「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

介護回想:外食のお話

2016-04-13 | ●介護回想(2015~)
何度も書いてることですが
母は認知症初期の段階から、私のことは時に「妹」だったり「他人」だったりしてた。
24時間ではないものの、その切り替わりははっきりしないので
いつから妹で、いつ他人で……と明確にいうのは困難。
普通に話していてちょっとした言い回しで、あっ、今妹だったのか……と分かる感じ。
例えば「あなた誰?どうしてここにいるの?」などと言われることはなかったので。

介護度が2や3の頃、デイのない日のランチ時に
「ご馳走するから外でたべましょう」と母から誘われると、今私は娘ではないのね……とわかる。

歩いて二分くらいのところに、カフェコーナーのあるパン屋があって、セルフサービスで安く食べられたので、認知症発症前からよく行っていた。その習慣なんだろう、ランチ時間になるとよく誘われた。

娘と認識されてないと分かるのは、悲しいし悔しいしイライラもした。
でも、抵抗したところでいいことは何もないと分かっているから、黙って従う。
大抵の場合、店に着いた時には、私は娘に戻っていた。

が、ここからも多少の芝居は必要。

店は始めに食券を買い番号札を貰って呼ばれたら取りに行くシステム。
母はすでにそれを理解出来てない。
でも、認知症者はプライドがある。
加えて、母は自分が払うというスタンスは崩さない。
だから、メニユーから
「○○にしようか?」と聞きながら、実は私が全部決めて、
そして「私が注文してくるね」と言う。
すると母は自分の財布を私に渡すので、遠慮なく受け取って払ってくる。
実際、母の財布を管理してるのは私なんだけども。
(徘徊の時、いつも持って出掛け買い物をすることもあったから、常に幾らかのお金が入っているようにチェックしていた)

介護者は俳優にならなきゃいけないらしい
とはいえ、家族の場合、それはなかなか難しい。
なのに、案外簡単に、芝居して、相手に合わせて、受け入れて
と、医者や介護専門家や、マニュアル本は言う。
ある日突然介護者になる素人になんで簡単にそう言うんだ?
家族だから出来ないのに。

出来なくても落ち込まなくていいから…………なんてことまではなかなか言ってもらえない。
私が介護者になったころは、介護者のケアなんて認識もなかったし。
だから、イライラする自分は人としてどこかおかしいのか?って思ったこともある。
(まあ、あれこれ欠陥はあるけど)

それにしても
認知症のこの切り替わりって、不思議だ。
出来ない……と思っていたら、ある日、ある時、ある場面では出来てしまうのだ。


家での食事、自分で食べられはしたけれど、こぼすし汚すし時間もかかるようになっていた頃、
それでもまだギリギリ外食できるかな~と、近所の店に夕食に行った。
認知症発症後にも何度か行っていて、母のこともある程度わかってもらっている店だったので大丈夫だろとも思って。
でも、ウエットティッシュもしっかり持って、四人掛けテーブルの、普通は向かい合って座るところを隣に座り、それなりの覚悟をして気合いを入れていた私。
なのにこの時母は、
美しく完食

どんぶりものだったこともよかったのだろうけど、お味噌汁もキレイに飲んで
なんだか私は…………脱力…………
まあ、お店に迷惑かけることもなく、良かったんだけども

ああ、なんだよー認知症っていったい……………………(-_-;)

という感じ。


不思議な認知症。
というより、脳の不思議というべきなのか?
だからなおのこと、介護者は振り回されてる感が強い

なんだ、出来るのかい?!

みたいな。

認知症になって、理性のフタがぶっ飛んだ母だったけど、
カッコつけたい場面では、フタがピッタリと戻っていたらしい。


うちでもそれくらいきれいに食べてくれたらね…………
私はラクだったよ。






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2 コメント

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あんずさんへ (ビゴ)
2016-04-17 10:55:11
そうですね
とにかく「?」なことだらけで介護者は振り回されますね。
分かっているのか、分からないのか
聞いているのか、聞こうともしてないのか
感じているのか、それさえもないのか
千差万別だし
もう、ワカラナイ!
認知症はワカラナイ!
という感じ。
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ホントに、 (あんず)
2016-04-14 17:40:28
なんだ、出来るのかい?!

認知症をよく表している言葉ですねぇ。。。。

やっぱ、出来ないじゃん。

その症状の上げ下げに、
あたしゃ むち打ち症になりそうです。
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