「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

思い出はそこにある

2017-02-06 | ●介護回想(2015~)
今年は ほぼ日手帳オリジナルを使っている。
一日一ページのこの手帳には、毎日、著名人や一般人の、ちょっといい話、ためになる言葉、クスッと笑えるエピソード等々載っている。
それをパラパラとみていたら

8/13日のページに

お父様が亡くなった後に、妹さんが冷静に見えるお兄さんに、
どうしてそんなに冷静なの?おもいだすことはないの?
と聞いたらお兄さんが、

思い出すというのは一瞬でも忘れた人が言う言葉。父を忘れたことはない、だから思い出すこともない。いつも父はここにいるから

と答えた……という話が載っていた。

ああ、そうだな……と思った。
「思い出」には自らアクセスするのであって、
「思い出す」のとは確かに違う。

亡くなった家族のことは、
「忘れている」わけではない。意識して思い出すものでもない。
かといって、四六時中、考えているのとも違う。

私は……
「いつもここにいてくれる」
という感触をもってはいない。(持てない?よくわからない)
よく、亡くなったことでより身近にいつも側にいるような気がする……と聞くけれど、そんな風には思えていない。

でも、
忘れていることを「思い出す」のとも確実に違う。
そういう意味では確かに思い出はいつもそこにあるんだと思う。
(そこってどこ?ということはさておき……(^-^;)


なるほど……と強く強く納得しながら、そのあとでちょっと思ったことがある。

このお兄さんは強い。そしてとても前向き。
それはとても素敵なことだけど、これに拍手喝采してしまうと
悲しい、淋しい、切ない……と思ってはイケナイってなりそう。
このお兄さんは頼もしいけれど、妹さんは泣けなくなるんじゃないのか?とそんなことを思ってしまった。

世間の空気は総じて早く立ち直ることをヨシとする。
元気に暮らすことが供養。
介護を終えた私には必ず、終わったんだからあとは気楽に自分のために……という言葉が向けられる。
yellなんどけど……
それが辛いなと思うこともある。

泣いていいよって空気にはならないんだなぁ

……私は泣きたいけれど


気楽でいいでしょ~~って何度言われたか?
言われたらyesと答える。
気楽か否か?と問われたら気楽だもの。

まあ、でも、エールとして当たり障りなく賭けられる言葉は「気楽」かもしれないなぁ、多分。
逆の立場なら私もそう言ったのかも。

難しい。





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9 コメント

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ユルユル日記様 (mitu)
2017-02-06 18:38:14
こんばんは。
今日のブログで考えさせられました。

思い出す…と言うより何時も話の中に父が居て、母が居て、20年は立ったのに未だ一緒に生活をしているような?でもしっかりと見送ったんだと自分に言い聞かせる。

最期の介護主人は今四日ばかり熱が出たり下がったりで体力消耗しています。

でもまだまだ頑張るでしょう。
今日は思い切ってパンツ式でないおしめを買ってきました。

私の力ではとてもパンツをはかす事が出来ないのです。
熱が下がり体のぐらつきが治れば又パンツをはかせます。
介護が嫌と言う訳でも無し、主人を見送るくらいの覚悟はあるのですが、突然理由もなく情けなくなり、
涙があふれます。

案外自分勝手さもあるのかも・・・
毎日外へも行かずもんもんと家の中に居る事が情けないだけ。

あー回転寿司に行って鱈腹食べて帰りの時間なんて考えない、そんな時間が有れば良いなーとか考えている今日この頃です。

主人はショートには絶対行かないと鬼になります。
却って惚けに入っててくれた方が良いかななんて【笑】
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こんにちは (あんず)
2017-02-08 18:14:05
父が亡くなって20年ですが、
思い出したりするのか?
と問われれば、そうね たまに と答えます。
そうではないんですよね。
常にそこに「ある」感じです。
それを言うと気味悪いかな?
と思うから、答えます。
「いる」のではなく 「ある」 よくわかりませんが、
私の精神が乗っ取られている ってことでしょうかね?

母についても、そうです。
まだ生きてますが、私の中では、父との別れに似てきています。

余談ですが
おかげさまで、施設でにこにこと暮らしている母です。
きちんと最後まで看られない自分を責めまくる気持ちは、徐々に消えつつあります。
これで良かったのかっ?
もやもやした気持ちは、おそらくずっと続くと思われます。
母もまた、父の場所へと、少しずつ移動しています。
ゆっくりさよなら
長いお別れ

よくわからないコメントになっちまったですね。
ははは
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Unknown (案山子)
2017-02-08 21:56:42
父を送って一か月の私には みなさんの言葉 心にしみます
青空をみても 夕闇の金星をみても お父さん と呼んでいます
まだ家にいてくれる遺骨を抱いて 話しかけたり 私の中にいつもいてくれます
だらっとしすぎると 父はよくはたらいたよなあ と自分も動き始めたり
この二年は命に関わる介護だったので 長いお別れをしてこれました 私も続いて 母とも 今、そんな時間です
三方六 小割ショコラ 来ました どぎつさのない甘さ しっかりのチョコ味 美味しい 嬉しい
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mitu さんへ (ビゴ)
2017-02-09 12:36:27
介護、お疲れさまです。
ショートに行ってくれないのですね…………。それじゃあホントに息抜き出来ないですね。
1泊でもいいから自由になる時がないと心も体も持ちません。
旦那さん!ショート行って!奥さんのために!
(北の国から叫んでおきます)
ケアマネさんとかが説得してもダメですか?
このままでは奥さんが倒れてしまいます!……とか?!

わたしも介護中は、世間から取り残されているような感覚がありました。自分のために家のなかで出来ることはなんだ?とか考えたし、母がショートに行く日は、絶対友達とご飯食べに行くぞ!とか思ってたから
何かの都合で約束がキャンセルになるとバカみたいに落ち込んだりして。

今はいくらでも自由なのに、何かをする気力やしたいという欲求が一ミリくらいしかないという…………困ったもんです。
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あんずさんへ (ビゴ)
2017-02-09 12:57:29
「いる」じゃなくて「ある」。なるほど~わかる気がします。
「いる」っていう感覚はないんだけど「ある」。
幽霊さんだと「いる」だけど、魂(だかなんだかわからないけど)なら「ある」がいい。このほうがしっくりくるなぁ。

介護が終わったら、やりきった悔いなし!と思っても、やっぱり少しの後悔は出てくるものだし、きっと、それは在宅だろうが通い介護だろうが同じなんでしょうね。
介護されていた母の気持ちは最後までわからない。……というか一生わからない。
あの世で会えるなら聞いてみるけど?!

お母さん、ゆっくりとお父さんのいる場所へ……
いい言葉ですね。そんな気持ちで見守るっていいなぁ。
そんな風に考えたことなかった……もう少し早く聞きたかったよ~~残念。
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案山子さんへ (ビゴ)
2017-02-09 13:07:15
別れは辛いです。
案山子さん、まだ、一ヶ月。時間が癒してくれるとはいうものの、時間が経ってわいてくる感情もあったりして……。
とにかく、残されたほうは色々大変です。

長い別れ
老親の介護って確かに長い別れの時間を過ごすことが多いから
そういう意味では心の準備はできるかもしれない。
それでもそこにいた人がいなくなるというのは悲しいし切ないことではあるけれど。

三方六はショコラだったのですね。
柳月(六花亭も)のお菓子は総じて甘さ控えめです。素材の味勝負?
私も食べたくなりました。
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Unknown (案山子)
2017-02-09 19:10:32
コメントありがとね 母の食事介助を終えて 今一休み あんずさんの ある と言う言い方 私にも 響きます 月日がたつと違う感情も確かに湧いてきますね やはり切なくなる気持ちは封印 でも泣きたくなったら泣いています

三方六 やはり プレーンが好みかな、、、六花亭も柳月も確かに素材で勝負 でしょうね 賞味期限が短いのがその表れか と素人ながら考えています
私達 この二社から段ボールで製品届いても、、、いいよね

カタログ取り寄せしようかな 来て下さった方にチョットお返しとか に
又 ユルユルして下さいね
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Unknown (k)
2017-02-15 22:08:32
父とは1年に一度会う程度。思春期は父よりだったのに何があっても死なない図太さと思っていたので帰省する度に喧嘩を吹っ掛けていたら65歳で突然死から7年。去年の熊本地震で家具が崩れた時に生きていても避難できなかったかもとやっと後悔から受け入れに代われた気がします。
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kさんへ (ビゴ)
2017-02-17 13:29:50
みんなそれぞれに様々な事情とか思いがあるんだなと思いました。
外からはわからない、第三者がどうのこうの言えない、いろんな思い。
私の父も65で他界しました。ガンで余命半年だったので心の準備はできましたけど、それでも、あれこれ後悔あります。もっとこうすれば……って。父との関係はイマイチだったかな?あまり話もしなかったし。
最終的には、仕方ない……ってところに落ち着くというか、そう言い聞かせる?……そんな感じかな~私の場合。
たぶん、100%悔いなしと思える人は少ないんじゃないでしょうか?
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