何度も書いてるけれど、ビゴ母は、一般的には重度になってから現れる「家族がわからない」という症状が初期からあった。
最初は、痴呆(まだ認知症とはいってなかった)だなんて思ってもいない時だったから、「これってなに?」という感じ
その時は、痴呆といえば「ボヤンとして、いろんなことが出来ない状態」をイメージしていて、母は、何でも出来たし、買い物にも行けたし、コミュニケーションも何の問題もなかったから。
さらに徘徊も初期から出たので、介護サービスを受けはじめると、専門職の人達が施設を勧めることが多かった。
ケアマネが、職務としていろんな選択肢を提示するのは当たり前。
介護福祉士が、経験などからこうすればいい…というのも………当たり前…なのか?……?
その頃、私はまだ母を施設に預ける気にはなれなかった。
失業していたことやシングルであることも理由の一つ。
その時の私の本音を言えば…「みんな私の敵?誰も分かってくれない」
味方がいなかった。
「どこか預けるところないの?」
「施設に入れたのか?」
在宅介護していることがまるで悪いことのように……………
なぜ、一人くらい、気持を分かってくれる人がいなかったのだろう
徘徊していたから?
娘のことを妹を思ってしまうような母だから?
一人で介護していたから?
でも、逆に、この段階で施設に入れていたら「まだ家で暮らせるんじゃないの」なんて言われたのかもネ。
以前は、デイのない日にヘルパーを利用していたので、その統括者である介護福祉士がたまに様子を見にやってきた。
その人はσ(・_・)に何度か言った。
「申し訳ないけど、K子さん(母)は、ビゴさんが介護していてもそのことをちゃんと理解しない状況もあるのだし、施設を利用して、ビゴさんはビゴさんの生活を…」というようなことを。
そうですね…と相づちしながら聞いていたけど、実はかなり傷ついていた。
「アナタが介護していてもワカラナイ」という言い方って、とてもデリケートな話じゃないでしようか。
たとえ介護福祉士という立場でも、「申し訳ないけど」とついていても、簡単に言っていいことなの?
仮に、σ(・_・)が「もう介護出来ません。でも、最後の決心がつかない」といったのなら、背中を押す意味で、そういうことを言うのはアリだと思うけど。
被害妄想チックかな?
だけど…
末期ガンの家族を一生懸命看護している家族に
「どうせ治らないんだから、そんなにガンバッて介護してもムダよ。亡くなった後の生活も今から考えて、看護はほどほどにね」
なんて言う人、常識から考えていないはず。
「申し訳ないけど」がついていたけど、σ(・_・)にしてみると、アナタの介護はムダだ…と言われたようなものだし、どうせ認知症なんだら何もワカラナイでしょ…と、専門職の人が、そう言ったようなもの。
ガンと認知症は別…と、言われたら、確かにね。
介護には期限がないから。
でもさ……
ガンは、せつなくカワイソウな病気だから、最期の時まで真心を尽くすものだけど
認知症は、どうしようもない老いで頭がヘンなんだから、もういいんじゃないの?ってこと?
介護しているσ(・_・)がそう思って、脱在宅介護するのはいいけども
やっぱり、他人が言うことではないと思う
この複雑な気持ちなんて、あの介護福祉士にはワカラナイ。
自分の親は元気で介護の経験はない人だから。
一般論を言う
マニュアルチックなことを言う
……とσ(・_・)は感じてしまった
自分の親が元気でそれなりにシッカリ生きていたら、親は親、子供は子供…という感覚が強い。
自分もそうだった。
つかず離れずの関係で、お互い自立して生きていく。理想的だ。
だから、その延長線上で介護も考えているのだと思う。
その介護福祉士は最後に
「まあ、K子さんがどうにかなってから、仕事をさがしてもいいけど」と言った。
どうにか…というのは、死んだら…って意味?それとも施設に入ったら…っていう意味?
どっちでもいいけど、これもまた、なんか失礼な言い方だな。
いろんな人が言う。
どこにいってもすぐになじみ、明るい認知症の母は、どこのスタッフともうまくやるし、なんの心配もなく、ショートにも送り出せるし、GHでも特養でも気楽に預けられるでしょ…って。
確かに…気楽。
ビゴ母の記憶のどこかに、ビゴは幼い子供としてたまに登場し、その子供が目の前にいなくても特に混乱したりせずに、その場その場で楽しく過ごします。
名前を呼んでいても娘と思っているかは不明だし、抱きついてきてもσ(・_・)を「先生」と呼んでいたりする。
この間なんて、ショートから帰ってきた時に、σ(・_・)のこと「不審者」を見るような目で見てました。
送ってきたスタッフについて戻りたかったみたい。
気楽でしょ、これならいくらでも長期ショート出来るし、明日からGHに行ったて、ずっと前からそこにいる人みたいになじむんじゃないのかな。
今、母を捨てても、なんの問題もない。きっと。
ここから逃げて、知らないフリしても、母は寂しがったりしない。
大切な人は、母の記憶のとごか奥の方に、昔の形で生きているんだろうから。
認知症の親が、いろんなことが出来なかったりわからなくなっても、子供のことはしっかり理解している場合は、介護している子供のほうは、逆にそれを重いと感じるのだろうと思う。
分かっているから、無視できない。
後ろ髪が引かれる。
罪悪感を感じる
その気持ち、とてもよく分かる
でも、σ(・_・)みたいのも苦しいヨ。
だってσ(・_・)は怖いもの
GHにいれたら、すぐに完全に忘れられるって思うから。
忘れられて、無視されて、「アナタ誰?」って言われて、いらない人だと言われて
でも、母が生きている限り、介護は終わらない
だから、そんなに簡単に
「ビゴ母さんは、わからないのだから………」なんて言わないでほしい。
専門職なんだから。
マニュアルでいっぱいの頭は良くないヨ
最初は、痴呆(まだ認知症とはいってなかった)だなんて思ってもいない時だったから、「これってなに?」という感じ
その時は、痴呆といえば「ボヤンとして、いろんなことが出来ない状態」をイメージしていて、母は、何でも出来たし、買い物にも行けたし、コミュニケーションも何の問題もなかったから。
さらに徘徊も初期から出たので、介護サービスを受けはじめると、専門職の人達が施設を勧めることが多かった。
ケアマネが、職務としていろんな選択肢を提示するのは当たり前。
介護福祉士が、経験などからこうすればいい…というのも………当たり前…なのか?……?
その頃、私はまだ母を施設に預ける気にはなれなかった。
失業していたことやシングルであることも理由の一つ。
その時の私の本音を言えば…「みんな私の敵?誰も分かってくれない」
味方がいなかった。
「どこか預けるところないの?」
「施設に入れたのか?」
在宅介護していることがまるで悪いことのように……………
なぜ、一人くらい、気持を分かってくれる人がいなかったのだろう
徘徊していたから?
娘のことを妹を思ってしまうような母だから?
一人で介護していたから?
でも、逆に、この段階で施設に入れていたら「まだ家で暮らせるんじゃないの」なんて言われたのかもネ。
以前は、デイのない日にヘルパーを利用していたので、その統括者である介護福祉士がたまに様子を見にやってきた。
その人はσ(・_・)に何度か言った。
「申し訳ないけど、K子さん(母)は、ビゴさんが介護していてもそのことをちゃんと理解しない状況もあるのだし、施設を利用して、ビゴさんはビゴさんの生活を…」というようなことを。
そうですね…と相づちしながら聞いていたけど、実はかなり傷ついていた。
「アナタが介護していてもワカラナイ」という言い方って、とてもデリケートな話じゃないでしようか。
たとえ介護福祉士という立場でも、「申し訳ないけど」とついていても、簡単に言っていいことなの?
仮に、σ(・_・)が「もう介護出来ません。でも、最後の決心がつかない」といったのなら、背中を押す意味で、そういうことを言うのはアリだと思うけど。
被害妄想チックかな?
だけど…
末期ガンの家族を一生懸命看護している家族に
「どうせ治らないんだから、そんなにガンバッて介護してもムダよ。亡くなった後の生活も今から考えて、看護はほどほどにね」
なんて言う人、常識から考えていないはず。
「申し訳ないけど」がついていたけど、σ(・_・)にしてみると、アナタの介護はムダだ…と言われたようなものだし、どうせ認知症なんだら何もワカラナイでしょ…と、専門職の人が、そう言ったようなもの。
ガンと認知症は別…と、言われたら、確かにね。
介護には期限がないから。
でもさ……
ガンは、せつなくカワイソウな病気だから、最期の時まで真心を尽くすものだけど
認知症は、どうしようもない老いで頭がヘンなんだから、もういいんじゃないの?ってこと?
介護しているσ(・_・)がそう思って、脱在宅介護するのはいいけども
やっぱり、他人が言うことではないと思う
この複雑な気持ちなんて、あの介護福祉士にはワカラナイ。
自分の親は元気で介護の経験はない人だから。
一般論を言う
マニュアルチックなことを言う
……とσ(・_・)は感じてしまった
自分の親が元気でそれなりにシッカリ生きていたら、親は親、子供は子供…という感覚が強い。
自分もそうだった。
つかず離れずの関係で、お互い自立して生きていく。理想的だ。
だから、その延長線上で介護も考えているのだと思う。
その介護福祉士は最後に
「まあ、K子さんがどうにかなってから、仕事をさがしてもいいけど」と言った。
どうにか…というのは、死んだら…って意味?それとも施設に入ったら…っていう意味?
どっちでもいいけど、これもまた、なんか失礼な言い方だな。
いろんな人が言う。
どこにいってもすぐになじみ、明るい認知症の母は、どこのスタッフともうまくやるし、なんの心配もなく、ショートにも送り出せるし、GHでも特養でも気楽に預けられるでしょ…って。
確かに…気楽。
ビゴ母の記憶のどこかに、ビゴは幼い子供としてたまに登場し、その子供が目の前にいなくても特に混乱したりせずに、その場その場で楽しく過ごします。
名前を呼んでいても娘と思っているかは不明だし、抱きついてきてもσ(・_・)を「先生」と呼んでいたりする。
この間なんて、ショートから帰ってきた時に、σ(・_・)のこと「不審者」を見るような目で見てました。
送ってきたスタッフについて戻りたかったみたい。
気楽でしょ、これならいくらでも長期ショート出来るし、明日からGHに行ったて、ずっと前からそこにいる人みたいになじむんじゃないのかな。
今、母を捨てても、なんの問題もない。きっと。
ここから逃げて、知らないフリしても、母は寂しがったりしない。
大切な人は、母の記憶のとごか奥の方に、昔の形で生きているんだろうから。
認知症の親が、いろんなことが出来なかったりわからなくなっても、子供のことはしっかり理解している場合は、介護している子供のほうは、逆にそれを重いと感じるのだろうと思う。
分かっているから、無視できない。
後ろ髪が引かれる。
罪悪感を感じる
その気持ち、とてもよく分かる
でも、σ(・_・)みたいのも苦しいヨ。
だってσ(・_・)は怖いもの
GHにいれたら、すぐに完全に忘れられるって思うから。
忘れられて、無視されて、「アナタ誰?」って言われて、いらない人だと言われて
でも、母が生きている限り、介護は終わらない
だから、そんなに簡単に
「ビゴ母さんは、わからないのだから………」なんて言わないでほしい。
専門職なんだから。
マニュアルでいっぱいの頭は良くないヨ
施設は順番待ちで、足りなくて……
国は脱施設で在宅の方向に向かっているのに
在宅してる人たちには、ガンバルなーとか、ムリするなーとか、ただ、そういうことはがり言うから
自分の周りの人たちも、在宅に対して、エールを送るよりは、「ムリしないで施設に入れたら」みたいな話が出やすい。
在宅を選択している人が、みんな、ムリして在宅しているわけではないと思うんだけどな~~
環境として在宅可能とか、介護度的に可能とか、出来る状態にあるからもう少しガンバロウと思ってるわけだから、だったら、それに対して純粋に応援してくれてもいいと思うんだけど
必ず、施設にいれれば?みたいな話になるんだよね。
簡単にそういう人達が、そう考える根拠はどこにあるんだろうね。
今の私なら、怒っちゃいそうだな。
以前の私は、ヘラヘラ笑ってごまかしたかな。
みんな、介護してる人のことを思って言ってるつもりなんだろうね。
でも、それは実は方向性としては間違ってると思うけど、それを世間一般に分かってほしいと思ってもムリなんだろうな~~。
世間がそうだから、介護者はグチも簡単にこぼせなくなって、孤独になって、事件が起きちゃうのに。
キツイだのツライだのってことを遠慮なく言える相手は同じ介護者しかいないんだよね。
あくまで側面からの援助だから、選択肢は提示しても決めるのは利用者でありその家族…という人と、
積極的に、こういうサービスがある、これがいからこうしましょうと言う人と。
私は、こっちが決定権を持っているということ尊重してくれる人を望んでます。でも、中には、はっきりと「○○しましょう」と言って欲しい人もいるようです。
自分らくし生きる…とか、そういう言葉がカッコイイから、利用出来る施設を利用して、自分の人生を生きるべき…みたいな流れになるんでしょうね、実際に親の介護をしたことがない人は。
施設を使わないのは世間体を気にしてるから…と思われていたりもするし。
そんなんじゃない、情の部分、親をひっくるめて自分の人生になってる感覚は、理解しにくいのかもしれません。
マニュアル通りにならない事ってたくさんあってその流れの中で今すぐ必要ものと不必要なものをチョイスしていかないとならないから頭グルグルになりますよねぇ。
2年くらい前に痙攣の発作が長かったので救急病院に行った時の看護師さんから「朝から寝るまでついていたら家族が倒れるしそこまで思い詰めて介護しなくてもいいのでは?」
趣味みたいなもんですから気にしないで下さい。と言ったけど看護師さんからの視線は厳しいしこちらは何でもなければ一日も早く連れて帰って安心したいし父にも落ち着いて暮らしてほしいだけだったんですよねぇ。
もう入院は懲り懲りとそれ以降は痙攣発作を起こしても回復するまで家にいますよぉ。
余所から見たらアホな家族かもしれないけどある程度いや最後まで在宅でいたいと思うんです。
脱線してしまったけど介護した人でないと介護者の気持ちってわかってもらえないでしょうねぇ。
「あなたのエゴよ!」「お母さんもその方が落ち着かれるし幸せよ!」「そんなにストレスためてどうするの?」「早くあずけなさい」と..
その時は泣くしかなくて自分の気持ちさえ言えず全部否定されてる気分になって落ち込んだわ。
今は、自分の心がストンとしたら、自分が決めようと思ってる。言ってくれる人も心配なあまり言うんだろうな?心配してくれてるのねとその気持ちだけ受け取るようにしたら、なんだかスーッと悲しみが抜けてった。言われた言葉は忘れないけど..心に残るよね(-_-;)
母たちの気持ちより、娘としての自分の気持ちでいいんじゃないかなぁ~
心にズシンときました。これは私が常日頃恐れていることです。伝えることをほぼしなくなった父がどこまで認識しているのかわからないから。でも、これを他人に言われたくない。わかってくれてないかもしれないけど、介護をしてるのは私!!アンタじゃない!!アンタが口に出していい言葉じゃない!!と怒鳴ると思います。
施設を勧めるのもそうです。介護関係者からは言われたことはないですが、友達に言われました。「僕だったら・・・私だったら施設に入れる!そうして自分のために生きたらいいのに・・・」とあっさり言ったんです。彼らの考えで、私の考えではない。私がどういう想いで介護をしているかを知らないから簡単に勧めれるんでしょうね・・・
介護は悩み悲しむことのほうが多いと思います。それでも、家族にはできうる限り、家で過ごしてほしいと思うんです。
さまざまな決断を被介護者に代わって介護者がしなければならないことはあるでしょう、それは自分のことじゃないからより悩みます。だからこそ、介護者発信の決断が出るまで、見守ってほしい・・・そう思います。外野がとやかく言うな!!バッキャロウ!!
なんだか、熱くなってしまって申し訳ありません。介護福祉士の言葉があまりに介護家族とかけ離れすぎていて心底腹が立ってしまいました。
介護はムダじゃないと私は思ってますよ(>△<)/