「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

ご挨拶

2014年12月7日をもって私の介護生活は終了しました。

介護中、このblogに毒吐きし、多くの介護仲間さんに助けられました。
過去記事を読むと穴があったら入りたい気分でもありますし、今とは考え方も違うところもあります
身勝手な独りよがりも多々ありますが、そんなあれこれも、介護中の方たちのデトックスに一役かえたらという思いから「介護録」として残しておくことにしました。

今後はユルユルと日常をつぶやきながら時に介護や認知症に対する思いを書いていこうと思います。

タティング

タティングは↓こちらに 写真をアップしていくことにしました。
お暇が出来たらのぞいてやって下さい。
→こちら Instagram

命日

2015-12-07 | ●介護回想(2015~)
今日は母の一周忌でした。

特別なことはしなかったので、我が家でご住職にお経をあげていただいて終了です。

なぜだかお経の間、メチャクチャ泣けてしまいました。

早かった一年。
何も出来ずに終わってしまった。
情けなくもあるけれど、前向きに普通に生活するだけでいっぱいいっぱい。
介護が終わったら◯◯しよう、××しよう……などと思っていたこと、ほぼ出来ず……
思わぬ体の不調だけが新しく手にした?!コトだという………ああ………


……………………………………………………………………………………………………


前回の記事では、市役所に相談した時の話を書きました。
そのことで思い出したことがひとつ。

最初に相談の電話をし、ゴールデンウィーク明けに会って相談するということを決めた最後に保健師は
「よく自分から電話してくれましたね」と言った。

誉められた!?

とはいっても私の心の中は「?」でいっぱい。
何の得にもならないし、意味ないし……
そんなことをいうのなら、今すぐにでも会って相談しましょうって言ってよ……くらいの気持ちもあったような記憶がある。


それから一年後くらいに、あることで、第三者の客観的な見解がほしくて考えた結果、保健所に電話して相談したいと申し出たことがあり、保健師と話したことがある。
市役所の高齢者福祉課保健師を通り越していきなり電話したせいもあり、どういう流れでここに電話したんですか?と、やはり最後に聞かれた。


どちらの保健師も、介護事件などあればいわゆる関係者側の人。
SOSを発してくれれば……と言う側の人。

その立場の人が、相談の電話をしたことを誉めたり(誉めるというのはちょっと違うけどうまい表現が浮かばない)、そこに電話するに至る過程を気にするというのは

やっぱり、SOSを求めている人がどこにいるのか知りたい、わかれば何かサポート出来るはず
という思いを持っているからだと思う。

前回の記事で、助けを求めてつかんだら藁だった……と書いたけど、つかまられる立場の人々も思いは色々持っているんだろう。

助けを求めた者がいて、サポートしようとする人がいて
なのにうまく回らないのは残念なことだ。

タイミングが悪かったのか
相性が悪いのか
何かの歯車が噛み合わないのか
言葉、言い回しの問題なのか
制度の手かせ足かせのせいなのか
援助を求める側が贅沢なのか

なんだろうなぁ~