その妹がやってきて家事などやってくれている
…という認識らしい
母は介護認定を受けた最初のころから
私を
「妹」だったり「他人」だったり
あるいは、「私」であっても「子供のまま」であることが多かった。
果たして一日24時間、どのくらい「娘」を「娘」として見ていたのか?
少なくともこの手紙を書いている時は
いつもいろいろやってくれる人は娘ではなく妹という認識だったわけで
…ということは
このとき母の隣にいた「私」は何者?
「娘である私」?
それとも全くの他人?病院の人?
この手紙を見たときの思いは記憶している
まだ漢字もかけるし文章も書けるんだ…という思い
ああ、でも私のことやはりわかってないんだな…という思い
悔しいような悲しいような…
なぜ、叔母(妹)なの?
叔母の名前は母の口からよく出ていた
逆に、私は名前を呼ばれることが少なくなるばかり……
まあ、そんなことも今は昔…
他人様でもコミュニケーションをとれた頃がなつかしい
………そんな風に思うほどになってしまったデス(T_T)