「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

介護:母は場所の変化を感じているらしい

2013-09-13 | ●介護録(~2015.2月)

小規模多機能に行ってきた。
洗濯物を取りに行ったのだけど、あちらで洗濯してくれていたらしい

もっていったテープ式オムツは、Mサイズといわれていたけれど
メーカーにより同じMでも違うので問題はMとかLのサイズではなく
全体の長さだったり、仕様によってもたつくとか、もたつかないとか、そういうことで…
………いったいどれを買えばいいのか
つかってみなきゃわからない?

母は昼寝から起きたところで
ボヤーーーンとしていたし……
行った甲斐も何もない(T.T)

そんな母でも
どうやら、場所が変わったコトを感じているらしい
緊張して体が固くなっているって。
先月、家にちょっとだけ帰ってきた時は
老健にいるときより言葉(というか声)が出ていたけど
小規模多機能の記憶は残ってないのか?

小規模多機能の看護師さんの、母の嚥下能力に対する見解は
厳しいものだった。

そんな話を聞いていると
そのうち流動食になったり、胃瘻の決断などしなくてはならない時が
案外近いのかもしれないと思い
なんだか心が重くなる。

在宅で、枯れるようにソフトランディングしてほしい、家で看取りたい
という気持ちはあるけど
正直
今は自信喪失状態

とりあえず、この先、訪問看護サービスも取り入れる予定にはなっている。

ホントに一喜一憂
しなくてもいい心配とか、今考えても仕方ないこととか
いろんなコトが頭の中を駆け巡って
現実逃避したくなります。

小規模多機能のスタッフが
「少しのんびりしてて」(小規模で泊まりをしている間に)
と言ってくれるのだけど
そののんびり出来る時間に、考えなくもいいことを考えてしまって
少しものんびりな気分になれない。

多分、介護ってそういうものなんだろう

介護をしてない人は、「施設に預ければ楽になるでしょ」と思っていたりするけれど
家でみていないがゆえに気になることが出来たり
施設に対しても気を遣うことがあったり
けして楽にもならないし、なかなかのんびりも出来ない現実はある
(もちろん、時間の自由が出来るとか利点もいっぱいあるけど)

細かいことを言うと
他人に着替えとかしてもらうわけだから
脱ぎ着しやすい服や下着にしなきゃ…とか考えたりするんだよね。
自分が着せるのなら、たとえばちょっと寒い日には重ね着させるけど
スタッフにやってもらうなら、そんな手間のかかることはダメだわ…と思ったり。
(カーディガン着せてもらうくらいはともかくとして)

まあ、そんなこんなで
のんびり、ゆっくり、落ち着けるのは
つまり、ホントに、終わった時しかないのでしょう。





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2 コメント

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きっちょんさんへ (ビゴ)
2013-09-14 13:40:00
きっちょんさんの「今」はけして楽ではないですよ。
体力的、介助という点ではそれ程ではないかもしれないけど、
いろいろと大変な言動のあるお母様を見守るのは精神的に重労働だもの。
私も、壊れかけました。
ウツになってた時がありました。
神経内科にこそ行かずに済んだけど、母の薬を貰いに行った内科の先生に泣きついてしまったもの。

仕方ないですね。介護を請け負った者は最期まで見届けなくてはならないんですね。
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こんばんわ。 (きっちょん)
2013-09-13 19:54:10

私も今日、同じようなことを考えていたところでした。

ビゴさまとは置かれている状況など全く違うのですが、
どんなに自分の時間をとれるようになって、
自分自身でも今は介護の楽な状態だと思っても、
やっぱりいつもココロのほとんどを母親の影が占めています。

介護している人なら誰でもそうなんでしょうね。


それが終わるのはやはりホントにすべてが
終わった時しかないんですよね。

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