ある掲示板の中で施設職員が介護者に対してこんな書き込みをしていた。
認知症者の話を聞く時は「そう」の活用形。「そう」「そうなの」「そうね」…などなど。
会話のコツは相手の言葉を受入れた「オウム返し」。
大切な事は言葉にならない訴えを聞くこと……というような内容。
「そう」の活用…これって介護を経験していくと、特に「やろう」と意識するわけではないけど、保身のために身に付く。
私もTVを見ているフリをして「そう」なんて生返事をしている。
最近では母の様子から、たとえ「家に帰る」と口にしてはいても、すぐに行動に移しそうにない時は「そう」活用作戦だ。
以前は、どんな時でも一生懸命説明して説得して押さえようという気持ちが強かった。それは一つ一つ説明していけば分かってくれるまではないかという思いがあったから。それが疲れを増大させる。
やがて、生返事でやり過ごせば時間の経過とともに丸く収まるケースがあることに気づく。
(もちろん、生返事のあげくに「冷たい、聞いてくれない」なんて展開になったり、作戦も虚しく出て行かれる場合もあるけど)
母の場合、ちょっと理屈ぽい。展開が早い。適当な答えでは納得しない。など、ややメンドーでありオウム返し作戦だけではちょっと厳しいか?
進行すれば、いずれ、言葉で訴えることも出来なくなる。言葉が出ないから体で。それが攻撃性になって出ることもある。言葉にならない訴えを聞くのはムズカシイ。
以前、発熱した時のこと。本人は熱があることを認識していない。もちろん具合が悪いという訴えもなかった。
でも、様子がおかしい。ところが私も、何が起こっているのかまったくつかめない。
どよんとした感じで座ったまま動かない。寝ない。テンションは下がりこの世の終わりみたい。ついには失禁。
翌日になってやっと熱があることがわかった。
発熱していることさえもうまく理解できないのだということに少なからずシヨックも受けたけど、一度経験したから、これからは大丈夫…ホントかな~
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今朝、トイレで母のパンティ発見←どういうこと?
伯父が私に色々説明しようとするけど、言葉が出てない、さっき何を言ったか? それを考えてる様子が伺えました。
だから、伯父の言った言葉をそのまま返す。すると、伯父のほうが「そう!」と、言って、次の言葉をつなげていく。 こんな感じでした。
「オウム返し」は子どもの成長過程でも使うらしいです。次、どうすればよいか親が教えてしまうより、子どもの言ったことばをそのまま言って、本人に、考えさせ結果を出させる。 本で読んだことがあります。
『七つの習慣』 でした。
子どもと違うとこは正しい結果を求めているのではなく、
会話をしている気になるってことが、結果的に良いってことなのかな。
ナゼ?
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>だから、伯父の言った言葉をそのまま返す。すると、伯父のほうが「そう!」と、言って、次の言葉をつなげていく。
なるほどーそういう効果があるんですねー。
言葉が出にくくなっているところを、ちょっとお手伝いする感覚だ。
肯定でも否定でもなく…ってとこもミソかな。
以前、ケアセンターの人が、幻覚が見えているような場合、当然否定しちゃダメだけど、「ホントだねー」ってなんでも肯定すればよいもんでもないって言ってた。
とりあえず合わせてればいいのなかーと私は思ってたけど。
介護ってムズカシイっすね。
母がスタンガンでその人を狙って攻撃してるだのと言ってこられたとき、「すみません」と、言っておいたらいいと言った人がいました。
「犯罪にかかわるようなしてもしないことを認めるなんて、そんなこと認めるわけにいかない!」
そんなこと認めたら、うちが住めなくなる。 ご近所に何をいいふらされるやらですもん。
第三者によって、こんな無責任なことを言う人もいます。 でも、悪い人じゃないんだけど。
兄のことで来てくださってた人だったからね・・。色々難しいです、人間関係も。
「さっきいてた」と、いう場合は「帰られました」と、いうので、うまくいったというのを、どっかで見ました。
作り話に中に上手にノッテ、かわしてしまうってことかな?
穏便に済ませるっていうか、そういう意味で「すみません」といっておけばってことだったのかな。
当事者にしてみれば、やってもいないのに…ってなるの当然だ。
ちよっと引いて見ると、細かいことにこだわるより、もっと冷静に…とか、大きな心でとかってなるのかなー……ムズカシイ。