「介護録」とユルユル日記

介護終了、ブログタイトルかえました。

2015年があけ、1月3日は四七日

2015-01-01 | ●介護録(~2015.2月)

2015年があけました。
喪中の私は……おとなしくしております。

手紙やメールや電話等々、いろいろ気遣ってくれた方々
ここにコメントくださったネット仲間の方々
このブログを長く読んでいただいていて初コメをくださった方々
ありがとうございました。
今後とも宜しくお願いいたします


先週土曜日に三七日が終わり、三日の土曜日には四七日。
早いな…
……にしても、信仰心のない私には七日ごとって、なんだか大変。
でも、おりく膳の用意も慣れたし、あっという間に四十九日がやってきそう。

朝は、まず祭壇の周りの花たちの世話
豪華~~頂いた花たちと果物
夏と違って日持ちがする。
菊とマーガレットはかなり根性があるけど、ポイントに使われているPink系の花たちが先に枯れて
真っ白なアレンジメントになっていくので昨日、Pinkのカーネーションを買い足した


私はあまり母の祭壇の前にゆっくりとすわっていません。
座れない…というのが正しいかも。
遺影が……見てるの辛いから、お供えしてお線香つけたらそそくさと立ち去る……

だけど、四十九日が過ぎてこの祭壇がなくなるのもなんか寂しいな…って
矛盾している

寂しい…と考えだすと地の果てまで沈んでしまいそうだからすぐに考えるのをやめる
なにかとバタバタやっていれば今まで通りの日常

時々
あっ、もうどんなときににもスマホ握りしめてなくていいんだ…と思う
人混みの中でバックに入れていると着信音を聞き逃すのではないかと不安だったり
家電がなるとドキドキしたり
もうそんな心配はない
近くのスーパーとかコンピに行く程度ならスマホを置いていってもかまわない


7日朝五時に家電がなったあの時
あれはちょっと忘れられないかも……

五時とはいえ、12月
まだ真っ暗で、私の中では6日の夜中みたいな感覚
こんな時間に来る電話は病院しかない
そう思いつつ子機のディスプレイ見ればやはり病院の名前
子機を充電器からとったはいいけど
どこをどうすれば通話状態になるんだっけ?と少しの間子機を手にしたまま固まってしまった

「急変したのですぐ来てください」

着替えている間は心臓がバクパクしていた
ついに来た…という気がした
落ち着け落ち着け…と言い聞かせ…

今年はずっと、すぐに飛び出せるように
着替えは常に茶の間の椅子の上
バックにも財布と鍵などを入れたまま

出来るなら、こんなふうではなく
容態が……と言われて数日見守って看取りが出来ることを望んだけど
「いきなりきそう」
そんな予感もあった

退院はないと言われてから
たとえば
「来年の春には○○を新しくしようかな」みいなことを思うたびに
「来年……?来年の私は今と同じ状態でいるの?」
と考えていた
秋になって、来年のカレンダーとか手帳を見ると
「当たり前のように年越し出来るのか?」
と思った
だから2015年のことを考えるのは嫌だったな~~
だけど、12月に母が誕生日を迎えた時には、このまま年越しするような気になっていたっけ
かなわなかったけど


こんなことを書く予定ではなかったのになぁ………



 



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2 コメント

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Unknown (としちゃん)
2015-01-02 19:50:37
お母さん亡くなられたんやね。
気がつくの遅くてごめんなさい。
お悔やみ申し上げます。

しばらくは色々な事に追われて気丈にしていられるけど、少し落ち着くと何だか空虚な日々が・・・
私も父が亡くなったあと1年近く、物音がすると慌てて目を覚ましたり・・・過去の生活リズムを引きずってました。時間を持て余したわ

納骨も結局一周忌が済んでからだったのよ。慌てて色々片付ける必要はないと思うよ。時間が経てば少しずつ心の整理もついて、手を付けられるんではないかなぁって思います。
一人で大変やったね~
お疲れさま!
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としちゃんへ (ビゴ)
2015-01-11 18:05:00
コメント、ありがとう。
返事遅くなっちゃってごめん。
今は、ただ、ありがとう言葉がみつからないわ……
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