(この話を書いたことがあったかどうか記憶がない)
介護認定を受けたあとか、まだ受診出来ずにいたときか
もしくは、まだ認知症(当時は痴呆と言っていた)とは思っていないけれども、なんか変?と考えていたころか?
とにかく初期の頃
いつもと違う言葉づかいで話しかけられて
?……と思ったけれど、次の瞬間にはいつも通りで、なんでもないのか?と私も混乱していた時期でもあったように記憶している。
そんなある日
「あなた、○○さんとどういう関係なんでしょうか?」
と母に言われた。
○○は父の名前
体中、電気が走った。
母は
紙と鉛筆を持って私のところにやって来た。
○○さんとの関係を書いて……ということだった。
言い方は柔らかだったけど
私はなんだかとても怖かった
娘ではないことに慣れてしまった時ならば、受け止めて流せるけれど、その時はまだ無理。
あまりの展開に心がついていかない。
本当に分かってないんだというショック。
そして
まだうまく受け止めてかわせない自分はストレートに向き合ったら、必死になって「私は娘よ!」と言いたくなることも分かってた。
ただ、それをやったら事態はもっと悪くなるくらいの理解はあった。
逃げる
それが一番と思った。
向き合う勇気もないし
口を開いたらグチャグチャになりそうだったし。
仮に事実を紙に書いたら(系図みたく)嘘をついていると責められる?
ならば適当な作り話で遠い親戚にでもしておく?
追及されると困るけど。
実際はあまりに急なので作り話も思い付かなかったけど……
逃げた。
「今から出掛けるので帰ってきたら書きますから」と言って。
それでとりあえず納得してくれたから救われた。
この頃は短時間なら母を一人にしてもほぼ大丈夫だったから、私はホントに出掛けた。
確か本屋か家電量販店か近くの店に行ったはず。
関係を書かされる事態から逃げるとともに
母から逃げた
その現実から逃げた
自分を保つために逃げた
忘れられないデス、あの日のこと。
不思議なことに、このとき以外母から
あなたはだれ?的な聞き方をされたことはない。
幸いに……というべきか?
あの時以外、母の中で私が娘ではない時間には
妹やら何やら、とにかく、なんらかのツジツマが合う誰かに変身でもしていたのか?!
どう見えていたんだろ?
脳のマジック?
「学校行かなくていいの?」とか
「大人になったら買いなさい」なんて言われたこともあったっけ。
自分の子供はまだ幼児みたいな話をしていたときもある。
その時、母には私がどう見えていたの?
いろんなことが不明のまま……誰にも答えはわからないまま
全部終わった。
介護認定を受けたあとか、まだ受診出来ずにいたときか
もしくは、まだ認知症(当時は痴呆と言っていた)とは思っていないけれども、なんか変?と考えていたころか?
とにかく初期の頃
いつもと違う言葉づかいで話しかけられて
?……と思ったけれど、次の瞬間にはいつも通りで、なんでもないのか?と私も混乱していた時期でもあったように記憶している。
そんなある日
「あなた、○○さんとどういう関係なんでしょうか?」
と母に言われた。
○○は父の名前
体中、電気が走った。
母は
紙と鉛筆を持って私のところにやって来た。
○○さんとの関係を書いて……ということだった。
言い方は柔らかだったけど
私はなんだかとても怖かった
娘ではないことに慣れてしまった時ならば、受け止めて流せるけれど、その時はまだ無理。
あまりの展開に心がついていかない。
本当に分かってないんだというショック。
そして
まだうまく受け止めてかわせない自分はストレートに向き合ったら、必死になって「私は娘よ!」と言いたくなることも分かってた。
ただ、それをやったら事態はもっと悪くなるくらいの理解はあった。
逃げる
それが一番と思った。
向き合う勇気もないし
口を開いたらグチャグチャになりそうだったし。
仮に事実を紙に書いたら(系図みたく)嘘をついていると責められる?
ならば適当な作り話で遠い親戚にでもしておく?
追及されると困るけど。
実際はあまりに急なので作り話も思い付かなかったけど……
逃げた。
「今から出掛けるので帰ってきたら書きますから」と言って。
それでとりあえず納得してくれたから救われた。
この頃は短時間なら母を一人にしてもほぼ大丈夫だったから、私はホントに出掛けた。
確か本屋か家電量販店か近くの店に行ったはず。
関係を書かされる事態から逃げるとともに
母から逃げた
その現実から逃げた
自分を保つために逃げた
忘れられないデス、あの日のこと。
不思議なことに、このとき以外母から
あなたはだれ?的な聞き方をされたことはない。
幸いに……というべきか?
あの時以外、母の中で私が娘ではない時間には
妹やら何やら、とにかく、なんらかのツジツマが合う誰かに変身でもしていたのか?!
どう見えていたんだろ?
脳のマジック?
「学校行かなくていいの?」とか
「大人になったら買いなさい」なんて言われたこともあったっけ。
自分の子供はまだ幼児みたいな話をしていたときもある。
その時、母には私がどう見えていたの?
いろんなことが不明のまま……誰にも答えはわからないまま
全部終わった。
辛くて、辛くて、辛くて
これから 徐々に
母との 関係が 失われていく
そう思うと、果たして、自分は耐えられるだろうか?
自信なんか、なくてね
何度も繰り返される 会話と、どう向き合えば 怒鳴りつけずにすむのかな
いつも、つねに、そんな不安が消えずにいます。
理不尽な ナニカに、試されているような、、、、、
私の場合
結果として、重度に進行した最後の三年?かそこらは、母は守るべき弱い存在
日本語が宇宙語になったら意味不明で腹も立たず、言葉がほぼなくなれば、たまに発する言葉はなんであろうと嬉しく思い……
そしてあとはもう…………
おわってみれば、腹を立て怒鳴り怒った日々は遠い遠い果ての果て。
もちろん、その時を振り返ってあれこれ思い出せば、キツかったなぁと色々思うことはありますけど、コミュニケーションとれてた時がやっぱり懐かしいな……と、しみじみしちゃいますよ。